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20年6月22日 [下巻]

片渕さんの今日のTwitterが怖い。 怖い。 怖い。


こうのさんが本作の連載を、平成18年暮れから21年1月にかけて行ったことと同じことを、ある1日に絞って、twitter上で再現されたのですね。 そういえば、劇場版公開後、はじめて この(作中の年月が特定できる)日を迎えたんですもんね。

この後、7月1日深夜、7月24日から4日間、8月6日、15日、9月17日(枕崎台風は劇場版でやってないからないか)などに何かありますかね。 

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下巻に関する年表 [下巻]

作品世界に関する年表。


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作者の著作に関する年表。


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最終回 しあはせの手紙(21年1月) [下巻]

「最終回 しあはせの手紙(21年1月)」 掲載’09年(H21年)2月3日号 (発売日 同年 1月20日ころ)

なぜ”幸せ”じゃない?

 ついに来た感動の最終回…のはずが、みぎてに乗っ取られるという前代未聞の始まり方。 今回も4ページ増の12ページ。 ”しあはせ”はもちろん、”しあわせ”の旧仮名遣いだが、この作者はナゼ、「幸せ」という字を使わないのだろうか? 広島ではこの漢字 教えてないのか?

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 これは、この作品までの作者の”SHIAWASE”の表記をまとめたもの。 (「ぴっぴら帳」は未読、「こっこさん」には未登場、径子のは正確には前に”不”が付きます。) 作中、「幸せ」の表記が出てくるのは、「街角花だより」で花言葉の引用と宣伝文句の中、そして「長い道」で竹林が手紙に書いているのだけだ。 概して、生の人間の話し言葉では「幸せ」は使われていない。 または、絵に描いたような(もしくは絵空事の)Happyな状態だけ漢字を使っているのか?(竹林は重要登場人物だが、あくまで一般人で、一般的な”幸せ”な生活を送っているからとも言えるかな)

 「しあわせ」の元々の意味は”めぐり合わせの良いさま”をいい、一方で「幸」の字は囚人の手かせを表したもので、囚人が解放された様子から”おもいがけない運に恵まれたこと”、つまり今の人が言う ”Lucky”の意が強い。 作者が作中に”しあわせ”という言葉を使う場合には前者の意味合いが強く、「幸」の字はふさわしくないと感じているのかもしれない。

 なお、作者は”漫画”、”マンガ”、”まんが”という言葉を使い分けておられるそうだが、”しあわせ”と”シアワセ”も意味を区別して使われているのかもしれない。 パッと見、戦前生まれの人が平仮名のほうを使っておられますが。(道はまだ”しあわせ”というものがよくわかってないから記号的にカタカナを使っているのかな?) 

真冬なのに なまあたゝかいのはナゼ?

 これは不幸の手紙ではないというみぎてだが、その理由が支離滅裂。 さすが脳みそがないだけある。 ”なまあたゝかい風”といきなり怪談を匂わせて、自分が死者の使いだということを暗示しているようにも思える。 怪談噺は置いといて、風がなまあたたかいとは どういう状態か? 暖冬?というよりも、街中のあちこちで死体や瓦礫を焼いていて、その熱風が漂ってくるということか?? 

この家族は?

 そしてまた、唐突に現れる母娘。 すでに遺影のお父さんは、陸軍の士官か? 詰襟で肩章がある5年制式の軍服(5年度から12年度まで)を着ているようなので、写真が12年くらいのものとすると、少女は今 8歳か9歳くらい? 晴美の一つ上? お父さんの階級章に星が二つ以上見えるので中尉以上? 若そうだけど士官学校卒のエリートだったんですね。(下級兵士なら軍曹以上) 待てよ、遺影が8~9年前くらいのものだから、亡くなった時は大尉くらいにはなってるか。 結構、恩給も貰ってるのだろう。 粥じゃなくて、ご飯食べてるし、高級品の海苔もあるし。 いや、この海苔は実家の江波から送ってもらったもので… ああ、やっぱり このお母さんすずさんの本体なのか?! 

母からの最期の施し

 そういう複雑な”もしもの裏設定”(または妄想)の話しは置いといて、母親が自分の海苔をあげようと躰を娘の側にあずけたことによって、少女は爆風から守られることになる。 自分がひもじくても子に施しをする無償の母の愛が少女の命を守る。 そして、致命傷を負いながらも最後の力を振り絞って娘を安全なところに避難させ こと切れる。

 まさに、母からの最期の施し。

読者に叩きつけられる残酷な死

 そして、この漫画には直接的な死の描写は無いと安心しきっていた読者に叩きつけられる、これ以上ない残酷な死の描写。 まさに痛恨の一撃だ。 唯一の救いは、その朽ちて逝く人が馴染みのある登場人物ではないことだ。 このお母さんは、死の描写を入れるためだけに登場したキャラクターではない。 この大戦で理なく命を奪われたすべての人々の象徴なのだと思いたい。

作者の怒りの正体

 私は、このエピローグ連作で作者は怒りを抱えているのではないかと思っていたが、その怒りの理由がわかったような気がする。 作者が怒りを覚えていたのは、自分自身だったのだ。 この時代の作品を描くのに、直接的な死を描かないことへの違和感。 きれいごとで済ますことへの罪悪感。 いかに ばけものや座敷童子が出てくる漫画の中とはいえ、直接的な死を描かずに終わらせてもいいのかという葛藤。 ちゃんとした”死”を描くことで、この作品も終わりを迎えられるのだ。

しあわせの時間

 ”いま此れを讀んだ貴方は死にます”と、やはり不幸の手紙を装いながらも見せるのは、みんなのしあわせなひと時。 伯母さんと縁側談義をするおかあさん、久夫の教科書を見入る径子、そして、ここからなぜか時間は遡りはじめ、夜勤明けから帰ってくるおとうさん、(すずが朝餉の支度をする間も)眠る周作、回覧板を届ける在りし日の晴美、そして、呉の生活にも慣れて懸命に働くすず。 戦中でありながらも、日々の中のしあわせな瞬間瞬間が切り取られる。

また竹林

 ここで、幸せなひと時の舞台として”竹林”が出てくることに注目。 ”竹林の七賢”の例えがあるように、静かに物思いにふける場所とのイメージがある竹林は、第18回で すずが周作とリンの関係に気付く場所として選ばれていた。 「こっこさん」や「長い道」にも重要なキーワードとして出てくる”竹林”は、作者にとって どんな位置づけなのだろうか? 花言葉から見てみると、「節度」や「節操のある」というのがあるが… 

みぎてから私たちへ

 なぜか自分の意志を持ち始めたみぎてによって綴られる”しあはせの手紙”。 ああ、そうか、これはこの時代の人々から私たちへ向けられた手紙だったのだ。 自分の意志に関係なく、志半ばで生きることをやめさせられた この時代の人々から、当たり前のように”自由”と”平和”を満喫しながら、日々を怠惰に生きる私たちに。  

絆をつなぐ広島海苔

 広島駅前で汽車を待ちながら、(きっとおばあちゃんが握ってくれた)俵型のおむすびを食べている夫婦。 そのおむすびを落としちゃうのはいかにも すずらしい(右手が不自由なこともあるけど)。 しかし、そのおむすびが少女と すずをめぐり合わせる。 すずの右手がないことに気付き、母の記憶と結び付け、今拾った獲物を右手の無いその人に差し出す。 野性児だった少女が人間に戻る瞬間。 無いはずの右手が二人を結びつける。 

 ”過ぎた事 選ばんかった道 みな覚めた夢と変わりやせん”、”人が死んだら記憶も消えて無うなる 秘密は無かったことになる” 中巻で周作とリンが言った印象的なセリフ。 しかし、ここでもすずは これらの言霊の呪縛を断ち切る。 無くなったものでも、新しい絆を生み出すことが出来るという、すずとみぎてからのメッセージだ。 

 そして、ここでもまた広島の海苔が”めぐり合わせ”を演出する。 かつて、すずと周作を引き合わせ、少女を爆風から守り、そしてすずと少女を結びつける。 例の映画の”現役女子高生の唾液からつくられるお酒”みたいに、広島海苔はもっとブレイクしてもいいと思うんだけどな。

「よう広島で生きとってくれんさったね」

 すずの無いはずの右手に抱きつく少女。 二人の腕のアップで発せられるこのセリフは、もちろん すずの言葉ではあるが、同時に作者から祖母の世代への言葉でもあり、読者から広島の人へ送られる言葉でもある。 そして、この時代から9年半後に、皆実の心を救う打越の言葉でもある。 

「ほうよ ここが呉↑」

 呉の人は「くれ↑」と言うときに、”れ”にアクセントを付けるという。 ”クレラップ”のイントネーションだ。(ちなみに私は、クレラップのクレハ化学が呉市と無関係ということを、つい最近知りました。) 劇場版の前半では、すずが広島人のイントネーションだったのが、このシーンでは見事に呉人のイントネーションとなっており、名実ともに呉の人となったことが印象付けられている。 これは片渕監督のこだわりの演技指導だそうだが、この微妙な変化を広島県人は気付いているそうだ。 少なくとも、某自動車会社のとある部署では、この話題で盛り上がったそうだ。

三角兵舎

 中通りを通って長ノ木へ向かう途中に見かける三角兵舎。 これは、7月1・2日の呉市街地空襲で焼け出された市民のために、軍がわずか1週間で2000戸建てたものだ。 

巻末に置かれた意味

 灰ヶ峰に向かって歩みを進める3人。 歪んでいた世界が、鮮やかな色彩とともに元に戻る。 この作品を通して最大のクライマックスとなる感動のシーン。 中綴じ週刊誌の巻頭カラーページの対となる巻末の上質紙のページを与えられていながら、ずっとモノクロで通してきた本作が満を持して送るカラーページ。 この瞬間のために2年間、溜めに溜めたからこそ得られる感動。 まさに編集部との信頼関係があってこそ成立した奇跡の連載だ! 


 照れているのかと思えば、実は少女の持ってきたシラミと蚤で痒かったのだというオチ。 的確な指示を出す おとうさんと おかあさん。 パシリの本性がにじむ周作と遠慮がちなヨメ。 DDTの解説役の小林夫妻。 そして、愛娘の形見を惜しげもなく差し出そうとする径子。 本当に、それぞれの人物の性格がよく出たラストシーン。 そしてまた、自分がもう作品世界に干渉できないことを語る みぎて。 

世界の歪みは解消されたよね?

 ところで、これで世界の歪みは解消されたのだろうか? ラストカット、なんか周囲の柱や障子が微妙に歪んでいるようにも思えるが。 大丈夫! 第12回のところでも言ったが、作者はフリーハンドで描いているので、線画で描くときは結構歪んでいます。 ちゃんと右手で描いているはずです。

 もっとも、これが左手で描いてあったとしても、それはそれで良いのではないか。 左手で描かれ続けられていくうちに、次第に右手で描くのと同じクォリティになるのだということでも。 人の心はどんなに傷付いても、時とともに癒されていくのだ。

ハッピーでもエンドでもない

 これで、この奇跡の連載は終焉を迎えるが、それはけっしてハッピーエンドではない。 ハッピーでも、エンドでもないのだ。 すみや知多さんの原爆症がどうなるのか? 森田のおじちゃんや知多さんの家族は帰ってくるのか? 作中では全く語られない。 すみの容体が急変するかもしれないし、一生 辛い闘病生活を送るかもしれない。 森田のおじちゃんは極寒のシベリアで強制労働をさせられていて、故郷に帰る日を夢見ながら凍死していくのかもしれない。

 日本にいる人々にだって安寧な時はなかなかやっては来ない。 戦後の食糧難と不況は延々と続くのだ。 農村の食糧生産力は回復していないのに、戦地や元植民地から続々と人々が帰還してくるのだ。 街は失業者で溢れ(なにしろ最大の雇用先の軍隊や軍需工場が無くなったのだから)、限りのある食料を奪いあう。 食料配給制度は戦後しばらく続いていたが、配給だけではとても生きることは出来なかった。 第43回のように、人々は食料を分けてもらうために海へ山へ出かけて行ったのだ。

 私たちが中学生の頃、社会科の教師は この当時の食糧難を象徴する美談として、”山口良忠判事”の話しを好んでしていた。 山口判事は食糧管理法に反して闇市で いわゆる闇米を売る人々を裁く立場にあった。 そのような人々を裁く自分が闇米を食べてはいけないとの思いより、配給の食糧以外は口にしなかった。(家族には闇市のものを食べさせたという) そのため激しい栄養失調に陥り、22年の10月に亡くなった。 最近の教師はこのような話をするのだろうか?

 何とか再就職先を見つけた周作も うかうかしていられない。 急激なインフレを抑制するため、24年3月にデトロイト銀行頭取ドッジの進言によって始まった超緊縮財政により、日本は未曽有の大不況に陥る。 大小の企業が立ち行かなくなり次々と潰れていく一方、日本の労働者に浸透してきた共産主義思想を背景とする過激な労働争議が起こり、社会は大混乱する。 あのトヨタが潰れそうになるという、まさにTBSのTVドラマ「LEADERS」の描いた混乱の時代となる。 国鉄の下山総裁が轢死体となって発見される下山事件なども起こり、社会不安は増し、人々は一向にやって来ない明るい”戦後”に疑いを持ち始めるのだ。

 その混乱の時代に終止符を打つきっかけが、25年6月に始まった朝鮮動乱だ。 戦争によってもたらされた社会の混乱は、日本からの独立に夢と希望を抱いていたはずの隣国の内戦によって解消されるのだ。 何とも皮肉なことだ。 この朝鮮特需や、後の高速道路建設やオリンピック特需でようやく日本人は”もはや戦後ではない”と言えるようになるのである。 呉市においては、25年6月に「旧軍港市転換法」が施行され、平和産業港湾都市として再生が図られる。

 おとうさんも ようやく再就職できるかな? 個人的にはMAZDAに入ってもらって、ロータリー四十七士になってもらいたいが。

 日本の大陸進出に端を発した朝鮮半島の混乱は、今なお続いている。 北方領土問題もいまだに解決の糸口は見えない。 そして、中国・韓国は機会があれば日本の植民地政策の非道性を訴えることで、自国政策の正当性を強調している。 すずさんたちの世界の歪みは解消されたが、現実の世界はまだまだ歪みっぱなしなのである。

 話が大きくなり過ぎたが、この戦後の混乱は私たちのごく身近な人たちの人生にも大きな影響を与えたはずだ。 私事ではあるが、久夫と同い年の私の母は中学校に二日しか行っていない。 親が突然死んだので、翌日から兄と姉が働きに出、母は家に残り幼い弟・妹の世話をしたのだ。 社会保障も期待できない25年4月、まさに朝鮮動乱直前のことだった。 その後、朝鮮特需や名神高速建設などの恩恵で母の一家は何とか食いつなぐことが出来、弟・妹も無事に義務教育を終えることが出来た。 子育て(?)が一段落した母は自身も大阪に就職口を見つけ、やがて私の父と出会って はるか遠い山口にヨメに来た。 姑は私の誕生を見届けたのちにすぐに鬼籍に入ったが、まだ我が家(まさに私の実家)には父の妹・弟が3人も居た。 当時は大変な貧乏暮らしを強いられたそうで、家の半分を他人に貸して賃料を取っていたそうだ。 当時のことを振り返って父が言うには、「お母さんは大変な苦労をした、本当は家に帰りたかったのだろうが、家に帰る汽車賃もなかったんじゃけぇ」ということだ。 そんな苦しい生活だったが、やがて小姑たちも独立し、私と弟もすくすくと育ち(幸い二人ともいい子だったので)、生活も軌道に乗ったころに母は夫婦の長年の夢である新居建設費の足しにと、市内のとある施設に働きに出た。 やがて仕事にも慣れた母は、少しでも条件を良くしようと ある国家資格を取ろうと、毎日熱心に勉強していた。 そんなある日、私が学校から帰ると、母がその資格の参考書を風呂釜に焚きながら泣いていた。 中学を卒業していない母には、受験資格が そもそもないということを知ったのだ。 その時の母の悔しそうな後姿は今でも私の記憶に刻みつけられている。(まあ、原付の筆記試験も受からなかった母ではあるのだけど) 戦争が終わってから30年も経った日の出来事である。 そういえば、母は本を読むのが好きだ。 来る日も来る日も公民館で本を借りて来ていたものだ。 それは、若き日に勉強が出来なかった分を何とか取り戻そうとしていたのかもしれないな。


 戦争が終わったからといって、けっしてすぐには心休まる日々はやって来ない。 でも、それでもこの作品の人たちは日々を懸命に生きていくのだろう。 そして私たちのいる この世界に希望の灯をつなげてくれるのだろう。

なぜ、21年1月に終わるのか?

 この物語が21年1月に終わるのはなぜだろう? 歴史上の出来事を紐解くと、劇場版公式HPの年表にもあるように、この月に”憲法改正要綱”が発表されている。 日本が新しい国に生まれ変わることを確信しながら、ようやくこの物語は終わりを迎えられるのだ。 うむ、きれいにまとまっている。 美しい締め方だ。 だが、現実は甘くない。 この時に自由党が公表した”憲法改正要綱”は、明治憲法を踏襲しすぎていたためにGHQから”ボツ”にされているのだ。 新憲法で日本が生まれ変わることを実感しながら終わるのなら、GHQ案をもとにした”憲法改正要綱”が出された21年3月であるはずだ。

 1月になる理由は やっぱり よくはわからないんだけど、2月だと少女が飢えと寒さで危険だからじゃないかな?と、とりあえずはそう思っておこう。



参考文献ほか

 巻末の参考文献一覧には、呉や広島、そして時代や風俗を表す資料がずらりと並ぶ。 その中で特筆すべきなのが、”時代について”の筆頭に挙げられている、「戦争中の暮らしの記録」(暮らしの手帖社刊、初版発行44年8月)だ。 これは、全編が読者から寄せられた戦争体験集で構成されている、「暮らしの手帖 96号」(43年8月)を書籍化したものだ。 H28年のNHKの朝ドラ「とと姉ちゃん」のクライマックスのエピソードとして、この号の話しが取り上げられていた。 この本の序文にあたる「この日の後に生まれてくる人に」という文章は、暮らしの手帖編集長の花森安治が無署名で記したものだが、その内容は「この世界の片隅に」執筆の精神と相通ずるものがある。 おそらく、この本は作者に多大な影響を与えたものと思われる。 この序文だけでも一読の価値はあると思うので、一度手に取ってみてはいかがだろうか。

 お世話になった施設には、大和ミュージアムや国立国会図書館、戦争中の子供の遊びや「愛國イロハカルタ」を参考にされた”日本独楽博物館”などが並ぶが、聞き慣れないのが ”しょうけい館”だろう。 これは、戦傷病者資料館(東京都千代田区九段下)のことで、文字通り、戦争で負傷したり疾病を患った方たちと そのご家族たちの証言や貴重な資料が集められている。 戦争が終わった後も、戦傷病者とその家族のご苦労は続く。 この方たちの話に耳を傾け、作品に反映させようとした作者の真摯な取材姿勢に感心するが、一方で爆弾や砲撃によって負傷した人たちが どのようなダメージを受けるのかを探ろうとした、作者の冷静な製作者としての目線もうかがい知ることが出来る。   

あとがき

 これだけの大作の割には、あとがきは短いような気がする。 「正直、描き終えられるとは思いませんでした。」という作者の告白。 万感胸に迫るものがあったのだろう。 この作品は、作者の多大な努力だけではなく、さまざまな天佑と奇跡に助けられて完結を迎えることが出来と思う。 作品完結後の劇場版製作過程においても、信じられないほどの偶然や奇跡(劇場版準備室の最初の事務所が「街角花だより」のモデルになった花屋の上なんて奇跡以外の何物でもない!)が起こっている。

兄妹から少女へ  

 巻末、久夫が浮かべた船に晴美が花を添えて少女に届けられる。 その花は、やはり”つめくさ”だ。 この花の花言葉は”私を思い出して”ということは以前にも書いたが、この花にはまだまだ別の花言葉がある。 それは”約束”であり、そして”しあわせ”である。

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第44回 人待ちの街(21年1月) [下巻]

「第44回 人待ちの街(21年1月)」 掲載’09年(H21年)1月20日号 (発売日 同年 1月6日ころ)

サブタイトルが…

 これまでのエピローグ3作は、サブタイトルにその回の中心人物の名前が掛けてあった。 (りんどう、鳥) しかし今回は、”待ち”と”街”。 てっきり浦野家が掛けてあるかと思ったのだが… ひょっとしてアナグラムになっている?

まだ戻ってない おじちゃん

 草津の森田家を訪問するすず。 終戦から5か月。 しかし、おじちゃんはまだ戻っていない。 というか、この作品では水原以外は誰も戦場から戻ってこない…

具合の悪いすみ

 劇場版でこのシーンを見たとき、私は すみは過労で倒れていて、腕のあざも点滴を打った跡だと思った。 いや、思おうとしていた。 頭の中で、真っ先に疑うはずの原爆の後遺症の可能性を本能的に排除していた。 当時の読者の感想にも、『最終回直前でこの流れはキツイ』というものがあった。 それほどまでに辛い展開。 さらに追い打ちをかける すみの告白。

たった3コマで語られる両親の死

 おかあちゃんとおとうちゃんが既にこの世にいないことが、たった3コマで語られるのだ。 作者はこの展開があるから、左手描写を続けたのか? 本当に辛すぎる展開。 しかし、それは70数年前の日本に実際にあったことなのだ。

すみが見た地獄を想像できるか?

 ”早う来れんでごめん”と言う すずに、”早う来んでえかったよ”と返す すみ。 自分の身も辛いのに、それでも姉を気遣う心優しき娘。 ”早う来んでえかった”と言う言葉の裏に、どれだけの辛い思いをしたのか... 

 この作品は、読み手の年齢や経験に極度に依存する作品である。 すみが味わった地獄の体験は、私たちの世代と若い人たち、そして私たちよりお年を召した世代では見えている景色がきっと違うと思う。 実際に戦争を体験した人には及ばないとしても、私たちの年代(30年代生まれ)は、かろうじて すみが見たのと同じ景色を想像できる最後の世代ではないだろうか? 戦争や原爆の記録映画が学校で強制的に上映され、映画やドラマや絵本で戦争を疑似体験できた世代。 そして親から戦争時のつらい体験を聞けた世代。(私の場合は”ひもじい”しか聞いたことがないが) そして何より、「はだしのゲン」をリアルタイムで読んだ世代。

 最近、この作品を引き合いに「はだしのゲン」を全否定する論調を見かける。 たしかに、その直接的、暴力的な表現や、徹底した反戦思想、そして作者の政治的な言動に、近年は同作を毛嫌いする人が多いのも事実だ。 しかし、だからと言って、「はだしのゲン」の作品価値自体が貶められる必然はない。 間違いなく、「はだしのゲン」は日本漫画史に輝く金字塔の一つであり、それが「少年ジャンプ」という雑誌に連載されていたという奇跡に、私たちは感謝しなければいけない。 極論すれば、「はだしのゲン」がなければ私たちは”すずさん”には会えなかったのだから。

 「ゲン」が原爆を漫画で描くという道を切り開かなければ、双葉社の編集者は広島出身という理由だけで(いくら秘めた才能があったとしても)、4コマ誌周辺でしか活躍経験の無い一女性作家に”ヒロシマ”の漫画を勧めたりはしなかっただろう。 「ゲン」という作品を読んでいなければ、その女性作家は「ゲン」とは違う方法で、いかに自分らしい作品を生み出すかということに苦しんだりはしなかっただろう。 しかし、初めて手にした漫画が「はだしのゲン」の2巻だったという その女性作家=こうの史代は苦しんで苦しんだ結果、「夕凪の街」という作品を世に問い、それが世間に認められ、作家としての地位と信頼を得、自分の思い描く作品を(ある程度)自由に描ける機会を手にするのである。 「はだしのゲン」がなければ、こうの史代という作家は 一部では評価されたではあろうが、その活躍範囲が4コマ誌、あるいは同人誌周辺から抜け出すことはなかったかもしれないのだ。

 そして、その「はだしのゲン」を読んでいるからこそ、私たちは「夕凪の街」の皆実が”しあわせ”だと思うことを 何故あれだけ恐れるのかを、すみがどれだけの地獄絵図を見て来たのかを、そして、その地獄をすずに見せなくてよかったとどれだけ心の底から思っているかを想像できるのだ。

 おかあちゃんと、そして行方の知れぬ将校さんを広島市内で必死で探しまわった すみ。 あまりにも過酷な運命をすみに背負わせた作者。 ”治らんとおかしいよ”と言うセリフのとき、手のアップだけで顔は見えない。 これにより、このセリフは読者の願いにもなり、そして作者自身の祈りにもなる。

すみが助かる未来だってある

 劇場版を見た人の感想を見ると、すみがこのまま亡くなってしまうと思っている人が実に多いことに気付かされる。 また、H29年5月時点で、Googleで「原爆症」と入力すると、予測変換の筆頭に”すみちゃん”と出てくる。 非常に多くの人が すみの行く末を案じていることはよく分かる。 作者が結末を明示していない以上、すみの生死を左右するのは、実は私たち自身の想像力と正しい知識なのだ。

 すみのように、めまいや虚脱感、そして皮下出血の症状が出ても、戦後50年以上生存された方は、実は多くいらっしゃる。 被爆の深刻さは当然、どれだけの強さの放射線をどれだけの時間浴びたかという”被爆量”が左右する。 現在では線量計があり、原発の作業員は厳密な年間被爆量の管理を行いながら作業されているが、戦後間もなくは 当然そのような計器はなく、入市した人たちがどれだけの量 被爆しているかは知るすべがない。 しかし、経験則より 被爆者の生死を分かつものとして、原爆症の発症時期が(結果論的ではあるが)大きく関与していることがわかってきた。

 広島の平和記念資料館の資料によれば、9月10日までに発症した人は重篤な状態にあり、そのまま亡くなってしまうという。 しかし、9月10日以降に発症した人たちは比較的症状が軽く、回復する可能性も高いのだという。 もちろん、おとうちゃんや 「夕凪の街」の皆実の姉 霞のように、10月になってから発症して亡くなる方もおられるし、適切な治療を受けられずにそのまま亡くなってしまう方もおられる。 ただ、すみにだって生存する可能性は十分にあるのだ。

 だが、仮に すみが回復し生き永らえたとしても、けっしてバラ色の人生が待っているわけではない。 常に再発との恐怖と戦いながら生きて行かなければならないのだ。 皆実が30年の9月に亡くなるのは決して偶然ではない。 広島市、長崎市の白血病の異常発生率は原爆投下後 徐々に上昇していき、7年目から8年目で頂点に達するのだ。 白血病の異常発生率は その後徐々に下がり、40年ころには被爆していない人たちと同等のレベルになっていくが、今度は がん の発症率が上がっていくのだ。 ”てっきり死なずにすんだ”と信じ、新たな生活に再び夢をかけようとした矢先に、突然の病魔が襲ってくる… 被爆者の方たちは そんな恐怖に打ち克ちながら、人並みの日常を勝ち取るために日々を戦い抜いておられるのだ。  

 すみ が適切な治療を受けられるかもわからない。 原爆症に対する直接的な治療法は、実は現在においても確立されていないと言ってもいい。(新陳代謝を高める方法が取られるようだ) 原爆投下直後は、誰も放射線による人体影響はよく分かっておらず、玄米のような自然食が良いといったような迷信まがいの方法だったり、当時 開発されたばかりの抗生物質 ストレプトマイシンが効くということが一部で信じられていたようだ。 ストレプトマイシンが日本で正式に販売されるのは25年からであり、それまでは高価な輸入物を怪しいルートで入手したのであろう。(ストレプトマイシンがはたして原爆症の治療に効果があるのかは不明だが、免疫力の落ちた患者の感染症予防には効果があったかもしれない) 

 また、現実問題として、月々の医療費も生活を圧迫する。 第42回のところでも触れたが、被爆者への医療支援は遅れに遅れる。 原爆手帳保持者への医療費支援の開始は、すみが34歳になるときまで待たないといけない。 そして、入市被爆者である すみもまた、原爆手帳がすぐに交付されるかどうかはわからないのだ。 

 そして、(これは「桜の国」のテーマでもあるが)被爆者に対する云われなき差別とも戦わなくてはいけない。 福島からの避難者に対する差別的言動の例を見るまでもなく、無知、あるいは偏った知識による偏見が、日本に今なお根強く残っていることを、はたして すみちゃんや知多さんはどう思うだろうか?

鬼ぃちゃん冒険記

 かつて、学校の床下に消えたはずの すずの鉛筆で描かれる「鬼ィチャン冒険記」。 今回は4ページ増の12ページだが、うち3ページが、この「鬼ィチャン」のためにわざわざ割かれている。 上巻の「鬼ィチャン」はページ数調整のための描き下しだったが、今回は本編に最初から組み込まれている。 上巻を見てない人は何じゃこれ?と思うだろう。 この描き下ろし3本で、鬼ぃちゃんが”ばけもん”となることが示される。 

 この作品に、なぜ”ばけもん”が登場するのかは、多々の議論があるところだろう。 私は、”ばけもん”は読み手にとっての 心の安全弁として置かれていると思う。 特に下巻では辛い展開が続くので、この話しはノンフィクションではない、あくまでも まんがのお話しなのだと、読者の心に逃げ道を用意してくれているように思うのだが。

足元の骨

 川舟から降りたすずの足元に転がる人骨。 この作品では描かれないが、それは「夕凪の街 桜の国」のコミックス22ページで描かれた人たちのなれの果てだ。

戦災孤児たち

 江波の実家に戻ったすずが遭遇するのが、勝手に留守宅に上り込んでいた戦災孤児の兄妹たち。 戦争で親を失った戦災孤児は23年時点の調べで、全国で28248人いるとされた。(下表参照)

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 注目すべきなのは、広島県の孤児数が全国で一番多いことだ。 東京大空襲を経た東京都の数をはるかに凌いでいる。 原爆で一瞬にして両親を失った子が いかに多かったのかが、このデータからもわかる。 また、孤児の中で何らかの施設に保護されていない、いわゆるストリートチルドレン化した孤児の割合も広島が抜きんでて多い。 なお、上記表の数は、あくまでも公式に確認された孤児の数であることを忘れてはいけない。

連絡乞う

 江波の実家の、おとうちゃんが描いたと思われる貼り紙には、お母ちゃんだけでなく、鬼ぃちゃんが帰ってくることをも想定している。 おとうちゃんは家族全員の再会を願っていたのだ。

「太田さん?」

 広島市内のシーンで、私は画面の隅に皆実たちが描かれていないか探してみた。(「長い道」の中に”やよいちゃん”や”チクリン”が描かれているように) しかし、作者は別の方法を取っていることを公言している。 すずが「太田さん」と間違えられているが、これは「桜の国」の主人公 七波の母、京花の旧姓である。 こうの作品では、それぞれの作品世界が少しずつつながっている。

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 作中の時代がラップしている この2作もまた、こうして少しだけ関連づけられているのだ。(さんさん録には東子とその娘が出てると思うんだけど…)

今回の主役は?

 みんながどこかに傷を抱え、そして誰かを探している広島の街。 そうか今回の主役は浦野家だけでなく広島の街、広島の人々でもあるのか。 だから「人待ちの街」なのか。

なぜボケるっ!!!

 主人公が作品のタイトルの元となったセリフを言い、夫婦の永遠の愛を誓う。 この作品の恋愛パート最大のクライマックスだ。 もうこのまま、「永い間ご愛読いただきありがとうございました。 正直、描き終えられるとは思いませんでした。」とフィナーレになってもおかしくない展開。 なのに、なぜここでボケるっ!!! 作者のテレ隠しか? それとも、まだ終わらせられないことがあるのか? 何よりも、左手による背景描画がいまだに続けられている。 やはり、このままでは終わらせられない何かが作者にはあるのだろう。 作者のこの静かな怒りは、いったいどこから来ているのだろうか?

 それにしても周作がかわいそうだ。 第31回で危惧していたことが、よもや現実になろうとは。 劇場版では、このすずさん史上最大のボケが周作に優しい仕様に改編されている。 ブルーレイ&DVD化の際には、映像特典でもいいので、ぜひこの原作のオチを収録してほしい。(のんの”すんません”が聞きたい。)




21年1月1日、天皇の人間宣言が出される。 古い日本の体制(それは明治維新後に急造されたものなのだが)が少しずつ解体されていく。

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第43回 水鳥の青葉(20年12月) [下巻]

「第43回 水鳥の青葉(20年12月)」 掲載’09年(H21年)1月6日号 (発売日 H20年12月16日ころ)

再び同期する年月

 ”3回目の7月”によって歪みが生じていた作中の年月と読者の年月が、再びこの回から同期し出す。 これは何かの予兆か?

まだ防空頭巾かぶってる

 物々交換に出かける刈谷さんと すず。 戦争は終わったのに いまだに防空頭巾をかぶってる。 防寒具としてすっかり定着してしまったようだ。

全員分のバケツ

 リヤカーの上には隣保班全員分のバケツが。 体調の悪い知多さん、ご高齢の堂本さんたちを代表して、体力だけはありそうな この二人が選抜されたのだな。

立ち止まる刈谷さん、立ち止まるすず

 隣保館の前で立ち止まる刈谷さんと、あの道で立ち止まるすず。 いい米兵さんから貰ったチョコのかけらをお供えに。 すずと晴美が遭難したのは呉市宮原あたり。

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 現在は国道487号線が走っています。 劇場版の製作過程で、監督たちが原作者からのヒアリングをもとにこの場所を特定し当時の写真を探したところ、二人が遭難したと思われる付近の塀が本当に崩れていたという。

猛烈なインフレ

 道中、闇市の場面で当時の物価が書いてあるが、砂糖が一斤180円になっている。 第13回(19年8月)の時点では一斤20円だったので、実に1年半で9倍の猛烈なインフレである。(特に砂糖は公定価格の267倍を記録した) これは物資不足に加え、政府が復興優先で無分別に通貨を発行し続けたためだ。 小手先の対策は数回行われたがインフレは留まるところを知らず、24年3月のドッジラインまで続くことになる。

 ところで20円と言えば、現在開催中の原画展限定販売の「二十円Tシャツ」のデザインが素晴らしい! もう一つの「ホー、ジョー、スズTシャツ」も秀逸で、この企画をした人に拍手を送りたい。

音戸の渡し

 すずたちは市内から宮原~警固屋へ抜けて、音戸に渡ったようだ。 音戸は第二音戸大橋が出来た現在においても渡し船が残っている。

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 音戸大橋と音戸の瀬戸。

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 第二音戸大橋と音戸の渡しの案内(灰ヶ峰山頂の掲示板より)。 音戸の渡しは日本一短い航路らしい。 作中は当然手漕ぎ船であるが、リヤカーが載るくらいだから結構大きな船ですね。

物々交換

 ステレオタイプな戦時下の描写を嫌う本作だが、やっぱり戦中戦後の物々交換の農家さんは怖そうに描いてある。 作品によっては欲の塊のように描かれる農家だが、基本的には彼らも善意で交換に応じてくれたんだろう。 なにしろ、物交に持ち込まれる品が すぐに換金できるわけではないのだから。 すずの花嫁衣裳、径子のモガの服、そして刈谷さんの一張羅すべてが食料に代わる。 すずは後年、友禅を買い戻しに来るのかな?

 ところで、海水くらい呉港で汲めよ!と言いたいが、軍艦から漏れる油で汚れているのかな? 音戸の瀬戸の速い潮流の海水のほうが安全でおいしいのだろうか?

二重の別れ

 刈谷さんの告白と水原との再会に驚き、水原の無事と晴美への思いに微笑むすず。 すずの表情に二重・三重の意味が重なる複雑な構成だ。 そして、周作がリンと笑って別れられたように、すずにとって水原も思い出の人となる。  

横たわる青葉

 青葉が横たわっているのは警固屋の沖。 現在、アレイからすこじまの潜水艦桟橋の前から音戸大橋(古い方)に向かう487号線沿いに青葉の碑がある。

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 警固屋高架橋下で見かけた、青葉の記念碑の案内。 後で地図を確認したら、私、気付かずに記念碑の前を素通りしてたみたい。 いや、ふつうは海側にあると思うでしょ...(碑は487号線を音戸に向かう際、山側にあります)

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 こちらは長迫の海軍墓地にある青葉戦没者の慰霊碑。 発起人に水原も名を連ねているのでしょう。 海軍墓地の慰霊碑はどれもきれいに管理されていました。

 なお、青葉の艦首から外された菊の御紋は、江田島の第1述科学校(水原の兄が通っていた海軍兵学校)の教育参考館に展示されています。 一般参観も出来ますが、教育参考館内は撮影禁止です。

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 教育参考館外観。 写真左手は大和の砲弾(風防付き)。

水原は何故 ”いま” ここにいるのか?

 ところで、何故 水原は”いま”ここにいるのか? 水原のような下級の水兵には残務整理もないし、8月の末か9月には除隊して江波に帰ってるのではないか? なぜ、12月にこの地に居るのだろうか? そこで、もう一度 作中に残されたメッセージを思い出してみる。 前回の”音戸”というキーワード、そして第36回の軍艦配置図に”わざわざ”書き加えられた大浦崎の「特攻基地」の文字。 まてよ、水原は呉沖海空戦の時(第36回にあたる)、青葉に乗艦していたのだろうか? 

 すでに外洋に出ることの叶わぬ青葉は”防空砲台”として鍋沖に係留されていた。 航海しないのだから、乗員も正規の数は必要ない。 ここで大胆な仮説だが、水原は水上特攻隊員に志願させられていて、大浦崎のP基地で水上特攻兵器の”蛟龍”または人間魚雷”回天”の乗員として訓練を受けていたのではないか? ひょっとしたら、既に本土決戦要員として どこかの基地に配属されていたのではないか? だから、今ようやく呉に帰還し、青葉に会いに来ていたのではないのか?

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 大和ミュージアムの「回天」試作機。 手前は零戦の62型(かなりレアな機体です)。

 全く逆の発想もある。 すでに江波に帰還していた水原は、これから新たに出征するため、青葉にしばしの別れを告げに来ていたのだ。 出征と言っても悲惨な戦いではない。 たとえば復員船の乗員として復員局に赴く途中であるとか… 音戸の三ツ子島(現在は輸入塩の集積地で真っ白な外観である)の北に係留されていた空母「葛城」はいまだ健在で、戦後は復員船として活躍するのだが、ベテラン乗組員が不足していて満足に動かすことが出来なかったという。 操艦マニュアルも終戦時に機密保持で燃やされており、機関長が三ツ子島西に横転していた同型艦の「天城」艦内に潜り込んでマニュアルを持ち出し、ようやく航行が出来るようになったほどだ。 復員船の乗員として戦地からの兵士の帰還のために、新しい日本つくりのために働くのだ。

 あるいは、掃海部隊に志願して入隊するのかもしれない。 第二復員局総務部に”掃海課”が出来るのは21年6月だが、掃海活動自体は戦後すぐに始まっていた。 なにしろ、海上の機雷を除去しなければ復員船の運行も物資の輸送も出来ないからだ。(20年だけで51名の方が掃海作業中に”殉職”されている) 大好きな海に一日も早く”波のうさぎ”が帰って来られるように働くのだ。 水原の口元に笑みがこぼれているのは、”人間の当たり前”の生活を取り戻すために働けるという喜びからだろう。 

思い出の入れ物

 これから自分は亡き人の記憶の器として生き続ける。 ここでも、水原の”自分のことは忘れてくれ”との言葉に反し、思い続けることを選択する すず。 水原がすずの思い出の中の人になるように、水原の中にも すずが、晴美が、思い出として生き続けることを確信する。 ここに すずは リンのことも晴美のことも、そして水原のことも心穏やかに受け入れられるようになる。 すずも ようやく戦後を歩き始めることが出来たのだ。

なぜ すずは許されないのか?

 悲しみを受け入れ、力強く戦後を歩き始めた すず。 作中の時代と読者の時間の歪みも解消された。 それなのになぜ、左手の背景描画は終わらないのだろうか? 単行本を読みながら、”もういいかげんに すずさんを許してあげて!” そう叫びたくなる。 どうして すずは許してもらえないのだろうか? 私には、作者が静かに怒っているように思える。 作者の怒りはどこから来るのだろうか?   



今も呉を見守る晴美

 「この世界の片隅に」連載終了後のH22年ころ、こうの先生が呉市のために2枚組の観光ポスターを描き上げられた。 『オモヒデさがししませんか 大和のふるさと呉』と書き込まれた1枚は”過去編”にあたり、長ノ木から呉軍港の夜景を見下ろす幼き日の径子と周作が描かれている。 『思い出づくりしませんか 大和のふるさと呉』と書き込まれた”現代編”の1枚には、大和を建造したドックの現在の姿が描かれているが、そのドックを見下ろす道に小さく少女が描きこまれているという。 現代風の服を着てはいるが、本作の読者なら、それが晴美だとすぐに気付くという。 そう、晴美は今も呉の港を、呉の街を見守っているのだ。

 このポスターの話しを聞いた時、私は無性にそれが見たくなった。 そして呉に行くことに決めたのだ。 




12月17日、衆議院議員法が改正され、女性に参政権が与えられる。 ようやく日本も近代国家となっていく。

同じく12月、呉市中通りに映画館が復活、市民の暮らしに明るさが戻り始める。

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第42回 晴れそめの径(20年11月) [下巻]

「第42回 晴れそめの径(20年11月)」 掲載’08年(H20年)12月16日号 (発売日 同年 12月2日ころ)

晴れそめって?

 サブタイトルに聞き慣れない”晴れそめ”という言葉が。 初め? 染め? 広辞苑で調べると、「晴れ始める」こととある。 つまりは ”晴れ初め”ということ。 オープニングタイトルページで、径子が歩く道の後ろの塀は戸板が外れている。 これは”あの道”の暗示。 今回は径子が戦後を歩き始めたという話だ。 そういえば、今回の径子はいつもより凛々しく描かれているような気がする。 いや、径子は日ごろから身だしなみをきちんとしているので、いつもこのような出で立ちであるはずだが、何か心の中のけじめがあったような感じが。

 11月といえば、本来は晴美の七五三があったはず。 なにかの行事をしたのか? あるいは… 納骨を済ませたのか? 

みぎての暴走

 それにしても、いよいよ みぎてがやりたい放題である。 進駐軍のジープの轍に沿って、径子の歩みに沿って、径子の半生はおろか 手当たり次第に描きまくっている。 まるで、自分が何者かを必死で探しているかのように。

知多さんの行くみち

 買い出しに行く途中に出合った知多さんにも原爆症の症状が出ている。 まぶしいと言っているので原爆性白内障の疑いもあるが、入市被爆された方の中には白内障の症状が出ていなくても、強い日光に当たるだけで気分が悪くなる方もおられるとのことだ。

 知多さんや小林の伯父さんのように被災者の救援や近親者の捜索で爆心地に入られた方への支援は、実は遅々として進まなかった。 原爆投下直後の調査研究は軍部が中心だった。 米軍も22年3月にABCC(Atomic Bomb Casualty Commission)を組織したが、純粋に(軍事的な)研究を目的としており、その知見が被爆者の救済に振り向けられることはなかった。 被爆後数年は、(先に亡くなられた)肥田舜太郎医師のような個人的な支援活動が主だったのである。

 各地に支援団体が結成され始めるのは27年ころからで、28年1月にようやく広島市原爆被爆者治療対策協議会(原対協)が結成され、被爆者への体系的な支援活動が広がるのだ。 国の支援が始まるのはさらに後となり、32年4月に原爆医療法が施行され、被爆者健康手帳、いわゆる原爆手帳が発行され始める。 この原爆手帳を持っている人は治療や健康診断の”現物支給”を受けることが出来た。 被爆者の医療費自己負担分無料化が始まるのは35年8月からで、じつに原爆投下から15年も経過しているのだ。 しかし、その医療費無料化の恩恵を受けられるのも爆心地から2km以内で被爆したと認定された人に限られ、知多さんたち入市被爆された方への支援はさらにさらに後になるのだ。 今の我々の感覚からすると、なんと遅いことか! さらに絶望的なことを言うと、入市被爆された方の中には現在もなお申請が認められない方が多くいるのだ。

 自身も体調不良なのに すずの体を案じてくれる知多さん。 彼女の待ち人が一日も早く帰ってくることを切に願う。 知多さんはこの回が最後の登場となる。

原爆乙女と径子

 このように被爆者への支援が進まなかった背景には、被爆地以外の人々の関心の低さと正確な知識の欠如(=誤解)があったと思われる。 「夕凪の街」で、主人公 皆実の弟 旭が疎開先から広島へ帰ることを拒否したのも、この誤解があったからだと思われる。 このような一般の人々が被爆地への関心を持つようになる出来事が30年にあった。 原爆によって顔などに ひどい火傷を負った25名の女性が治療のために渡米したのである。 いわゆる原爆乙女の人たちだ。 彼女たちは30年5月にボランティア団体の支援で渡米し、治療の傍らアメリカのメディアに原爆の被害の実情を訴え続けた。 

 劇場版で径子を演じられた尾身美詞(おみみのり)さんは、女性演劇集団 On7のメンバーとして、原爆乙女を題材にした「その頬 熱線に焼かれ」(H27年9月)という演劇に出演された。 役作りのために他のメンバーと存命の元乙女の方たちと話し合いをされた尾身さんは、その重いテーマにどう演じてよいか迷われていたそうだが、元乙女の方たちから「演劇だから出来ることがある」「自分たちが語る以上の可能性があるかもしれない、自分たちの命があるうちに、今やって欲しい」と励まされ、舞台に立ったそうだ。 

 原作者のこうの先生は、劇場版公開後、”径子が良かった”という読者が増えたと感じておられるそうだが、それは尾身さんの魂のこもった演技の賜物だろう。

みぎてって何者?

 私は、みぎては すずの失われた右手を憑代として、この大戦で亡くなった すずの近親者(おかあちゃん、リン、テル、晴美)の魂か記憶が宿ったものだと思っていた。 だが、今回のみぎては径子と旦那さん(劇場版では”キンヤ”)の馴れ初めなど、晴美が知らない情報を描いている。 まだ、1ページ目では息子さんの消息を伝える手紙を読む刈谷さんも描いている。(刈谷さんの息子さんはお母さんが手紙を読んだかどうかは知らないはず) つまり、みぎては存命中の人の記憶をも描いているのだ。 みぎてはいったい何者なのだろう?

 すずには、幼いころより 場所やモノに刻まれた、人々の強烈な記憶を感じ取る力があったのではないか? だから、ばけもんや座敷童子と遭遇するのだ。 みぎてには記憶はないが、すずの人の記憶のかけらを感じ取る能力と、そして絵を描くという本能が引き継がれているのだ。 みぎては自分が何者か?を探すために、呉市中に散らばっている すずに近しい人々の記憶のかけらを追いかけては 片っぱしから描いているのではなかろうか? まあ、最終回には自分の意志を持っちゃってますけど。 


 径子の一家が離散する場面で晴美がたんぽぽを持っている。 たんぽぽには綿毛が飛び立つことより「別離」という花言葉があり、作者は別れのシーンのアイコンとして、この花を多用している。

座敷童子さんのパラドックス

 径子と旦那さんの馴れ初めのシーンの下に、貼り紙が落ちている。 「國防と産業 大博覧會」の開催時期を伝える作者注だ。 私、これ読み飛ばしてましたが、実はとんでもないことが書いてある。 同博覧会の開催時期が10年春というのだ。 径子と旦那さんの横には、やがてリンとなる少女の姿も描いてあるが、つまり、リンは10年の春には呉に流れ着いて朝日町に行っていることになる。 10年8月のこととされる「大潮の頃」に草津に居るはずがないのだ。 前回、きれいにまとまったはずのリンの半生が、音を立てて崩れ落ちていく。 これはどういうことか?

 一つ目の仮説は、作者がミスをごまかした説。 取材メモの混乱かなんかで、時期的な間違いがあるのに気付いたけど、こっちの方が謎を呼んで話が面白くなりそうだったので そのままにしたという説だ。 しかし、これには無理がある気がする。 「國防と産業 大博覧會」の会期が10年3月27日から5月10日までというのは、ちょっと調べればすぐわかるのだ。 作者も取材に訪れた”大和ミュージアム”の呉市のコーナーには、同博覧会の実物のポスターやパンフレットが展示してあり、会期は一目瞭然なのだ。 また、リンが同博覧会の時に呉に行ったというのは、ラスト5話の時点で初めて出てくるエピソードだ。 詳細な作品年表を作っているとされる作者が、このような単純ミスをすることは考えにくい。

 次の説は、すずが思い違いをしているという説。 第27回の時にも書いたが、これが一番わかりやすい。 一般の方から寄せられた戦災体験を読むと、私たちが知っている”史実”と異なることを書いている方が多くいる。 それは、当時の日記をもとに体験記を書いている人を除けば、多くの人は はるか昔の記憶を紐解いているため、事実の混乱や記憶間違いが多々あるのは仕方のないことだ。 これには月日の間違いや前後関係の逆転などがある。 また、最初から間違って覚えている場合もある。 体験記を残す人の多くは当時未成年で、特に軍事関係のことは周りの大人から聞かされたことを受け売りで覚えている場合が多い。 11航空廠で”ゼロ戦”を造っていたという証言は彗星や紫電との混同と思われるし、工廠内で水上偵察機”瑞雲”が落ちたと証言されている方の話は、実際この時落ちたのは 当時最高機密だった潜水空母伊四〇〇型の艦載機”晴嵐”だと思われるのだが、なにしろ軍事機密なので似たような機体でごまかされたのだろう。 

 幼いすずとリンとの触れ合いが描かれる「大潮の頃」は、全編が筆で描かれている。 つまりこの話自体が、晩年のすずが、おそらくは「呉の戦災を記録する会」が終戦50周年を機に募集した市民の戦災体験談のために、あるいは、孫やひ孫に戦前の話を聞かれて語ったものではないか? だから、ところどころ記憶があいまいで、9年8月の記憶と混同しているのだ。(だから、当時は生まれているはずの千鶴子も出て来ないのだ) 

 最後に、少しファンタジー的な仮説。 10年8月というのは正しく、座敷童子を見たのは すずの夢だった、あるいは すずの想像力の賜物だという説。 すずには場所やモノに刻まれた記憶を敏感に感じ取る力があり、それを類い稀な想像力で実際に起こったことのように具体化できるのだ。 前年の夏におばあちゃんに情けをかけてもらった時のリンの強烈な記憶が草津の家に刻み込まれており、すずはそれを本当に体験したことのように感じ取ってしまったのだ。 先にも書いたが、みぎてにはこの力が継承されており、街中の人々の記憶を感じ取って描きまくっているのだ。

 いずれにせよ、このリンのエピソードは読み手の想像力をたくましくさせ、この物語を単なるノンフィクションものとは一線を画す作品に昇華させることに成功している。

音戸ニテ待ツ

 もう一つ道端に落ちている紙切れ。 音戸にて待つという、ごく普通の安否を知らせる貼り紙のようだが… そういえば、この次の回で すずは音戸に出向き、その帰途、ある重要人物と再会している。 これは予告? それとも隠されたメッセージ?

生き別れた子と亡き子を並列に語れる母

 進駐軍にチョコをねだる子供たちを見て、遠く下関にいる久夫に思いを馳せる径子。 そして晴美のことにも思いを寄せる。 未だに寂しさは残るが、だいぶ落ち着いて晴美のことを考えられるようになっている。 やはり、何か精神的なけじめをしてきたのだろうか。

 なお、劇場版では進駐軍のジープ資料を大物アニメーターの大塚康生氏が提供している。 そのためか、この闇市のシーンで、進駐軍のジープを熱心にスケッチする大塚少年らしき人物が映っている。(画面右端)

飛び去ってゆく楠公

 残飯雑炊のうまさに思わず、USAならぬ”uma~”と叫んじゃう二人。 そして飛び去ってゆく楠公。 まるで第39回のパロディのようだが、楠公もまた、この国の正義の象徴なのだ。 惨めな倹約飯の象徴としてだけではない。 大東亜共栄圏の理想のために、その身を喜んで差し出す臣民たれと教えた皇国史観の象徴でもあるのだ。 わが国は米国の物量作戦の前に、物質的にも精神的にも完敗したのだ。 日本人は一度、完敗を経験したからこそ、今日のように再び這い上がれることが出来たんだと思う。 

径子の説教がガミガミでないわけ

 残飯雑炊だと家族におすそ分けが出来ないと気をもむ径子に進駐軍から貰ったチョコを差し出す すず。 すずの軽率な行動に対し、またまた くどくどと説教をする径子。 そういえば、径子の説教は一貫して”くどくど”であって、”ガミガミ”ではない。 しつこいけど、一応筋は通っているということか。 径子の説教(おかあさんゆずりだが)は、連載当初はキツイ小姑のものだったが、今の径子のそれは 実の姉が末妹をおもうものに、母が子をおもうものに変わってきている。

あなたを抱くチョコの宵闇

 径子の説教につられ、海苔の宵闇ならぬチョコの宵闇でエンディング。 ご丁寧にKUDOKUDOマークになっている。 森永製菓さん、ぜひこのチョコをコラボ商品のラインナップに。

いい米兵さん、悪い米兵さん

 進駐軍の中には”いい米兵さん”と”悪い米兵さん”がいた。 悪い米兵さんは下級兵士に多かったようで、公共機関の備品類を勝手にお土産に持って帰ったり、強盗まがいの大暴れを繰り広げたものも多くいた。 新聞の見出しでは、このような輩は”大男”として呼んでいた。

 いい米兵さんは上級の士官に多く、彼らは身の回りの世話をしてくれる子供たちに、「宿舎の中にある食べ物は、いつでも好きなだけ持って帰ってよい」といい、勉強を望む子には積極的に英語を教えてくれたそうだ。 彼らと呉市民との交流は、彼らの帰国後も続いたという。



11月6日、GHQより財閥解体指令が出される。 戦前の日本の貧富の差を増大させていた要因が取り除かれたわけだが、現在の日本においては財閥は”ケイレツ”という名で生き残っている。

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第41回 りんどうの秘密(20年10月) [下巻]

「第41回 りんどうの秘密(20年10月)」 掲載’08年(H20年)12月2日号 (発売日 同年 11月18日ころ)

右手がないことを思い知るすず

 1か月ぶりの掲載となる今回から最終回まで、サブタイトルが付くようになる。 

 右手を失った後も けなげに家事をこなし、わらじを編み、ハシゴにまで登っていたすず。 けして片手であることを言い訳にせず懸命に生きて来たのだが、この日はじめて片手であることの辛さを思い知る。 愛する夫の不安な手に自分の手を添えられないもどかしさ。 だからこそ、次のセリフにつながる。 

 ”右手・・・・ どこで何をしているんだろう”

漫画史に残るセリフ

 それは、本来は右手がない悔しさを、非常にすずさんらしい言い方で表したセリフであったはずだ。 だが、この物語において、このセリフはそれ以上の意味を持ち始める。 そう、画面の隅っこで何かをはじめようとする”みぎて”に読者が突っ込みを入れようとする矢先、このセリフが投げかけられることにより、読者は”ああ、右手は何か目的があってあれこれやっているんだな”と、なぜか納得してしまうのだ。 このセリフによって、正体不明のみぎては作中 何をやっても許される免罪符を得てしまうのだ。 

 こうの史代という作家は、各作品の中で幾度か、読者の心臓をえぐるような印象的なセリフを投げかけてくるが、このセリフは別格だ。 これは間違いなく、日本の漫画史上に刻まれ、末永く語られるべきセリフだ。 それが、”名”か”迷”かはわからないが。

リンの思い出

 そのみぎてがテルの紅(呉沖海空戦時に既にこの世のものではなくなっている)で描くのは、リンの歩んできた道。 ”半生”ではなく”人生”だ。 それは、すずが知る由もないリン自身の記憶。 その証拠に、すずが描けないあいすくりぃむを正しく描けている。

 親に売られ、奉公先を飛び出し、草津で情けを受け(このときすずと出会っていることが明示されている)、呉に流れ着き、遊郭の女衒にスカウトされる。 あいすをご馳走になっている時の着物は、すずが草津に置いていったものだ。 そし て遊郭で禿(かむろ)として働き、自身も水揚げされて、やがて周作と出会う。

周作と出会ったのは?

 遊郭で童貞を捨てるのは、この時代の男のたしなみとしては普通だったのだろう。 上官に連れられて行ったのか、はたまた、おとうさんに勧められて行ったのかもしれない。 さて、気になる周作とリンが初めて出会った時期だが、部屋にりんどうの花が飾ってある。 りんどうの開花時期は秋だ。 すると、18年の9月か10月? それで一目ぼれして、結婚すると言いだして、親戚一同に反対されて、それで12月にすずを探し出して縁談? ちょっとそれでは すずさんがかわいそうな気がするが、この一途さがいかにも周作らしいとは言える。 リンのほうの思いの募らせ方から見て、17年の秋に出合って1年間通い詰めて、そして18年の初秋に別れさせられたとしておいたほうが綺麗かな?

リンの喪失を受け入れているすず

 周作に促され向かった朝日町で見たものは、往時の面影さえない街の残骸。 このとき、すずがリンの生存を全く信じていないことに注目。 ”リンさんはどこかで生きているかも知れない”とは全く思っていないのだ。 ひょっとして画面には描かれていないが、喪失を確信させる何か… 遺骸がそこにはあるのか? 気になるのがこの回の最終ページ、最初のコマですずが握っているものだ。 これは何の残骸? ひょとして遺髪なのか??

あり得ない構図

 みぎてが描く(作者が本当に紅筆で描いた)紅のリンと、すずが寄り添う感動的なラストシーン。 しかし、これは普通の漫画では絶対にありえない構図だ。 正体不明のものによって描かれたものと本編の登場人物が寄り添うという漫画の常識を超えた演出。 しかし、この漫画が、この作者が、2年以上に渡ってコツコツと紡いできた物語の中においては、たとえ魔法のセリフなどなくとも、読者は何の抵抗もなく必然のものとして受け入れることが出来るのだ。

”悲しんでいる貴方を愛す”

 このりんどうの花言葉が、雑誌掲載時の欄外に編集部注として書かれていたという。 私は、リンの名は「街角花だより」の準主人公の りん(凜) から取られたものだと思っていた。 だが、実はこの花言葉から取られたものなのだろうか? リンという”悲しき”昭和の女性。 はたして、彼女には”居場所”はあったのだろうか? 世の漫画の中には、物語に起伏を与えるという目的だけに、あるいは主人公の心に影を刻むという目的のためだけに登場するキャラクターが凡百といるが、彼女は決してそのようなキャラクターではなかったと信じたい。 ただ、20年4月以降のリンの生きる目的が何だったのか? 本編ではまったく語られていない。 

 秘密を抱えて消えていくのも”ゼイタク”。 一方で、その消えていく人の記憶を受け継いでいくのも、また”ゼイタク”なものだという本作のメッセージ。 そして すずは、失われていく人の記憶を受け継いでいくということに、自らの生きる意味を見出していくことになる。

 リンという女性の物語、これで完結したかに見えたのだが…



10月24日、戦勝国を中心とした51か国により国際連合が発足する。 日本では”国際連合”と訳されているが、英語では”United Nations”となり、大戦中の”連合国 = United Nations”と全く同じなのである。 我々は国連というと、国際協調のための公平な機関と信じがちだが、常任理事国制や拒否権の存在など、今でも戦勝国連合の性格をそのまま受け継いでいるのである。 ”戦後”は まだ継続しているのだ。

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第40回 20年9月 [下巻]

「第40回 20年9月」 掲載’08年(H20年)10月21日号 (発売日 同年 10月7日ころ)

そうか戦争は終わったのか

 前回のシリアスな終わり方から一転し、今回はおちゃらけた台風の”目”から始まる。 そうか、もう戦争は終わったのね。 そして今回はなぜか”サスペンスホラータッチで展開される。

伯父さんも被爆

 体調の悪い伯父さんのかわりに屋根の修理に赴くすず。 伯父さんも入市被爆の疑いが…

何故、暴風雨の中 出歩くのか?

 それにしても何故、台風の暴風雨の中、みんな外出しているのか? 枕崎台風は、その進路上の気象台で次々と当時の史上最大規模の台風であることが観測されていた。 しかし、戦争の後遺症で各地に伝える通信手段が回復しておらず、その災害情報が市民に伝えられることはなかったのだ。 このため、多くの市民が準備するまもなく台風に巻き込まれた。 それに加えて被害を拡大した原因に山の荒廃がある。 軍港の機密保持のため、軍部は一般市民が山に入ることを禁じていた。 そのため山が荒れ放題となり、土砂災害の危険性が高まっていたのだ。 枕崎台風の被害は”戦災”でもあるのだ。  

敵前逃亡?

 おかあさんを流血させた周作。 占領軍の上陸とともに逃亡を計画しているが… 軍法会議の関係者が逃亡を図るということは、やはり捕虜の取り扱いが原因か? 第27回でも捕虜に対する裁判の準備をしていたが、7月24~28日の呉沖海空戦でも墜落した米軍機の搭乗員が多数捕虜にされている。

先を急ぐ女郵便配達員

 径子と間違えられた郵便屋さん。 劇場版ではおとうさんが海軍病院にいることを知らせる速達を径子に手渡す場面で登場しているが、原作よりもかなり若い設定になっている。 大戦末期の男手不足は郵便局にも影響し、呉市内の郵便の集荷・配達は徐々に遅れだしていたという。 人手不足解消に女給、芸者、人妻が徴用され、ついには登下校の小学生までも動員されたという。  呉市郵便局に勤めていた人の手記が呉戦災体験集にあるが、郵便物を集配の列車に間に合わせるため、呉駅の改札を集配トラックで強行突破、ホーム上で列車に横付けして無理やり詰め込んだという豪快な逸話が載っている。 7月の市街地空襲では、呉市郵便局の当直の職員が7人亡くなったという。

 肝心の郵便物をずぶ濡れにしながらも先を急ぐ郵便屋さん。 この時、彼女のかばんの中には多くの戦死通知、復員通知、家族の無事を伝える手紙が詰まっていたのだろう。 だから、たとえ暴風雨の中でも先を急がなければいけないのだ。 ひょっとしたら、彼女も家族に関する手紙を待ち望んでいるのかもしれない。

径子が職場復帰

 まるで貞子のように崖下から這いずりあがってきた径子。 驚くすずに再び奈落の底に突き落とされる。 そういえば径子が出勤しているのが描かれるのは久しぶりだ。 6月22日の呉工廠空襲の後は精神的ショックで、そして7月1~2日の市街地空襲では寺自体が焼失したと思われる。(29ページの径子の寺が描かれているあたりには、現在は鉄筋コンクリート製の寺がある。 なお、径子の寺の作画上のモデルは、当時は呉市ではなかった川尻町の光明寺さんだそうです。) 市街地空襲後、市内の寺社の境内では臨時の救護所や遺体安置所、あるいは遺体の火葬場が置かれていたそうだ。 径子の寺も臨時の寺院が置かれたか、あるいは住職さんたちが被災を免れた同宗派の寺院に身を寄せ、径子もそこの手伝いに行き始めたのだろう。

おとうさんのクワ

 工廠を解雇されたおとうさん。 軍部が解体されたので、軍人はもちろん、工廠の職員も解雇される。 おとうさんたちのように勝手に鍋や鎌を作って退職金を現物支給にする人や、工廠の官給品を(話し合い or 勝手に)持ち帰る人が多かったようだ。 モノ不足といわれていた大戦末期だが、それでも軍事工場には材料はそれなりに残っていたという。 中には夜中にトラックを横付けして大量に持ち出す人(上層部の人間に多い)や、軍の備蓄米を勝手に持ち出す人も多くいたという。

埋まった防空壕

 防空壕が埋まったと伯父さんが言っているのは、戦争が終わったから埋めたのではなく、たった今、裏山が崩れて納屋と防空壕を押しつぶしたということか。

すみからの手紙

 ずぶ濡れでインクがにじんだ手紙が草津にいる すみからのものだと分かる。 すずだけではなく、おかあさんも径子も喜んでくれている。 この時、おとうちゃんはまだ生きている。

北條家に笑いが戻った日

 ヨメの家族の無事が分かり一安心。 一方、外はあいかわらずの暴風雨、裏山は崩れ、一家の大黒柱は失業と、なかばやけくそながらも自然と笑みがこぼれる。 もう笑うしかない。 すずを含め、北條家の面々が久しぶりに腹の底から大笑いする。 ようやく北條家に笑いが戻ってきた...

遅れて来た神風

 そして、一家は遅れてやって来た”神風”を笑い飛ばす。 なんという皮肉! なんと痛快なメッセージか。 そうだ、戦争は終わったのだ。 

ひょっとして本編の最終回?

 この作品は、最初から作品の全体の尺が決まっていたと思われる。 コミックスの呼び方が上・中・下巻となっているのはそのためだ。 だから、この回以降も あと数回分の話が用意されているのは想像がつくが、ひょっとして、ひょっとしたら、構想の初期段階では この回が最終回ではなかったのか? この回までが(漫画的にあらゆることを試みた冒険的な作品ではあるが)割と写実的なノンフィクションっぽい造りになっているのに対し、これ以降はサブタイトルが付き、いわゆるエピローグ的な位置づけになっていること、また、”みぎて”の作品への介入によって寓話的・心象的な造りになっているからだ。 なにより、この回で終われば みんな笑って終われるからだ。 しかし、作者はそれをよしとはしなかった。



この回の後、’08年(H20年)11月4日号(発売日 同年 10月21日ころ)と’08年(H20年)11月18日号(発売日 同年 11月4日ころ)は休載となっている。



枕崎台風が押し流したもの

 劇場版ではラスト近くの少女が夜眠っているシーンで、鬼火が燃えている表現がある。 これは原爆で亡くなられた おびただしい数の遺体から発せられたリンが燃えていることを示している。 実際に多くの人が目撃された証言をもとに描かれているのだが、この枕崎台風によって地表のリンが全て洗い流され、それ以降の鬼火の目撃はなくなったという。

 

 この枕崎台風によって広島県内では2000名以上が亡くなったが、その中には被爆者の診療と原爆症の研究にあたっていた京都大学の医療調査団も含まれていた。 9月3日より大野町の大野陸軍病院を拠点に活動していた同大学の調査団だったが、突如発生した山津波に病院ごと巻き込まれ、真下教授(内科学)、杉山教授(病理学)をはじめとする11名の研究者、そして同病院にて治療を受けていた多くの被爆者が命を落とした。 京都大学の調査団は医学関係の研究者に物理学のスタッフを加えた本格的なもので、理研の仁科芳雄たちよりも詳細な研究をしていた。 この遭難により、我が国の体系的な原爆症研究が一時滞ってしまった懸念もある。

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第39回 20年8月 [下巻]

「第39回 20年8月」 掲載’08年(H20年)10月7日号 (発売日 同年 9月16日ころ)

障子に映る思い出

 2ページ増で描かれる3回目の8月。 広島から飛んできた障子に映る思い出。 広島の思い出、おとうちゃん、おかあちゃん、すみ、おばあちゃん、鬼ぃちゃんの脳みそ、座敷童子さん、波のうさぎ、すずの描いた校舎、そしてB-29が撒いて行った伝単につながる。 なお、この障子が引っ掛かってるのはユーカリの木だが、ユーカリの花言葉には「追憶」「思い出」などがある。 また、ユーカリの木は自らが発生させる油成分により度々山火事を起こすことが知られているが、その種は炎の熱に耐えぬいて新たに芽吹くため、「再生」や「新生」といった花言葉もある。 まさか、ここまで計算して北條家にユーカリの木が植えられていたのだろうか?


 呉に残ることになった すずに対する周作の振る舞いがぎこちなくて可笑しい。 いかにもこの時代の男らしい。 二人とも恋愛に不器用な似た者夫婦なんだ。 それにしても、すずの投げる球がちっとも当たらない周作。 どんだけ鈍いんだか... いや、待てよ…

実は魔球?

 利き腕ではない左手で投げているのに、(しかも軽い紙屑を)しっかり周作の懐に投げ込むすず。 もともとの運動神経の良さに加え、幼いころから海苔すきで鍛え上げた強力な手首のスナップが効いているのだろう。 実は、この手首の強力なスナップと適当な握りによって、すずの投げる球は天然のナックルになっているのではないか? 周作の手元で球筋が微妙に変化しているのだ! これでは、周作に打てるわけがない。 戦後の町内対抗野球大会に出たら、大活躍することだろう。 片腕で懸念されるフィールディングも、きっと、アボット・スイッチ(※)を自然にやっちゃうんじゃないかな?    

 ※ アボット・スイッチ; 隻腕の大リーガー ジム・アボット(平成元年~11年にかけて活躍)が行う守備動作。 グラブを不自由な方の腕に抱え、投球後に素早く利き腕にはめて補給後、再びグラブを持ち替えて送球する。 このようなハンディにもかかわらず、アボットの守備率は平均よりも良かったという。

玉音放送、並び順はこれでいいの?

 隣保班揃って玉音放送を聞く場面。 知多さんがいない… 回覧板にはサインがあるから自宅で聞いているのかな? ところで、すずが真ん中に座っているけど並び順はこれでいいの? 床の間のある方(上座)から、おかあさん、長女の径子、ヨメのすず、お客さんで年長の堂本さん、刈谷さん。 ああ、これで合ってるのか。 劇場版では、みんなが縁側に座り、玉音を発するラジオのある畳の間から一段下がって聞いている。 皇室に対する当時の庶民の姿勢を反映している。 

なぜ女の人が泣くのか?

 玉音放送終了後、怒り出す すず。 ”ここへまだ五人も居るのに!”、”まだ左手も両足も残っとるのに!!”  なにもすずは最後の最後まで戦い抜いて、戦争に勝とうとは思ってはいないだろう。 これまで耐え抜いてきた理不尽を何故こんな所でやめてしまうのか? それだけの覚悟だったのか? 劇場版の このシーン、のんの迫真の演技に頭をかち割られたような衝撃を受けました。 そして、戦争に関する私の長年の疑問を解消してくれました。

 私はこれまで終戦時の実際の記録映像や、ドラマ・映画などの終戦シーンを多く見てきましたが、何故 女の人が泣くのかが よく分かりませんでした。 男の人が泣くのは理解できるのです。 でもなぜ女の人が泣くのか? 戦争が終わったら、もう耐え忍ばなくてもいいじゃない、嬉しいでしょ? 出征していた家の人もじきに帰ってくるでしょ? 何も泣くことはないじゃない と。 終戦時に女の人が泣く理由には、せいぜい一つくらいしか心当たりがありませんでした。 そう、径子のケースくらいしか。

もの陰でむせび泣く径子

 放送終了後に憎まれ口をたたいていた径子が、もの陰で声を押し殺し一人で泣く印象的なシーン。 結果的にまるで無意味だった戦争に愛するものを奪われた虚しさ。 これはわかるのです。 しかし、当時の映像の女性たちが全てこの理由で泣いているとは思えませんでした。 

女の最前線

 そして、この作品に出合って ようやく分かったのです。 女の人も必死で戦っていたんだと。 しかし、それは日本軍を勝たすための戦いではなく、自分の愛する人を、愛する日々を取り戻すための戦いだったのだと。 だから、彼女たちは究極の理不尽に押しつぶされそうになっても、道端の草を食んででも、日々を生き延びようとしていたのだと。

 かまどの前は女たちの最前線だったのだと。 

 この戦争のもう一つの意味が分かった気がします。 こうの先生、のんさん、片渕さん、本当にありがとうございます。

唐突に現れる太極旗

 自分たちの信じて来たもの、信じ込まされてきたものが全て虚偽だと知ってしまった すずにさらに追い打ちをかける出来事が。 下の民家から太極旗が掲げられるのだ。 この旗は現在の韓国旗とは中央の巴の巻き方や四隅のマークの配置が異なっている。 朝鮮半島の独立運動に密かに用いられてきた旗なのだ。 日本の敗戦を知り、悲願の民族の解放と再独立を喜ぶ朝鮮の人々によって誇り高く掲げられたものだ。

 前回、米軍の暴力には屈しないと誓ったすず。 自分たちは崇高な理念のために戦っている、いわば正義の被害者だと思っていたのが、実は自らも暴力で他国を屈服させていた加害者だと知ってしまう。 まさに、心の中のよりどころが粉々に砕けてしまった虚無感、絶望感。 この作品の戦争パート 最大のクライマックスだ。 

 しかし、この太極旗の出現はいささか唐突すぎないか? というのも、この作品では、この回までに日本の植民地支配について全く触れられていないのだ。 第1回で すみが「満州に嫁(い)っての人」と言ってるくらいだが、厳密に言うと当時の満州は独立国で、ハワイやブラジルに入植するのと一応”同じ”ことになっている。 つまり、日本の植民地支配に関しては、まったく布石がないのだ。 「はだしのゲン」の中には、ゲンの同級生の朝鮮人少年が歴代の天皇の名前を言えずに同級生にバカにされ、先生には「早く立派な日本人になれ」と叱咤されるシーンや、ゲンの父に世話になっていた心優しい朝鮮人青年が戦後の闇市をお金の力でのし上がっていくエピソードが描かれている。 この作品でも、すずが闇市に行くシーンで”内地米”などの言葉で植民地支配を暗喩することはいくらでも出来たはずだ。 実際、劇場版ではこの演出をしている。 闇市で”内地米”、”台湾米”という言葉が飛び交い、日本の植民地支配を示唆しているのだ。

実は大量にいる朝鮮人労働者

 呉は軍港で機密保持のために朝鮮人を含む外国人は遠ざけられていたというのは間違いだ。 当時の呉には、実は朝鮮人が大勢住んでいたのだ。 おとうさんの勤めていた11航空廠の岩国分工場は、空襲から逃れるために地下トンネル内に生産設備を移す、”地下疎開”が行われていた。 広の工廠でも地下疎開の工事は始まっており、このトンネル掘りのために大量の朝鮮人労働者が動員されていたのだ。(かの国の人たちは、それを強制徴用だと言うだろう) 

 おとうさんが度々夜勤をしているのも、輪番でトンネル工事の監督にあたっていた可能性だってあるのだ。 だから、いくらボーっとしていて、街にあまり出ない すずにだって、市内にいる朝鮮人のことは伝わっているはずだ。 伝わっていないとおかしいのだ。

 そう、この作者にしては不自然なほど、作中には日本の植民地支配の情報が欠落しているのだ。 だからこそ、逆にこれが狙いだったんだと思えてしまう。 そう、すずさんたち ”一般の日本人にとって、(加害者としての)植民地支配の問題は全く見えていなかったか、見えていても見えていないことになっていた” ということを あえて強調しようとしたのだ!

 実は、これには思い当たる節がある。 呉の戦災HPの市民体験談の中に、市内の朝鮮人家族のことに言及している方がおられる。 初めに断わっておくが、私はこの方のことを非難するつもりは全くない。 この方は真剣に日本のことを案じられており、当時の日本人としては珍しいほどの大きな視野で世界情勢を語っておられる方だ。 この方は市内の医院で朝鮮人家族が露骨に差別されているのを見て憤慨され、「鮮人をあからさまに差別するのは日本人としてけしからん事だ」という旨のことを書いておられる。 この方は素晴らしい人で、植民地出身者への差別に怒っておられるのだが、”この方自身が既に差別していることに全く気付いておられない”のだ。 もし、植民地出身者も対等な日本人だと思っているのなら、「朝鮮出身の〇〇さんを差別するのはけしからん...」となるはずだ。 ”鮮人”とは、われわれ日本人のことを”JAP”と呼ぶのと同じ、蔑称である。 当時の日本人の中の、日本人は優れているので劣っているアジアの列国を救ってやらねばいけないという意識、まさに大東亜共栄圏の夢を信じ込んだ当時の日本人の意識が垣間見えるのである。(その意識は現在においても根強く残っている)

 劇場版を含め、この作品のことを批判する人は、「日本人の被害のみを強調して、日本の加害責任のことに触れていない」と言う。 しかし、よく読み込めば、加害責任にさえ気づいていなかった、われわれ日本人の原罪について鋭く描き切っていることに気付くのだ。

 このように、この回まで、このクライマックスのために徹底して植民地支配の情報を隠し続きてきた本作だが、よくよく読み返してみると、実は一カ所だけ、その痕跡がわかる場所があるのだ。 その回こそ…

ス スグレタ國柄世界ガ仰グ

 その回こそ、謎の第23回、愛國イロハカルタの回だ。 この回の最後に紹介された札は、オリジナルでは当時の大日本帝国の領土が赤く示してある。 本来なら日本列島のほかに、千島列島、南樺太、朝鮮半島、台湾、そして南洋の島々が赤く塗られているはずだ。 しかし、本作の札では朝鮮半島が塗られていないのだ! これは若い読者は気付かないかもしれない。 ”へ”の札もオリジナルは南洋の浅黒い肌の少年が描かれているが、本作では島々の絵に変えられており、巧妙に隠ぺいしてあることがわかる。 作者は実に入念に、この回のために準備を進めていたのだ。 

畑に落ちた焼夷弾

 すずが畑で泣き崩れるシーン。 このシーンでも作者の入念な舞台設定を垣間見ることが出来る。 畑に焼夷弾が刺さっているのだ。 劇場版では7月1日の空襲で畑に焼夷弾が落ちるシーンが描かれているが、本作中にはない。 しかし、作者の中では、各年各月日ごとの場面設定が詳細に作りこまれているのだ。  

貴方の頭(こうべ)を撫づる誰かのてのひら

 飛び去って行く正義、畳み掛けられる絶望に、あの時に”何も知らないまま死ねていたら”と打ちひしがれるすずの頭を優しく撫でる”みぎて”。 これは誰の右手なのか? 普通に考えればすずの失った右手なのだが、自分で自分の頭を撫でるだろうか? それはまるで母親が子供を優しく撫でるかのようだ。 このとき、(すずは知らないが)おかあちゃんは既に亡くなっている。 すずの右手に母の魂が宿ったものだろうか? ラストでアップにされる花がりんどうならばリンの魂が宿っているようにも思えたのだが… 

 この回のラストシーンで大写しにされるかぼちゃの花。 戦局がどう進もうが、人々の気持ちがどう変わって行こうが、自然は変わらずに緩やかに時を刻んでいく。 かぼちゃの花言葉には”包容”というものがある。



最後の空襲

 玉音放送で日本の”終戦”が表明された15日の前夜も空襲は実行された。 14日から15日にかけ、熊谷、伊勢崎、小田原、秋田・土崎が空襲された。 14日中にはポツダム宣言の受託をアメリカに伝えていたにもかかわらず空襲は実行された。 小田原に至っては、熊谷と伊勢崎の空襲で余った爆弾を処分するためだけに空襲されたのだ。

伊四〇〇

 8月15日、ゆめタウングループの創業者である山西義政氏を乗せた潜水空母 伊四〇〇も太平洋の海中で終戦の情報を入手する。 艦内では、ウルシー環礁への特攻作戦継続派と投降派との間で激しい議論が戦わされたが、最終的に投降することに決める。 機密保持のため、艦載機の「晴嵐」を海上投棄して帰投、8月29日に三陸沖で米駆逐艦「ブルー」に捕獲され、8月30日に横須賀港に帰港し終戦を迎えた。 伊四〇〇は その後米軍に接収され、技術調査の後、翌21年6月4日 ハワイ近海で撃沈処分された。 

抗戦ビラ

 昭和天皇の肉声による玉音放送によっても、戦争を終わらせることに納得しない勢力が軍部には少なからずいた。 8月16日には特攻用の零戦が、翌17日には夜間戦闘機”月光”が呉市上空で徹底抗戦を訴える宣伝ビラを撒いて行ったという。

8月15日は終戦か?

 日本ではこの8月15日が”終戦の日”とされているが、国際的には日本が降伏文書に調印した9月2日が終戦だという国が少なからずある。 ソ連がその代表例で、8月15日以降も進撃を続け、8月18日に千島列島に侵攻、9月2日に国後島占領、そして降伏文書調印後の9月3日に歯舞諸島を占領している。 これが、今日も解決しない北方領土問題の発端となっている。

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第38回 20年8月 [下巻]

「第38回 20年8月」 掲載’08年(H20年)9月16日号 (発売日 同年 9月2日ころ)

戸惑う市民

 8月6日の夕方、いまだに謎の巨大キノコ雲が何なのかはっきりせずに、市民はいろいろと詮索をしている様子。 北條家の食卓では、すずがいることに戸惑ってる周作が可笑しい。 この日の午後には広島から逃げてきた人たちが続々と呉市に入り、次第に広島の惨状が明らかになっていく。

溶けるコールタール

 8月7日になってもいろいろと噂をしあう長ノ木の人達。 まだ、原爆はおろか、”ピカドン”という言葉すらなかったのだ。 刈谷さんが新聞を取っている! 当時は誰もが新聞を取っている訳ではないようだが、なぜ刈谷さんが新聞を? 今回、知多さんが元看護婦ということが明らかになるが、刈谷さんも意外とインテリだった? それとも家族の安否が気がかり? この時、刈谷さんの旦那さんや弟は既に戦死していて、あとは出征したばかりの息子さんがいるだけだが… 旦那さんの出征先の戦局が気がかりで購読していたのがそのまま続いているのかな?

 そういえば、わらじ作りが得意だったすず。 片手でも器用にこなしている.. というか、包帯巻いたままの右手使ってるね。 もっ安静にしなきゃ。 7月1日~2日の空襲で道路のコールタールが溶けて、靴がダメになったという話は戦災体験記にも出てきている。

髪を切るすず

 広島へ行くと懇願するも断られ、髪を切り落とす すず。 福知山のトークショーで、すずの髪を触ったり、結ったりする人の変遷に注目との話題が出ていた。 すずの髪に櫛をかけたり触ったりした人は、すみ-周作-水原(未遂)-おかあさん-径子と変わっていくわけだが、これは、すずと心を通わせていく人・すずを愛しいと思う人を示している。 ここで髪を切るということは、すずが 戦中を生き抜く一女性として自立することを示している と言えないだろうか? (この回のラストで、すずは本作中で初めて、自らの強い意志を表している。)

 だが、知多さんをはじめ、まわりの人たちはすずを強い言葉でいさめる。 すずの傷付いた右手がクローズアップされ、まだまだ一人前ではないことが強調される。

行き倒れの人

 隣保館の壁に寄り掛かる人影。 私たちの世代は「はだしのゲン」を見て来ているので、この人がどういう人だか すぐにわかるのだが。

優しい長ノ木の人たち

 8月8日朝。 長ノ木の人たちにも、ようやく広島の惨状が伝わる。 そして、広島出身のすずを気遣う。 あいかわらず すずのことは”北條のヨメさん”と呼ぶが、この人たちにとっても、すずはかけがえの無い愛しい子となっているのだ。

暴力には屈しない!

 8月8日昼または夕方。 長ノ木の人たちの優しさに触れ、自らも強くなりたいと願う すず。(戦火で失った自分の右手をあらためて確認しながら…) 

 「ああ うるさいねえ」 「そんとな暴力に屈するもんかね」 これは、本作で初めて発せられた”米軍(あるいは戦争そのもの)”への非難である。 いままで、自分の結婚や、リンと周作の関係、そして空襲・戦災に対して、運命に抗うことなく生きて来たすずが、初めて見せた反旗なのだ。 すずは初めて自らの意志を口に出し、戦争になんて負けずに強く生きていくことを誓うのだ。 誓うのだが…

入市被爆拡大を防げなかったか?

 8月8日朝、知多さんたちが救援活動のため広島に向かう。 作者注で救援に行った多くの人が2次放射線により被爆したことが示されて今回は終わる。 知多さん、小林の伯父さん、そして すみやおとうちゃんのように、近親者の捜索や救助活動で爆心地近く(2km以内)に入り被爆することを、”入市被爆”という。 原子爆弾の爆発により撒き散らされた大量の放射能は、大量の放射線を放出し人体を遺伝子レベルで蝕む。 一説によると、原爆投下後100時間以内は非常に危険な状態だそうだ。 このような入市被爆を防ぐ方法はなかったのか? 実はいくつかの可能性はあったのだ。

 知多さんが広島入りしたのと同じ8日、理化学研究所の仁科芳雄が政府の調査団の一員として広島入りしている。 彼こそは理化学研究所で行われていた「二号研究」=”日本の原爆開発”の責任者なのだ。 彼はレントゲンが感光していることなどから、投下されたのが原子爆弾であると結論付け政府に報告した。 この時、政府が爆心地への立ち入りを制限していれば、入市被爆者の拡大を防ぐことが出来たのではないか? 

 しかし、後に政府が出した声明は、「アメリカの新型爆弾は白い服を着用していれば被害を防ぐことが出来る」。 もはや疑似科学の世界である…  もっとも、当時、放射線の危険性を理解していたものがどれだけいたか?という疑問もある。 仁科は広島の調査の後、14日に長崎(9日に原爆投下)入りして再びに調査にあたっている。 戦後、彼は理研の所長となるが晩年は体調不良に悩まされ、26年に没した。 死因は肝臓がんであった。 ひょっとして、仁科自身も放射線の危険性を認識していなかったのかもしれない。 「二号研究」は頼りにしていたナチスドイツからの高濃度ウランの入手が断たれ(輸送していたUボートがドイツ敗戦により投降)、独自抽出を目指していたが、皮肉にも彼ら自身の理論計算により、”原爆製造に必要なウラン235の抽出は不可能”と証明された実験装置での明日なき研究であった。 我が国は科学分野でも”竹槍”で戦っていたのだ…

現在も確定しない原爆被害者数

 この作品では、戦災や災害の度に その犠牲者数が作者注で明示されているが、原爆そのものの犠牲者数はどこにも書かれていない。 8月6日の広島の平和祈念式典、9日の長崎の式典の中継を見てください。 番組の冒頭で、この1年間に新たに原爆死没者名簿に書き加えられた人の数が語られるはずです。 21年8月時点の調査で、広島の死者11万8661人、不明者3677人(当時の広島市の人口が32万人)と言われていたものが、平成28年8月時点では 31万3195人 に及んでいます。 原爆の被害者数は投下後70年以上経た現在も確定していないのです。 




同じ8月8日、日ソ不可侵条約を一方的に破棄したソビエト連邦が日本に宣戦布告。 これにより”満州に嫁っての人”たちの地獄の逃避行が始まる。 あるものは、お互いに生き延びるため乳飲み子を現地の中国人に預け、あるものは武装解除して投降したもののシベリアの強制収容所へ送られる。 今も多くの人に深い傷を残す、中国残留日本人孤児問題、シベリア抑留問題の始まりでもある。 もちろん、北方領土問題もである。

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