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第42回 晴れそめの径(20年11月) [下巻]

「第42回 晴れそめの径(20年11月)」 掲載’08年(H20年)12月16日号 (発売日 同年 12月2日ころ)

晴れそめって?

 サブタイトルに聞き慣れない”晴れそめ”という言葉が。 初め? 染め? 広辞苑で調べると、「晴れ始める」こととある。 つまりは ”晴れ初め”ということ。 オープニングタイトルページで、径子が歩く道の後ろの塀は戸板が外れている。 これは”あの道”の暗示。 今回は径子が戦後を歩き始めたという話だ。 そういえば、今回の径子はいつもより凛々しく描かれているような気がする。 いや、径子は日ごろから身だしなみをきちんとしているので、いつもこのような出で立ちであるはずだが、何か心の中のけじめがあったような感じが。

 11月といえば、本来は晴美の七五三があったはず。 なにかの行事をしたのか? あるいは… 納骨を済ませたのか? 

みぎての暴走

 それにしても、いよいよ みぎてがやりたい放題である。 進駐軍のジープの轍に沿って、径子の歩みに沿って、径子の半生はおろか 手当たり次第に描きまくっている。 まるで、自分が何者かを必死で探しているかのように。

知多さんの行くみち

 買い出しに行く途中に出合った知多さんにも原爆症の症状が出ている。 まぶしいと言っているので原爆性白内障の疑いもあるが、入市被爆された方の中には白内障の症状が出ていなくても、強い日光に当たるだけで気分が悪くなる方もおられるとのことだ。

 知多さんや小林の伯父さんのように被災者の救援や近親者の捜索で爆心地に入られた方への支援は、実は遅々として進まなかった。 原爆投下直後の調査研究は軍部が中心だった。 米軍も22年3月にABCC(Atomic Bomb Casualty Commission)を組織したが、純粋に(軍事的な)研究を目的としており、その知見が被爆者の救済に振り向けられることはなかった。 被爆後数年は、(先に亡くなられた)肥田舜太郎医師のような個人的な支援活動が主だったのである。

 各地に支援団体が結成され始めるのは27年ころからで、28年1月にようやく広島市原爆被爆者治療対策協議会(原対協)が結成され、被爆者への体系的な支援活動が広がるのだ。 国の支援が始まるのはさらに後となり、32年4月に原爆医療法が施行され、被爆者健康手帳、いわゆる原爆手帳が発行され始める。 この原爆手帳を持っている人は治療や健康診断の”現物支給”を受けることが出来た。 被爆者の医療費自己負担分無料化が始まるのは35年8月からで、じつに原爆投下から15年も経過しているのだ。 しかし、その医療費無料化の恩恵を受けられるのも爆心地から2km以内で被爆したと認定された人に限られ、知多さんたち入市被爆された方への支援はさらにさらに後になるのだ。 今の我々の感覚からすると、なんと遅いことか! さらに絶望的なことを言うと、入市被爆された方の中には現在もなお申請が認められない方が多くいるのだ。

 自身も体調不良なのに すずの体を案じてくれる知多さん。 彼女の待ち人が一日も早く帰ってくることを切に願う。 知多さんはこの回が最後の登場となる。

原爆乙女と径子

 このように被爆者への支援が進まなかった背景には、被爆地以外の人々の関心の低さと正確な知識の欠如(=誤解)があったと思われる。 「夕凪の街」で、主人公 皆実の弟 旭が疎開先から広島へ帰ることを拒否したのも、この誤解があったからだと思われる。 このような一般の人々が被爆地への関心を持つようになる出来事が30年にあった。 原爆によって顔などに ひどい火傷を負った25名の女性が治療のために渡米したのである。 いわゆる原爆乙女の人たちだ。 彼女たちは30年5月にボランティア団体の支援で渡米し、治療の傍らアメリカのメディアに原爆の被害の実情を訴え続けた。 

 劇場版で径子を演じられた尾身美詞(おみみのり)さんは、女性演劇集団 On7のメンバーとして、原爆乙女を題材にした「その頬 熱線に焼かれ」(H27年9月)という演劇に出演された。 役作りのために他のメンバーと存命の元乙女の方たちと話し合いをされた尾身さんは、その重いテーマにどう演じてよいか迷われていたそうだが、元乙女の方たちから「演劇だから出来ることがある」「自分たちが語る以上の可能性があるかもしれない、自分たちの命があるうちに、今やって欲しい」と励まされ、舞台に立ったそうだ。 

 原作者のこうの先生は、劇場版公開後、”径子が良かった”という読者が増えたと感じておられるそうだが、それは尾身さんの魂のこもった演技の賜物だろう。

みぎてって何者?

 私は、みぎては すずの失われた右手を憑代として、この大戦で亡くなった すずの近親者(おかあちゃん、リン、テル、晴美)の魂か記憶が宿ったものだと思っていた。 だが、今回のみぎては径子と旦那さん(劇場版では”キンヤ”)の馴れ初めなど、晴美が知らない情報を描いている。 まだ、1ページ目では息子さんの消息を伝える手紙を読む刈谷さんも描いている。(刈谷さんの息子さんはお母さんが手紙を読んだかどうかは知らないはず) つまり、みぎては存命中の人の記憶をも描いているのだ。 みぎてはいったい何者なのだろう?

 すずには、幼いころより 場所やモノに刻まれた、人々の強烈な記憶を感じ取る力があったのではないか? だから、ばけもんや座敷童子と遭遇するのだ。 みぎてには記憶はないが、すずの人の記憶のかけらを感じ取る能力と、そして絵を描くという本能が引き継がれているのだ。 みぎては自分が何者か?を探すために、呉市中に散らばっている すずに近しい人々の記憶のかけらを追いかけては 片っぱしから描いているのではなかろうか? まあ、最終回には自分の意志を持っちゃってますけど。 


 径子の一家が離散する場面で晴美がたんぽぽを持っている。 たんぽぽには綿毛が飛び立つことより「別離」という花言葉があり、作者は別れのシーンのアイコンとして、この花を多用している。

座敷童子さんのパラドックス

 径子と旦那さんの馴れ初めのシーンの下に、貼り紙が落ちている。 「國防と産業 大博覧會」の開催時期を伝える作者注だ。 私、これ読み飛ばしてましたが、実はとんでもないことが書いてある。 同博覧会の開催時期が10年春というのだ。 径子と旦那さんの横には、やがてリンとなる少女の姿も描いてあるが、つまり、リンは10年の春には呉に流れ着いて朝日町に行っていることになる。 10年8月のこととされる「大潮の頃」に草津に居るはずがないのだ。 前回、きれいにまとまったはずのリンの半生が、音を立てて崩れ落ちていく。 これはどういうことか?

 一つ目の仮説は、作者がミスをごまかした説。 取材メモの混乱かなんかで、時期的な間違いがあるのに気付いたけど、こっちの方が謎を呼んで話が面白くなりそうだったので そのままにしたという説だ。 しかし、これには無理がある気がする。 「國防と産業 大博覧會」の会期が10年3月27日から5月10日までというのは、ちょっと調べればすぐわかるのだ。 作者も取材に訪れた”大和ミュージアム”の呉市のコーナーには、同博覧会の実物のポスターやパンフレットが展示してあり、会期は一目瞭然なのだ。 また、リンが同博覧会の時に呉に行ったというのは、ラスト5話の時点で初めて出てくるエピソードだ。 詳細な作品年表を作っているとされる作者が、このような単純ミスをすることは考えにくい。

 次の説は、すずが思い違いをしているという説。 第27回の時にも書いたが、これが一番わかりやすい。 一般の方から寄せられた戦災体験を読むと、私たちが知っている”史実”と異なることを書いている方が多くいる。 それは、当時の日記をもとに体験記を書いている人を除けば、多くの人は はるか昔の記憶を紐解いているため、事実の混乱や記憶間違いが多々あるのは仕方のないことだ。 これには月日の間違いや前後関係の逆転などがある。 また、最初から間違って覚えている場合もある。 体験記を残す人の多くは当時未成年で、特に軍事関係のことは周りの大人から聞かされたことを受け売りで覚えている場合が多い。 11航空廠で”ゼロ戦”を造っていたという証言は彗星や紫電との混同と思われるし、工廠内で水上偵察機”瑞雲”が落ちたと証言されている方の話は、実際この時落ちたのは 当時最高機密だった潜水空母伊四〇〇型の艦載機”晴嵐”だと思われるのだが、なにしろ軍事機密なので似たような機体でごまかされたのだろう。 

 幼いすずとリンとの触れ合いが描かれる「大潮の頃」は、全編が筆で描かれている。 つまりこの話自体が、晩年のすずが、おそらくは「呉の戦災を記録する会」が終戦50周年を機に募集した市民の戦災体験談のために、あるいは、孫やひ孫に戦前の話を聞かれて語ったものではないか? だから、ところどころ記憶があいまいで、9年8月の記憶と混同しているのだ。(だから、当時は生まれているはずの千鶴子も出て来ないのだ) 

 最後に、少しファンタジー的な仮説。 10年8月というのは正しく、座敷童子を見たのは すずの夢だった、あるいは すずの想像力の賜物だという説。 すずには場所やモノに刻まれた記憶を敏感に感じ取る力があり、それを類い稀な想像力で実際に起こったことのように具体化できるのだ。 前年の夏におばあちゃんに情けをかけてもらった時のリンの強烈な記憶が草津の家に刻み込まれており、すずはそれを本当に体験したことのように感じ取ってしまったのだ。 先にも書いたが、みぎてにはこの力が継承されており、街中の人々の記憶を感じ取って描きまくっているのだ。

 いずれにせよ、このリンのエピソードは読み手の想像力をたくましくさせ、この物語を単なるノンフィクションものとは一線を画す作品に昇華させることに成功している。

音戸ニテ待ツ

 もう一つ道端に落ちている紙切れ。 音戸にて待つという、ごく普通の安否を知らせる貼り紙のようだが… そういえば、この次の回で すずは音戸に出向き、その帰途、ある重要人物と再会している。 これは予告? それとも隠されたメッセージ?

生き別れた子と亡き子を並列に語れる母

 進駐軍にチョコをねだる子供たちを見て、遠く下関にいる久夫に思いを馳せる径子。 そして晴美のことにも思いを寄せる。 未だに寂しさは残るが、だいぶ落ち着いて晴美のことを考えられるようになっている。 やはり、何か精神的なけじめをしてきたのだろうか。

 なお、劇場版では進駐軍のジープ資料を大物アニメーターの大塚康生氏が提供している。 そのためか、この闇市のシーンで、進駐軍のジープを熱心にスケッチする大塚少年らしき人物が映っている。(画面右端)

飛び去ってゆく楠公

 残飯雑炊のうまさに思わず、USAならぬ”uma~”と叫んじゃう二人。 そして飛び去ってゆく楠公。 まるで第39回のパロディのようだが、楠公もまた、この国の正義の象徴なのだ。 惨めな倹約飯の象徴としてだけではない。 大東亜共栄圏の理想のために、その身を喜んで差し出す臣民たれと教えた皇国史観の象徴でもあるのだ。 わが国は米国の物量作戦の前に、物質的にも精神的にも完敗したのだ。 日本人は一度、完敗を経験したからこそ、今日のように再び這い上がれることが出来たんだと思う。 

径子の説教がガミガミでないわけ

 残飯雑炊だと家族におすそ分けが出来ないと気をもむ径子に進駐軍から貰ったチョコを差し出す すず。 すずの軽率な行動に対し、またまた くどくどと説教をする径子。 そういえば、径子の説教は一貫して”くどくど”であって、”ガミガミ”ではない。 しつこいけど、一応筋は通っているということか。 径子の説教(おかあさんゆずりだが)は、連載当初はキツイ小姑のものだったが、今の径子のそれは 実の姉が末妹をおもうものに、母が子をおもうものに変わってきている。

あなたを抱くチョコの宵闇

 径子の説教につられ、海苔の宵闇ならぬチョコの宵闇でエンディング。 ご丁寧にKUDOKUDOマークになっている。 森永製菓さん、ぜひこのチョコをコラボ商品のラインナップに。

いい米兵さん、悪い米兵さん

 進駐軍の中には”いい米兵さん”と”悪い米兵さん”がいた。 悪い米兵さんは下級兵士に多かったようで、公共機関の備品類を勝手にお土産に持って帰ったり、強盗まがいの大暴れを繰り広げたものも多くいた。 新聞の見出しでは、このような輩は”大男”として呼んでいた。

 いい米兵さんは上級の士官に多く、彼らは身の回りの世話をしてくれる子供たちに、「宿舎の中にある食べ物は、いつでも好きなだけ持って帰ってよい」といい、勉強を望む子には積極的に英語を教えてくれたそうだ。 彼らと呉市民との交流は、彼らの帰国後も続いたという。



11月6日、GHQより財閥解体指令が出される。 戦前の日本の貧富の差を増大させていた要因が取り除かれたわけだが、現在の日本においては財閥は”ケイレツ”という名で生き残っている。

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第41回 りんどうの秘密(20年10月) [下巻]

「第41回 りんどうの秘密(20年10月)」 掲載’08年(H20年)12月2日号 (発売日 同年 11月18日ころ)

右手がないことを思い知るすず

 1か月ぶりの掲載となる今回から最終回まで、サブタイトルが付くようになる。 

 右手を失った後も けなげに家事をこなし、わらじを編み、ハシゴにまで登っていたすず。 けして片手であることを言い訳にせず懸命に生きて来たのだが、この日はじめて片手であることの辛さを思い知る。 愛する夫の不安な手に自分の手を添えられないもどかしさ。 だからこそ、次のセリフにつながる。 

 ”右手・・・・ どこで何をしているんだろう”

漫画史に残るセリフ

 それは、本来は右手がない悔しさを、非常にすずさんらしい言い方で表したセリフであったはずだ。 だが、この物語において、このセリフはそれ以上の意味を持ち始める。 そう、画面の隅っこで何かをはじめようとする”みぎて”に読者が突っ込みを入れようとする矢先、このセリフが投げかけられることにより、読者は”ああ、右手は何か目的があってあれこれやっているんだな”と、なぜか納得してしまうのだ。 このセリフによって、正体不明のみぎては作中 何をやっても許される免罪符を得てしまうのだ。 

 こうの史代という作家は、各作品の中で幾度か、読者の心臓をえぐるような印象的なセリフを投げかけてくるが、このセリフは別格だ。 これは間違いなく、日本の漫画史上に刻まれ、末永く語られるべきセリフだ。 それが、”名”か”迷”かはわからないが。

リンの思い出

 そのみぎてがテルの紅(呉沖海空戦時に既にこの世のものではなくなっている)で描くのは、リンの歩んできた道。 ”半生”ではなく”人生”だ。 それは、すずが知る由もないリン自身の記憶。 その証拠に、すずが描けないあいすくりぃむを正しく描けている。

 親に売られ、奉公先を飛び出し、草津で情けを受け(このときすずと出会っていることが明示されている)、呉に流れ着き、遊郭の女衒にスカウトされる。 あいすをご馳走になっている時の着物は、すずが草津に置いていったものだ。 そし て遊郭で禿(かむろ)として働き、自身も水揚げされて、やがて周作と出会う。

周作と出会ったのは?

 遊郭で童貞を捨てるのは、この時代の男のたしなみとしては普通だったのだろう。 上官に連れられて行ったのか、はたまた、おとうさんに勧められて行ったのかもしれない。 さて、気になる周作とリンが初めて出会った時期だが、部屋にりんどうの花が飾ってある。 りんどうの開花時期は秋だ。 すると、18年の9月か10月? それで一目ぼれして、結婚すると言いだして、親戚一同に反対されて、それで12月にすずを探し出して縁談? ちょっとそれでは すずさんがかわいそうな気がするが、この一途さがいかにも周作らしいとは言える。 リンのほうの思いの募らせ方から見て、17年の秋に出合って1年間通い詰めて、そして18年の初秋に別れさせられたとしておいたほうが綺麗かな?

リンの喪失を受け入れているすず

 周作に促され向かった朝日町で見たものは、往時の面影さえない街の残骸。 このとき、すずがリンの生存を全く信じていないことに注目。 ”リンさんはどこかで生きているかも知れない”とは全く思っていないのだ。 ひょっとして画面には描かれていないが、喪失を確信させる何か… 遺骸がそこにはあるのか? 気になるのがこの回の最終ページ、最初のコマですずが握っているものだ。 これは何の残骸? ひょとして遺髪なのか??

あり得ない構図

 みぎてが描く(作者が本当に紅筆で描いた)紅のリンと、すずが寄り添う感動的なラストシーン。 しかし、これは普通の漫画では絶対にありえない構図だ。 正体不明のものによって描かれたものと本編の登場人物が寄り添うという漫画の常識を超えた演出。 しかし、この漫画が、この作者が、2年以上に渡ってコツコツと紡いできた物語の中においては、たとえ魔法のセリフなどなくとも、読者は何の抵抗もなく必然のものとして受け入れることが出来るのだ。

”悲しんでいる貴方を愛す”

 このりんどうの花言葉が、雑誌掲載時の欄外に編集部注として書かれていたという。 私は、リンの名は「街角花だより」の準主人公の りん(凜) から取られたものだと思っていた。 だが、実はこの花言葉から取られたものなのだろうか? リンという”悲しき”昭和の女性。 はたして、彼女には”居場所”はあったのだろうか? 世の漫画の中には、物語に起伏を与えるという目的だけに、あるいは主人公の心に影を刻むという目的のためだけに登場するキャラクターが凡百といるが、彼女は決してそのようなキャラクターではなかったと信じたい。 ただ、20年4月以降のリンの生きる目的が何だったのか? 本編ではまったく語られていない。 

 秘密を抱えて消えていくのも”ゼイタク”。 一方で、その消えていく人の記憶を受け継いでいくのも、また”ゼイタク”なものだという本作のメッセージ。 そして すずは、失われていく人の記憶を受け継いでいくということに、自らの生きる意味を見出していくことになる。

 リンという女性の物語、これで完結したかに見えたのだが…



10月24日、戦勝国を中心とした51か国により国際連合が発足する。 日本では”国際連合”と訳されているが、英語では”United Nations”となり、大戦中の”連合国 = United Nations”と全く同じなのである。 我々は国連というと、国際協調のための公平な機関と信じがちだが、常任理事国制や拒否権の存在など、今でも戦勝国連合の性格をそのまま受け継いでいるのである。 ”戦後”は まだ継続しているのだ。

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第40回 20年9月 [下巻]

「第40回 20年9月」 掲載’08年(H20年)10月21日号 (発売日 同年 10月7日ころ)

そうか戦争は終わったのか

 前回のシリアスな終わり方から一転し、今回はおちゃらけた台風の”目”から始まる。 そうか、もう戦争は終わったのね。 そして今回はなぜか”サスペンスホラータッチで展開される。

伯父さんも被爆

 体調の悪い伯父さんのかわりに屋根の修理に赴くすず。 伯父さんも入市被爆の疑いが…

何故、暴風雨の中 出歩くのか?

 それにしても何故、台風の暴風雨の中、みんな外出しているのか? 枕崎台風は、その進路上の気象台で次々と当時の史上最大規模の台風であることが観測されていた。 しかし、戦争の後遺症で各地に伝える通信手段が回復しておらず、その災害情報が市民に伝えられることはなかったのだ。 このため、多くの市民が準備するまもなく台風に巻き込まれた。 それに加えて被害を拡大した原因に山の荒廃がある。 軍港の機密保持のため、軍部は一般市民が山に入ることを禁じていた。 そのため山が荒れ放題となり、土砂災害の危険性が高まっていたのだ。 枕崎台風の被害は”戦災”でもあるのだ。  

敵前逃亡?

 おかあさんを流血させた周作。 占領軍の上陸とともに逃亡を計画しているが… 軍法会議の関係者が逃亡を図るということは、やはり捕虜の取り扱いが原因か? 第27回でも捕虜に対する裁判の準備をしていたが、7月24~28日の呉沖海空戦でも墜落した米軍機の搭乗員が多数捕虜にされている。

先を急ぐ女郵便配達員

 径子と間違えられた郵便屋さん。 劇場版ではおとうさんが海軍病院にいることを知らせる速達を径子に手渡す場面で登場しているが、原作よりもかなり若い設定になっている。 大戦末期の男手不足は郵便局にも影響し、呉市内の郵便の集荷・配達は徐々に遅れだしていたという。 人手不足解消に女給、芸者、人妻が徴用され、ついには登下校の小学生までも動員されたという。  呉市郵便局に勤めていた人の手記が呉戦災体験集にあるが、郵便物を集配の列車に間に合わせるため、呉駅の改札を集配トラックで強行突破、ホーム上で列車に横付けして無理やり詰め込んだという豪快な逸話が載っている。 7月の市街地空襲では、呉市郵便局の当直の職員が7人亡くなったという。

 肝心の郵便物をずぶ濡れにしながらも先を急ぐ郵便屋さん。 この時、彼女のかばんの中には多くの戦死通知、復員通知、家族の無事を伝える手紙が詰まっていたのだろう。 だから、たとえ暴風雨の中でも先を急がなければいけないのだ。 ひょっとしたら、彼女も家族に関する手紙を待ち望んでいるのかもしれない。

径子が職場復帰

 まるで貞子のように崖下から這いずりあがってきた径子。 驚くすずに再び奈落の底に突き落とされる。 そういえば径子が出勤しているのが描かれるのは久しぶりだ。 6月22日の呉工廠空襲の後は精神的ショックで、そして7月1~2日の市街地空襲では寺自体が焼失したと思われる。(29ページの径子の寺が描かれているあたりには、現在は鉄筋コンクリート製の寺がある。 なお、径子の寺の作画上のモデルは、当時は呉市ではなかった川尻町の光明寺さんだそうです。) 市街地空襲後、市内の寺社の境内では臨時の救護所や遺体安置所、あるいは遺体の火葬場が置かれていたそうだ。 径子の寺も臨時の寺院が置かれたか、あるいは住職さんたちが被災を免れた同宗派の寺院に身を寄せ、径子もそこの手伝いに行き始めたのだろう。

おとうさんのクワ

 工廠を解雇されたおとうさん。 軍部が解体されたので、軍人はもちろん、工廠の職員も解雇される。 おとうさんたちのように勝手に鍋や鎌を作って退職金を現物支給にする人や、工廠の官給品を(話し合い or 勝手に)持ち帰る人が多かったようだ。 モノ不足といわれていた大戦末期だが、それでも軍事工場には材料はそれなりに残っていたという。 中には夜中にトラックを横付けして大量に持ち出す人(上層部の人間に多い)や、軍の備蓄米を勝手に持ち出す人も多くいたという。

埋まった防空壕

 防空壕が埋まったと伯父さんが言っているのは、戦争が終わったから埋めたのではなく、たった今、裏山が崩れて納屋と防空壕を押しつぶしたということか。

すみからの手紙

 ずぶ濡れでインクがにじんだ手紙が草津にいる すみからのものだと分かる。 すずだけではなく、おかあさんも径子も喜んでくれている。 この時、おとうちゃんはまだ生きている。

北條家に笑いが戻った日

 ヨメの家族の無事が分かり一安心。 一方、外はあいかわらずの暴風雨、裏山は崩れ、一家の大黒柱は失業と、なかばやけくそながらも自然と笑みがこぼれる。 もう笑うしかない。 すずを含め、北條家の面々が久しぶりに腹の底から大笑いする。 ようやく北條家に笑いが戻ってきた...

遅れて来た神風

 そして、一家は遅れてやって来た”神風”を笑い飛ばす。 なんという皮肉! なんと痛快なメッセージか。 そうだ、戦争は終わったのだ。 

ひょっとして本編の最終回?

 この作品は、最初から作品の全体の尺が決まっていたと思われる。 コミックスの呼び方が上・中・下巻となっているのはそのためだ。 だから、この回以降も あと数回分の話が用意されているのは想像がつくが、ひょっとして、ひょっとしたら、構想の初期段階では この回が最終回ではなかったのか? この回までが(漫画的にあらゆることを試みた冒険的な作品ではあるが)割と写実的なノンフィクションっぽい造りになっているのに対し、これ以降はサブタイトルが付き、いわゆるエピローグ的な位置づけになっていること、また、”みぎて”の作品への介入によって寓話的・心象的な造りになっているからだ。 なにより、この回で終われば みんな笑って終われるからだ。 しかし、作者はそれをよしとはしなかった。



この回の後、’08年(H20年)11月4日号(発売日 同年 10月21日ころ)と’08年(H20年)11月18日号(発売日 同年 11月4日ころ)は休載となっている。



枕崎台風が押し流したもの

 劇場版ではラスト近くの少女が夜眠っているシーンで、鬼火が燃えている表現がある。 これは原爆で亡くなられた おびただしい数の遺体から発せられたリンが燃えていることを示している。 実際に多くの人が目撃された証言をもとに描かれているのだが、この枕崎台風によって地表のリンが全て洗い流され、それ以降の鬼火の目撃はなくなったという。

 

 この枕崎台風によって広島県内では2000名以上が亡くなったが、その中には被爆者の診療と原爆症の研究にあたっていた京都大学の医療調査団も含まれていた。 9月3日より大野町の大野陸軍病院を拠点に活動していた同大学の調査団だったが、突如発生した山津波に病院ごと巻き込まれ、真下教授(内科学)、杉山教授(病理学)をはじめとする11名の研究者、そして同病院にて治療を受けていた多くの被爆者が命を落とした。 京都大学の調査団は医学関係の研究者に物理学のスタッフを加えた本格的なもので、理研の仁科芳雄たちよりも詳細な研究をしていた。 この遭難により、我が国の体系的な原爆症研究が一時滞ってしまった懸念もある。

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第39回 20年8月 [下巻]

「第39回 20年8月」 掲載’08年(H20年)10月7日号 (発売日 同年 9月16日ころ)

障子に映る思い出

 2ページ増で描かれる3回目の8月。 広島から飛んできた障子に映る思い出。 広島の思い出、おとうちゃん、おかあちゃん、すみ、おばあちゃん、鬼ぃちゃんの脳みそ、座敷童子さん、波のうさぎ、すずの描いた校舎、そしてB-29が撒いて行った伝単につながる。 なお、この障子が引っ掛かってるのはユーカリの木だが、ユーカリの花言葉には「追憶」「思い出」などがある。 また、ユーカリの木は自らが発生させる油成分により度々山火事を起こすことが知られているが、その種は炎の熱に耐えぬいて新たに芽吹くため、「再生」や「新生」といった花言葉もある。 まさか、ここまで計算して北條家にユーカリの木が植えられていたのだろうか?


 呉に残ることになった すずに対する周作の振る舞いがぎこちなくて可笑しい。 いかにもこの時代の男らしい。 二人とも恋愛に不器用な似た者夫婦なんだ。 それにしても、すずの投げる球がちっとも当たらない周作。 どんだけ鈍いんだか... いや、待てよ…

実は魔球?

 利き腕ではない左手で投げているのに、(しかも軽い紙屑を)しっかり周作の懐に投げ込むすず。 もともとの運動神経の良さに加え、幼いころから海苔すきで鍛え上げた強力な手首のスナップが効いているのだろう。 実は、この手首の強力なスナップと適当な握りによって、すずの投げる球は天然のナックルになっているのではないか? 周作の手元で球筋が微妙に変化しているのだ! これでは、周作に打てるわけがない。 戦後の町内対抗野球大会に出たら、大活躍することだろう。 片腕で懸念されるフィールディングも、きっと、アボット・スイッチ(※)を自然にやっちゃうんじゃないかな?    

 ※ アボット・スイッチ; 隻腕の大リーガー ジム・アボット(平成元年~11年にかけて活躍)が行う守備動作。 グラブを不自由な方の腕に抱え、投球後に素早く利き腕にはめて補給後、再びグラブを持ち替えて送球する。 このようなハンディにもかかわらず、アボットの守備率は平均よりも良かったという。

玉音放送、並び順はこれでいいの?

 隣保班揃って玉音放送を聞く場面。 知多さんがいない… 回覧板にはサインがあるから自宅で聞いているのかな? ところで、すずが真ん中に座っているけど並び順はこれでいいの? 床の間のある方(上座)から、おかあさん、長女の径子、ヨメのすず、お客さんで年長の堂本さん、刈谷さん。 ああ、これで合ってるのか。 劇場版では、みんなが縁側に座り、玉音を発するラジオのある畳の間から一段下がって聞いている。 皇室に対する当時の庶民の姿勢を反映している。 

なぜ女の人が泣くのか?

 玉音放送終了後、怒り出す すず。 ”ここへまだ五人も居るのに!”、”まだ左手も両足も残っとるのに!!”  なにもすずは最後の最後まで戦い抜いて、戦争に勝とうとは思ってはいないだろう。 これまで耐え抜いてきた理不尽を何故こんな所でやめてしまうのか? それだけの覚悟だったのか? 劇場版の このシーン、のんの迫真の演技に頭をかち割られたような衝撃を受けました。 そして、戦争に関する私の長年の疑問を解消してくれました。

 私はこれまで終戦時の実際の記録映像や、ドラマ・映画などの終戦シーンを多く見てきましたが、何故 女の人が泣くのかが よく分かりませんでした。 男の人が泣くのは理解できるのです。 でもなぜ女の人が泣くのか? 戦争が終わったら、もう耐え忍ばなくてもいいじゃない、嬉しいでしょ? 出征していた家の人もじきに帰ってくるでしょ? 何も泣くことはないじゃない と。 終戦時に女の人が泣く理由には、せいぜい一つくらいしか心当たりがありませんでした。 そう、径子のケースくらいしか。

もの陰でむせび泣く径子

 放送終了後に憎まれ口をたたいていた径子が、もの陰で声を押し殺し一人で泣く印象的なシーン。 結果的にまるで無意味だった戦争に愛するものを奪われた虚しさ。 これはわかるのです。 しかし、当時の映像の女性たちが全てこの理由で泣いているとは思えませんでした。 

女の最前線

 そして、この作品に出合って ようやく分かったのです。 女の人も必死で戦っていたんだと。 しかし、それは日本軍を勝たすための戦いではなく、自分の愛する人を、愛する日々を取り戻すための戦いだったのだと。 だから、彼女たちは究極の理不尽に押しつぶされそうになっても、道端の草を食んででも、日々を生き延びようとしていたのだと。

 かまどの前は女たちの最前線だったのだと。 

 この戦争のもう一つの意味が分かった気がします。 こうの先生、のんさん、片渕さん、本当にありがとうございます。

唐突に現れる太極旗

 自分たちの信じて来たもの、信じ込まされてきたものが全て虚偽だと知ってしまった すずにさらに追い打ちをかける出来事が。 下の民家から太極旗が掲げられるのだ。 この旗は現在の韓国旗とは中央の巴の巻き方や四隅のマークの配置が異なっている。 朝鮮半島の独立運動に密かに用いられてきた旗なのだ。 日本の敗戦を知り、悲願の民族の解放と再独立を喜ぶ朝鮮の人々によって誇り高く掲げられたものだ。

 前回、米軍の暴力には屈しないと誓ったすず。 自分たちは崇高な理念のために戦っている、いわば正義の被害者だと思っていたのが、実は自らも暴力で他国を屈服させていた加害者だと知ってしまう。 まさに、心の中のよりどころが粉々に砕けてしまった虚無感、絶望感。 この作品の戦争パート 最大のクライマックスだ。 

 しかし、この太極旗の出現はいささか唐突すぎないか? というのも、この作品では、この回までに日本の植民地支配について全く触れられていないのだ。 第1回で すみが「満州に嫁(い)っての人」と言ってるくらいだが、厳密に言うと当時の満州は独立国で、ハワイやブラジルに入植するのと一応”同じ”ことになっている。 つまり、日本の植民地支配に関しては、まったく布石がないのだ。 「はだしのゲン」の中には、ゲンの同級生の朝鮮人少年が歴代の天皇の名前を言えずに同級生にバカにされ、先生には「早く立派な日本人になれ」と叱咤されるシーンや、ゲンの父に世話になっていた心優しい朝鮮人青年が戦後の闇市をお金の力でのし上がっていくエピソードが描かれている。 この作品でも、すずが闇市に行くシーンで”内地米”などの言葉で植民地支配を暗喩することはいくらでも出来たはずだ。 実際、劇場版ではこの演出をしている。 闇市で”内地米”、”台湾米”という言葉が飛び交い、日本の植民地支配を示唆しているのだ。

実は大量にいる朝鮮人労働者

 呉は軍港で機密保持のために朝鮮人を含む外国人は遠ざけられていたというのは間違いだ。 当時の呉には、実は朝鮮人が大勢住んでいたのだ。 おとうさんの勤めていた11航空廠の岩国分工場は、空襲から逃れるために地下トンネル内に生産設備を移す、”地下疎開”が行われていた。 広の工廠でも地下疎開の工事は始まっており、このトンネル掘りのために大量の朝鮮人労働者が動員されていたのだ。(かの国の人たちは、それを強制徴用だと言うだろう) 

 おとうさんが度々夜勤をしているのも、輪番でトンネル工事の監督にあたっていた可能性だってあるのだ。 だから、いくらボーっとしていて、街にあまり出ない すずにだって、市内にいる朝鮮人のことは伝わっているはずだ。 伝わっていないとおかしいのだ。

 そう、この作者にしては不自然なほど、作中には日本の植民地支配の情報が欠落しているのだ。 だからこそ、逆にこれが狙いだったんだと思えてしまう。 そう、すずさんたち ”一般の日本人にとって、(加害者としての)植民地支配の問題は全く見えていなかったか、見えていても見えていないことになっていた” ということを あえて強調しようとしたのだ!

 実は、これには思い当たる節がある。 呉の戦災HPの市民体験談の中に、市内の朝鮮人家族のことに言及している方がおられる。 初めに断わっておくが、私はこの方のことを非難するつもりは全くない。 この方は真剣に日本のことを案じられており、当時の日本人としては珍しいほどの大きな視野で世界情勢を語っておられる方だ。 この方は市内の医院で朝鮮人家族が露骨に差別されているのを見て憤慨され、「鮮人をあからさまに差別するのは日本人としてけしからん事だ」という旨のことを書いておられる。 この方は素晴らしい人で、植民地出身者への差別に怒っておられるのだが、”この方自身が既に差別していることに全く気付いておられない”のだ。 もし、植民地出身者も対等な日本人だと思っているのなら、「朝鮮出身の〇〇さんを差別するのはけしからん...」となるはずだ。 ”鮮人”とは、われわれ日本人のことを”JAP”と呼ぶのと同じ、蔑称である。 当時の日本人の中の、日本人は優れているので劣っているアジアの列国を救ってやらねばいけないという意識、まさに大東亜共栄圏の夢を信じ込んだ当時の日本人の意識が垣間見えるのである。(その意識は現在においても根強く残っている)

 劇場版を含め、この作品のことを批判する人は、「日本人の被害のみを強調して、日本の加害責任のことに触れていない」と言う。 しかし、よく読み込めば、加害責任にさえ気づいていなかった、われわれ日本人の原罪について鋭く描き切っていることに気付くのだ。

 このように、この回まで、このクライマックスのために徹底して植民地支配の情報を隠し続きてきた本作だが、よくよく読み返してみると、実は一カ所だけ、その痕跡がわかる場所があるのだ。 その回こそ…

ス スグレタ國柄世界ガ仰グ

 その回こそ、謎の第23回、愛國イロハカルタの回だ。 この回の最後に紹介された札は、オリジナルでは当時の大日本帝国の領土が赤く示してある。 本来なら日本列島のほかに、千島列島、南樺太、朝鮮半島、台湾、そして南洋の島々が赤く塗られているはずだ。 しかし、本作の札では朝鮮半島が塗られていないのだ! これは若い読者は気付かないかもしれない。 ”へ”の札もオリジナルは南洋の浅黒い肌の少年が描かれているが、本作では島々の絵に変えられており、巧妙に隠ぺいしてあることがわかる。 作者は実に入念に、この回のために準備を進めていたのだ。 

畑に落ちた焼夷弾

 すずが畑で泣き崩れるシーン。 このシーンでも作者の入念な舞台設定を垣間見ることが出来る。 畑に焼夷弾が刺さっているのだ。 劇場版では7月1日の空襲で畑に焼夷弾が落ちるシーンが描かれているが、本作中にはない。 しかし、作者の中では、各年各月日ごとの場面設定が詳細に作りこまれているのだ。  

貴方の頭(こうべ)を撫づる誰かのてのひら

 飛び去って行く正義、畳み掛けられる絶望に、あの時に”何も知らないまま死ねていたら”と打ちひしがれるすずの頭を優しく撫でる”みぎて”。 これは誰の右手なのか? 普通に考えればすずの失った右手なのだが、自分で自分の頭を撫でるだろうか? それはまるで母親が子供を優しく撫でるかのようだ。 このとき、(すずは知らないが)おかあちゃんは既に亡くなっている。 すずの右手に母の魂が宿ったものだろうか? ラストでアップにされる花がりんどうならばリンの魂が宿っているようにも思えたのだが… 

 この回のラストシーンで大写しにされるかぼちゃの花。 戦局がどう進もうが、人々の気持ちがどう変わって行こうが、自然は変わらずに緩やかに時を刻んでいく。 かぼちゃの花言葉には”包容”というものがある。



最後の空襲

 玉音放送で日本の”終戦”が表明された15日の前夜も空襲は実行された。 14日から15日にかけ、熊谷、伊勢崎、小田原、秋田・土崎が空襲された。 14日中にはポツダム宣言の受託をアメリカに伝えていたにもかかわらず空襲は実行された。 小田原に至っては、熊谷と伊勢崎の空襲で余った爆弾を処分するためだけに空襲されたのだ。

伊四〇〇

 8月15日、ゆめタウングループの創業者である山西義政氏を乗せた潜水空母 伊四〇〇も太平洋の海中で終戦の情報を入手する。 艦内では、ウルシー環礁への特攻作戦継続派と投降派との間で激しい議論が戦わされたが、最終的に投降することに決める。 機密保持のため、艦載機の「晴嵐」を海上投棄して帰投、8月29日に三陸沖で米駆逐艦「ブルー」に捕獲され、8月30日に横須賀港に帰港し終戦を迎えた。 伊四〇〇は その後米軍に接収され、技術調査の後、翌21年6月4日 ハワイ近海で撃沈処分された。 

抗戦ビラ

 昭和天皇の肉声による玉音放送によっても、戦争を終わらせることに納得しない勢力が軍部には少なからずいた。 8月16日には特攻用の零戦が、翌17日には夜間戦闘機”月光”が呉市上空で徹底抗戦を訴える宣伝ビラを撒いて行ったという。

8月15日は終戦か?

 日本ではこの8月15日が”終戦の日”とされているが、国際的には日本が降伏文書に調印した9月2日が終戦だという国が少なからずある。 ソ連がその代表例で、8月15日以降も進撃を続け、8月18日に千島列島に侵攻、9月2日に国後島占領、そして降伏文書調印後の9月3日に歯舞諸島を占領している。 これが、今日も解決しない北方領土問題の発端となっている。

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原爆ドームと原爆死没者慰霊碑 [番外]

広島バスセンターから徒歩3分。 

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自分は原爆ドームをまじかに見るのは初めてでした。

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すずと周作が出会った相生橋と原爆ドーム。 相生橋のT字の部分を渡ってドーム対岸の中州には平和記念公園がります。

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原爆死没者慰霊碑から平和の灯越しにドームを眺む。 碑の中には碑文が。

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「過ちは繰返しませぬから」という この碑文には、特に右側の人から異論があるそうですが… 私はいい言葉だと思う。 平和も安全も自らの意志と行動によって得られるのだから。

記念公園から広島平和記念資料館と国立広島原爆死没者追悼平和祈念館を見学します。 個人的に被爆者への医療支援がどうだったかが気にかかって、いろいろ調べます。 なお、両館とも資料室があり、関連文書を読むことが出来ます。 こうのさんの著作や劇場版の絵コンテ集も置いてあります。 私が小学校の時に、”怖い”と評判だった「八月が来るたびに」という本を見つけたので見てみると、あまりにもポップな挿絵にビックリ。 そして、その挿絵画家が”ゲージツ家のクマさん”こと篠原勝之さんだったので二度ビックリです。

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記念公園を後にして南へ向かうと、東と西の平和大橋が。 この東側の「昇る太陽」は、「夕凪の街 桜の国」でもお馴染みですね。

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その平和大橋は、北側(ドーム側)に歩行者専用橋をかけて車道を広げる予定だそうです。 さて、広島を後にしていったん山口帰省。 実は山口にも原爆死没者を慰霊する碑があります。

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山口護国神社の近くに人知れずたたずむ”原爆死没者の碑”、49年に建立されました。 当時、山口県は原爆死没者が全国で3番目に多いとされていました。(現在は被爆された方が都会に移られたこともあり、東京大阪福岡のほうが多いらしい) 

この碑が建立された頃は”戦後30年”と言われていましたが、当時 小学生だった私には遥か昔の話に思えました。 今、30年前というと... 鈴鹿のF1が初めて開催された年。 当時は無敵だったウイリアムズ・ホンダの凱旋レースで盛り上がる予定が、マンセルはFPでクラッシュ→欠場。 ピケはずっとセナに抑え込まれてエンジンブロー。 フェラーリのメカニックが大笑いしてたっけ。 !! まるで、昨日のことのように覚えている。 大人の人にとっては、まさにそれくらいの時代感だったんですね。

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呉ポポロシアターは5月12日まで [番外]

(H29年5月23日追記) 呉ポポロ、6月17日(土)より再上映です。 夏にかけて再上映 増えそうですね。



今年のGW。 家族がどこにも行きたくないというので、私だけ帰省。 今回、初めて広島への高速バスを使ってみました。 連休初日の朝、広島BC到着。 時間があるので原爆ドームと資料館めぐりをして、おりづるタワーへ。

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コラボ商品の丸徳さんの広島海苔は新製品が出ていました。

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シール貼ってあるだけ! これで俵型のおむすび作ってもらおう。

2日ほど親孝行して、いったん呉に向かいます。 目的は呉市内の資料館などを巡ることと、呉ポポロシアターで劇場版を見ること。

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ポポロシアターもついに5月12日で上映終了です。

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上映開始まで、福住さんのフライケーキを堪能。 あちっ!

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ちなみにこれは、帰りの広島BCで買ったヤマザキさんのフライケーキ。 広島ではポピュラーなお菓子なんですかね?

さて、呉で見る劇場版(4回目)。 一番後ろの席で他の観客の様子を見ながら鑑賞。 平日でしたが観客は60~70名くらい。 中年以上カップル多めですか? 呉市内に現存する建物が出てくると、あちこちで軽いどよめきが。 後半は前の席のほうで鼻をすする... 涙を拭うご婦人が。 驚いたのは、エンディングの途中で中座する人が多いこと。(中年以上) 買い物を急ぐのか? または、複数回視聴済みだから? ドイツ人か!!(ドイツではエンディングそのものが2秒でブチっと切られますが)

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呉市内ではフライケーキのほか、こうの先生お勧めの蜜屋さんの蜜饅頭(呉マリン仕様)に天明堂さんの”鳳梨萬頭”(おんの字違うか?)、そして巴屋さんのアイスもなかをいただきました。 これで呉のスイーツはほぼコンプリートでしょうか?

その日の夜、広島の先輩と合流して、翌日は江田島とか長迫の海軍墓地とか、灰ヶ峰山頂へ。

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また、先輩が道をご存じだったので三つ蔵へも行けました。 想像していたよりも町中でビックリ。 先輩ありがとう。

さて、今回の呉行き。 最大の目的は…

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それはまたの機会で。

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ほらご覧... [番外]

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灰ケ峰山頂より呉市を見下ろす。

第38回 20年8月 [下巻]

「第38回 20年8月」 掲載’08年(H20年)9月16日号 (発売日 同年 9月2日ころ)

戸惑う市民

 8月6日の夕方、いまだに謎の巨大キノコ雲が何なのかはっきりせずに、市民はいろいろと詮索をしている様子。 北條家の食卓では、すずがいることに戸惑ってる周作が可笑しい。 この日の午後には広島から逃げてきた人たちが続々と呉市に入り、次第に広島の惨状が明らかになっていく。

溶けるコールタール

 8月7日になってもいろいろと噂をしあう長ノ木の人達。 まだ、原爆はおろか、”ピカドン”という言葉すらなかったのだ。 刈谷さんが新聞を取っている! 当時は誰もが新聞を取っている訳ではないようだが、なぜ刈谷さんが新聞を? 今回、知多さんが元看護婦ということが明らかになるが、刈谷さんも意外とインテリだった? それとも家族の安否が気がかり? この時、刈谷さんの旦那さんや弟は既に戦死していて、あとは出征したばかりの息子さんがいるだけだが… 旦那さんの出征先の戦局が気がかりで購読していたのがそのまま続いているのかな?

 そういえば、わらじ作りが得意だったすず。 片手でも器用にこなしている.. というか、包帯巻いたままの右手使ってるね。 もっ安静にしなきゃ。 7月1日~2日の空襲で道路のコールタールが溶けて、靴がダメになったという話は戦災体験記にも出てきている。

髪を切るすず

 広島へ行くと懇願するも断られ、髪を切り落とす すず。 福知山のトークショーで、すずの髪を触ったり、結ったりする人の変遷に注目との話題が出ていた。 すずの髪に櫛をかけたり触ったりした人は、すみ-周作-水原(未遂)-おかあさん-径子と変わっていくわけだが、これは、すずと心を通わせていく人・すずを愛しいと思う人を示している。 ここで髪を切るということは、すずが 戦中を生き抜く一女性として自立することを示している と言えないだろうか? (この回のラストで、すずは本作中で初めて、自らの強い意志を表している。)

 だが、知多さんをはじめ、まわりの人たちはすずを強い言葉でいさめる。 すずの傷付いた右手がクローズアップされ、まだまだ一人前ではないことが強調される。

行き倒れの人

 隣保館の壁に寄り掛かる人影。 私たちの世代は「はだしのゲン」を見て来ているので、この人がどういう人だか すぐにわかるのだが。

優しい長ノ木の人たち

 8月8日朝。 長ノ木の人たちにも、ようやく広島の惨状が伝わる。 そして、広島出身のすずを気遣う。 あいかわらず すずのことは”北條のヨメさん”と呼ぶが、この人たちにとっても、すずはかけがえの無い愛しい子となっているのだ。

暴力には屈しない!

 8月8日昼または夕方。 長ノ木の人たちの優しさに触れ、自らも強くなりたいと願う すず。(戦火で失った自分の右手をあらためて確認しながら…) 

 「ああ うるさいねえ」 「そんとな暴力に屈するもんかね」 これは、本作で初めて発せられた”米軍(あるいは戦争そのもの)”への非難である。 いままで、自分の結婚や、リンと周作の関係、そして空襲・戦災に対して、運命に抗うことなく生きて来たすずが、初めて見せた反旗なのだ。 すずは初めて自らの意志を口に出し、戦争になんて負けずに強く生きていくことを誓うのだ。 誓うのだが…

入市被爆拡大を防げなかったか?

 8月8日朝、知多さんたちが救援活動のため広島に向かう。 作者注で救援に行った多くの人が2次放射線により被爆したことが示されて今回は終わる。 知多さん、小林の伯父さん、そして すみやおとうちゃんのように、近親者の捜索や救助活動で爆心地近く(2km以内)に入り被爆することを、”入市被爆”という。 原子爆弾の爆発により撒き散らされた大量の放射能は、大量の放射線を放出し人体を遺伝子レベルで蝕む。 一説によると、原爆投下後100時間以内は非常に危険な状態だそうだ。 このような入市被爆を防ぐ方法はなかったのか? 実はいくつかの可能性はあったのだ。

 知多さんが広島入りしたのと同じ8日、理化学研究所の仁科芳雄が政府の調査団の一員として広島入りしている。 彼こそは理化学研究所で行われていた「二号研究」=”日本の原爆開発”の責任者なのだ。 彼はレントゲンが感光していることなどから、投下されたのが原子爆弾であると結論付け政府に報告した。 この時、政府が爆心地への立ち入りを制限していれば、入市被爆者の拡大を防ぐことが出来たのではないか? 

 しかし、後に政府が出した声明は、「アメリカの新型爆弾は白い服を着用していれば被害を防ぐことが出来る」。 もはや疑似科学の世界である…  もっとも、当時、放射線の危険性を理解していたものがどれだけいたか?という疑問もある。 仁科は広島の調査の後、14日に長崎(9日に原爆投下)入りして再びに調査にあたっている。 戦後、彼は理研の所長となるが晩年は体調不良に悩まされ、26年に没した。 死因は肝臓がんであった。 ひょっとして、仁科自身も放射線の危険性を認識していなかったのかもしれない。 「二号研究」は頼りにしていたナチスドイツからの高濃度ウランの入手が断たれ(輸送していたUボートがドイツ敗戦により投降)、独自抽出を目指していたが、皮肉にも彼ら自身の理論計算により、”原爆製造に必要なウラン235の抽出は不可能”と証明された実験装置での明日なき研究であった。 我が国は科学分野でも”竹槍”で戦っていたのだ…

現在も確定しない原爆被害者数

 この作品では、戦災や災害の度に その犠牲者数が作者注で明示されているが、原爆そのものの犠牲者数はどこにも書かれていない。 8月6日の広島の平和祈念式典、9日の長崎の式典の中継を見てください。 番組の冒頭で、この1年間に新たに原爆死没者名簿に書き加えられた人の数が語られるはずです。 21年8月時点の調査で、広島の死者11万8661人、不明者3677人(当時の広島市の人口が32万人)と言われていたものが、平成28年8月時点では 31万3195人 に及んでいます。 原爆の被害者数は投下後70年以上経た現在も確定していないのです。 




同じ8月8日、日ソ不可侵条約を一方的に破棄したソビエト連邦が日本に宣戦布告。 これにより”満州に嫁っての人”たちの地獄の逃避行が始まる。 あるものは、お互いに生き延びるため乳飲み子を現地の中国人に預け、あるものは武装解除して投降したもののシベリアの強制収容所へ送られる。 今も多くの人に深い傷を残す、中国残留日本人孤児問題、シベリア抑留問題の始まりでもある。 もちろん、北方領土問題もである。

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第37回 20年8月 [下巻]

「第37回 20年8月」 掲載’08年(H20年)9月2日号 (発売日 同年 8月19日ころ)

その日を迎えて

 すずが北條家を去る日。 この日まで家族でたくさん話し合ったのだろうか? 意外にあっさりと別れる周作。 おかあさんだけが気に留めてくれているようだ。 そして、読者はすぐに この日が”あの日”あることにも気づく。

みぎてが救ったすずの命

 正しい歴史知識を持った読者は、すずが救われることに気付く。 最近は原爆投下日はおろか、”終戦”の日さえも知らない人がいるという。 それはさておき、朝のうちに北條家にいるということは、すずが原爆に巻き込まれることはないのだ。 そして、その理由が”みぎて”の治療だった。 無いはずの”みぎて”が、すずの命を助けたのだ。

最後まで務めを果たす すず

 この日、実家に帰ることになっているすずだが、最後の最後まで家事を続けている。 不自由な右手を言い訳にせず、懸命にヨメの務めを果たす姿がけなげだ。 一方の径子のほうも、すずの居場所を奪わないように家事の棲み分けをしている様子が伺える。 相変わらず会話はぎくしゃくしているが、やはり、すずの身の回りの世話をしている。

径子の誠実な言葉がすずの心を打つ

 あまのじゃくな径子のセリフに隠れる『行くな、行くな』の声も、すずの心を変えることは出来ない。 しかし、(きっと坊守さんのアドバイスで作った)手の不自由なすずのために仕上げたもんぺを渡した後、意を決して謝罪し、そして自らの心にあるものをすずにぶつける。 まったく飾り気のない(いかにも径子らしい)、しかし、嘘偽りのない誠実な言葉・言葉がすずの心の中に響く。 自分の径(みち)を自分で切り開いて生きてきた径子だからこそ語れる凄味と説得力がそこにはある。 

 第5回で、すずに”広島へ帰ったら?”と言った言葉も、なかば本心だったのだが、それは単なる意地悪からではなく、親の言いなりに不幸な結婚生活を送ることはないという、先輩女性としてのアドバイスだったのだろう。(伝わりにくいが…) そういえば、アクションの対談の中で、すずの髪に触る人の変遷を見てほしいと言っていたな…

 径子の言葉に救われたすずは意を決し、かばんを閉めた手を再び動かそうとする。 それは呉に残ると決めた瞬間=ふるさとと決別した瞬間だった。

ふるさとを捨てた時、ふるさとは消滅する

 まさにその時だ。 故郷を捨てた瞬間、広島市上空で原子爆弾が炸裂するのである。 なんという演出! なんということをするのだ、この作者は! 

59秒に凝縮された珠玉のドラマ

 広島の爆心地から北條家のある上長ノ木までは約20kmだと思われる。 朝からたいへん暑い日だったということから音速を340m/sと仮定すると、爆発の閃光の約59秒後に爆音は到達する。 と、真面目に計算していたら、作者注に書いてあるね… この59秒間に至高のドラマが展開される。

 閃光に驚き、径子と伯母さんが会話している間にかばんからアッパッパを出して、長ノ木に残ることを懇願するすず。 これまでのわだかまり、誤解、気がねが一気に溶けた瞬間。 今、この二人は本当の姉妹となるのだ。 そして、その余韻に浸らせてくれない非常な轟音。 これほど濃密なドラマがわずか1分弱の間に展開されるのだ。


 ちなみに劇場版では、この間が”32秒”しかなかった。 まあ、作品のテンポもあるけど、あと20秒頑張ってほしかった。

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第36回 20年7月 [下巻]

「第36回 20年7月」 掲載’08年(H20年)8月19日号 (発売日 同年 8月5日ころ)


3回目の7月


 冒頭、読者は作者との小さな約束事が崩れていることに気付く。 これまで、読者のいる平成の年月と作中の昭和の年月が一緒に流れていたのが、”3回目の7月”によってずれてしまった。 すずの歪んでしまった心を表現するために、背景が左手描画によって歪むのに加え、今度は時空までもが歪んでしまったのだ。


呉沖海空戦


 この回に描かれる戦闘は、呉沖海空戦と呼ばれ、これまでの都市空襲とは全く性格の異なるものだ。 呉沖に点在する日本海軍の残存兵力(そのほとんどが燃料切れや、港を封鎖する機雷によって機能はしていないのだが)を”壊滅”させるため、執拗に反復攻撃が繰り返された。 地上戦こそないものの、沖縄戦と並ぶ本格的な戦闘なのである。


 この作戦のために動員された米軍空母は、サンヤシント、ベニントン、レキシントン、ベニーウッド、バターン、ランドルフ、シャングリラ、タイコロンガ、ハンコック、インディペンデント、ヨークタウン、カウペンス、モンタレー、エセックス、ワスプ、ボノーム・リチャード と16隻にもおよび、のべ1845機もの戦闘機・攻撃機等が傷ついた日本の軍艦に襲い掛かったのだ。


 防空砲台として係留されていた軍艦は、甲板上に樹木を配置して小島などに偽装していたというが、米軍からは「木ガ枯レテキテイマス。 ソロソロ植エ替エタラドウダ?」という伝単(宣伝ビラ)をバラまかれる始末。 その一挙手一投足まで丸裸にされ、帝国海軍はなすすべなく なぶり殺しにされたのだ。 米軍からすれば、まさに”真珠湾の10倍返し!”だったのである。  


 この作品の舞台に呉が選ばれたのは、作者の実母や祖母の街で、作者自身も青春時代のひと時を過ごしたという偶然によるものだったかもしれない。 しかし、呉の街のその戦いの歴史をあらためて紐解いた時、作者は戦慄を感じ、描かねばならぬという、ある種の使命感を感じたのではないだろうか?


さぎの意味するもの


 空襲警報の発令される中、目の前に現れたさぎを追うすず。 このさぎは鉛筆で描かれている。 この漫画の約束事から言えば、それはすずの心象が具現化されたものか、”みぎて”によって描かれたものである。 ”広島まで逃げろ”というすず。 それはこの地を離れたいというすずの思いが現れたものなのだろうか?


 眼前に現れる米軍機を前に微動だにしないすず。 それはすくみ上っているのではなく、むしろ覚悟を決めているようにさえ見える。 そう、”自分の居場所”に行くために…


民間人を狙う米軍機


 すずを見つけ、躊躇なく発砲する米軍機。 米軍の高官は「民間人は狙わないように指示を出しており、兵もそれに従ってくれた」という発言をしていたようだが、米軍機による民間人への機銃掃射は、大戦末期、国民にとってB-29による都市空襲以上の脅威になっていた。


 49年から放送されたNHKの朝の連続テレビ小説「鳩子の海」は、広島から逃げてきた記憶喪失の戦災孤児(後の鳩子)が、P-51Dに機銃掃射されたところを脱走兵の天平に助けられるというシーンから物語が始まる。(この場面はNHKのアーカイブスなどで視聴できる) それだけ、米軍機の機銃掃射は日本人にとって戦争の恐ろしい記憶として刻み込まれている。 「この世界の片隅に」の劇場版を特集したNHKの「クローズアップ現代+」でも、呉空襲の際に民家(軍事施設とは全く無関係)に銃撃を浴びせる米軍機のガンカメラ映像が紹介されている。 


 20年7月15日の「多治見空襲」、7月28日の「大山口列車空襲事件」、8月5日の「湯の花トンネル列車銃撃事件」など、多くの民間人が犠牲になった。


 作家の開高健や指揮者の小澤征爾なども戦中に米軍機の機銃掃射を体験している。 機銃掃射に遭った人の多くが、低空で飛行する米軍機のコクピットでパイロットが笑っているのが見えたと証言している。


砕け散る呉の思い出


 米軍機の機銃掃射によって砕け散る すずの非常袋。 中にあったのは すずが呉で手に入れた思い出だった。 短くも激しい呉の生活のすべてが粉々に砕け散る。 もう、すずには呉へ残る未練も無くなったのだ。


 同時に、思い出の品(周作のノート、鉛筆、水原の羽ペン、テルの紅)は砕け散ることによって、みぎてに引き継がれる。 


『そうです、そうです、そうです』  「「違います」」


 正直、このすずさんの女心は私にはよくわかりません。 「ふたりで全て解決出来ると思っている」から、なんて言われた日にゃ、もし自分が周作だったら、「じゃあ、どないせぇっちゅうんじゃ!」と切れてしまっていたでしょう。


なぜリンのことを?


 その周作だが、すずと再会した後の存在感が全く希薄だ。 リンのことで気まずくなったせいか、本来ならばすずのそばに寄り添い、その傷ついた体と心を癒すはずの夫が全く機能していないのだ。 広島へ帰る理由を聞いた時も、その心当たりとして挙げたものが、手のこと、空襲のこと、そして少し間をおいてから晴美のことの順番である。 すずを嫁にもらった理由がおかあさんの家事をやってもらうためだったので、家事が出来なくなって居づらくなるすずを気遣うのは、まあ わかる。 でも、晴美のことが空襲の後か?? すずの心を痛めている一番の理由だと分かっているんじゃないの?? 姉に気がねでもしているのか???


 そして、なぜこのタイミングでリンのことを言うのか? 夫に内緒で知り合いになっていたことに怒っているのか? それとも、リンのことを持ち出せば翻意すると思ったのか?? 実は、周作はこの時既にリンの末路を知っている。 この期に及んでも、なお すずを悲しめないように本当に秘密にしようとした、やさしさだったのか?


 このブログは男女間の色恋ごとは専門外なので、お手上げです。




この回に登場した主な艦船(63ページの配置図の北から)


摂津 標的艦、7月24日 大破着底。


磐手 出雲型装甲巡洋艦の2番艦、7月26日 沈没。


出雲 出雲型装甲巡洋艦の1番艦、7月24日 転覆着底。


榛名 金剛型戦艦の3番艦、7月28日 大破着底。


利根 利根型重巡洋艦の1番艦、7月28日 大破着底。


大淀 潜水艦隊旗艦の軽巡、7月28日 大破横転。


龍鳳 潜水艦母艦 大鯨を改造した空母、呉沖海空戦では中破するものの健在で、終戦まで防空砲台として使用される。


青葉 青葉型重巡洋艦の1番艦、7月28日 船尾部を切断し着底。


葛城 雲竜型空母の3番艦、小破するも健在。 戦後は復員船として活躍し、22年11月30日解体完了。


(H29年5月11日追記) 葛城の復員船としての活躍に関し、特筆すべきエピソードがある。 健在であった葛城だが、機密保持のため終戦時に艦内の重要書類はすべて焼却処分された。 エンジンの操作マニュアルも処分されていたため、いざ操艦しようとしても(既にベテラン機関員は軍を去っており)、誰もエンジンを始動できなかった。 このため機関長が横転していた同型艦の天城の艦内に突入して必要な書類を捜し集め、ようやく運行が出来たという。


伊勢 伊勢型航空戦艦の1番艦、7月24日 大破着底。


天城 雲竜型空母の2番艦、7月28日 横転着底。


日向 伊勢型航空戦艦の2番艦、7月25日 大破着底。


辰和丸 特設運送船、5月10日 触雷により沈没。(呉沖海空戦関係なし) 戦後、50mもの海底から引き揚げられて民間の貨物船として復活。 29年5月11日、南シナ海上で台風に遭遇して沈没。


北上 球磨型軽巡洋艦の3番艦、7月24日 大破航行不能に。


阿蘇 雲竜型航空母艦の5番艦、建造中に工事中止し、7月に特攻用兵器の実験台となり転覆沈没。(呉沖海空戦による被害ではない)


その他、名前のない2艦(江田島の海軍兵学校沖)


旧時津風(廃艦) 天津風型駆逐艦の4番艦、14年に除籍し15年に練習船として係留されていた。


大須(旧駆逐艦 柿) 海兵練習艦、樅型駆逐艦の7番艦、15年に除籍し練習艦に。


2艦とも枕崎台風で沈没・座礁し、のちに解体された。 


”特攻基地” 


 63ページの配置図には、海上の軍艦のほかに地上の海軍施設が記入されている。 呉と広の工廠や、水原の兄が通っていた江田島の海軍兵学校などは、作中に登場する馴染みの施設だ。 しかし、音戸の東側の岬に、なぜか作中に全く登場しない ”特攻基地” が示されている。 これは、大浦崎特攻基地(通称P基地)のことで、海上用特攻兵器の”甲標的丁型(蛟龍)”や”人間魚雷 回天”の研究・製作と乗組員の訓練が行われていた所だ。 


 ”蛟龍”は魚雷発射管を上下2基搭載する小型の潜水艇(乗員5名)で、その小さな船体を活かして敵の懐に潜り込み、魚雷を発射するという設計思想であったが、その居住性のあまりの悪さから、中の乗員の体力が3日しか持たなかったという。 一回の攻撃が終わったら、無事に帰還できる保証がない船であった。 ”回天”に至っては、”操縦室の付いた魚雷”そのもので、まさに水中の特攻専用艦であった。  


 この作品は戦時ものとしては、かなり特異な存在だ。 戦中の生活を描いている割には、そこに必ずあったはずの、大本営発表のラジオ、赤紙、”天皇陛下万歳”、”非国民”や”贅沢は敵だ!”の大合唱、神風神話などは全く出て来ない。 出て来たとしても、せいぜい皮肉に使われるくらいだ。 そして、作中には”特攻隊”を匂わせるような話は一切出て来ない。


 当時の戦災体験記には、特攻隊による連日の「大成果」によって、深刻な戦況の中にも希望を見出したり、厳しい工場勤めの励みにした人がかなり多くいた様子が伺える。 結果的に特攻隊の”大活躍”は国民の戦意高揚に大いに貢献していたのである。 そして、来るべき”本土決戦”への覚悟を国民一人一人に根付かせていったのである。


 この特攻隊のありさまは、「誰か」の「生」のきらめきを描きだそうとする本作の趣旨とは著しく相容れないため、作者がこれを徹底的に排除しようとしたのは、よく理解できる。 では、何故 このページの地図にわざわざ書き加えたのだろうか? 61ページの軍艦配置図は、「呉戦災を記録する会」が作成した地図が元になっている。 実は、このオリジナルの地図には”特攻基地”は記入されていない! つまり、作者の意志により、敢えてここに書き加えられていると考えられるのだ。 なぜか? 先にも述べたように、特攻隊のことは本作には決して描きたくはないという作者の信念。 一方で、そのような非人道的な兵器を製造していた工場があったことも、そこに働く人々が呉にいたこともまた、消し様のない事実なのである。 愛する呉の街の歴史に嘘はつけないと思った作者が、ここに密かに描いていた… と考えるのは穿った見方なのだろうか?




 


この回に登場した航空機


グラマン F6F ヘルキャット 離昇出力2000馬力、最大速度605km/h、武装12.7mm機銃×6。 ”ゼロ戦のライバル”と言われるが、出力・防御力・急降下制限速度のどれをとっても零戦を凌駕しているので、この機体に複数機で一撃離脱戦法をやられると、とてもじゃないが太刀打ちできないはずだが… この機体の包囲網を抜けて生還する凄腕パイロットも日本にはいたのである。




呉沖海空戦の直前の7月20日、潜水空母「伊四〇〇」がウルシー環礁に集結する米軍艦隊に特攻攻撃を仕掛けるため、僚艦「伊四〇一」との会合地点である大湊に向けて出撃した。 皮肉にも、彼らが太平洋の海面下を密かに航行している時に、母港は彼らの作戦目標だった艦隊により壊滅させられるのだ。 この海戦では建造中だった「伊四〇四」も大破し、自沈処分されている。 


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