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上巻に関連する年表 [上巻]

「この世界の片隅に」上巻に関連する年表

劇場版の年表をもとに、自分なりの年表を作ってみました。 何故か14世紀から始まってますが… (下巻は13世紀から始まります) クリックすると少し大きくなります。

その1

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その2

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参考文献;山川 「詳説 日本史図録 第6版」、双葉社 超精密「3D CG」シリーズ、講談社選書メチエ 「日本海海戦とメディア 秋山真之神話批判」 木村勲著 などなど。 

作者の著作に関する年表

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第11回 19年7月 [上巻]

「第11回 19年7月」 掲載 ’07年(H19年)7月17日号 (発売日 同年7月3日ころ)

北條家間取り

 北條家の間取り図が載っている。 生活空間は居間(四畳半)、三畳間、客間(六畳)と書斎(?畳) 意外と小さいのね。 うちの実家の昔の家は六畳が2つ、四畳半が2つ、三畳くらいの板の間が一つでした。 土間は10畳以上あって、風呂の焚口や井戸が土間の中にあったので、うちの祖母や母は北條のおヨメさんたちよりも楽が出来たと思う。 

防空壕掘り 

 今回は防空壕掘りの話し。 たけ比べの跡のある柱を目に付くところに使うなど、周作と径子の姉弟愛がさりげなく描かれる。 国の国民への防空壕掘りの指導は下のとおり。


 12年4月  防空法公布

 12年7月  日中戦争開戦

 13年2月  日本軍 重慶爆撃開始

 15年12月 防空壕構築指導要領公布(屋外に堅固な壕を設置するように指導)

 16年?月  防空法改正 応急消火義務と退去禁止(ただし地域・時期の制限付き)

 16年12月 内務省通達で空襲時の退去禁止を義務化(翌日、対米開戦)

 17年4月  本土初空襲(ドーリットル攻撃隊による単発的なもの)

 17年6月  ミッドウエー海戦で空母4艦喪失

 17年7月  防空退避施設指導要領公布(床下に簡易なものを設置するように指示)

 18年2月  ガダルカナル島撤退 (5月 アッツ島守備隊全滅)

 18年10月 防空法再改正(生産疎開・建物疎開・人の疎開)

 19年6月  B-29による本格的空襲


 日米開戦以前からの空襲想定、戦局が悪化するにつれての方針転換など、今あらためて見返してみると、もっと国民を守るためにすべきことがあったのではと思われる。 これも、後付けの知恵だからそう言えるのか。

 北條家は傾斜地にあるので山側の崖を掘り進めて壕を掘った模様。 こういう裏山に掘るタイプの防空壕は戦後も結構残っていて、貯蔵庫などとして使われていた。 今でも山沿いの農家に壕の跡が残っているのをよく見かける。

長いものを持ったすず  

 長いものを知らず知らずのうちに凶器に変えてしまうすず。 今回の犠牲者は周作だ。

空襲警報

 呉の初空襲警報がサイパン島陥落の後の7月8日とされているが、下巻の巻末で訂正されている。

刈谷さんの息子?

 防空壕堀に駆り出されたお隣さん。 よく見ると男手がもう一人。 これは、刈谷さんの息子さん?

お父さんの残業

 お父さん、連日の残業ですが、何の開発をしてるの? 下巻で彗星の量産を計画していたとあるけど、広工廠の資料ってあんまり見つけられないですが… 

かなとこ雲

 巨大に発達した積乱雲のうち、上部が平らになったもの(成層圏に達している)。 形が鍛冶の道具の鉄床(かなとこ)に似ていることからこの名がついたとか。  

いい雰囲気の二人

 このブログは男女の色恋ごとは専門外なので割愛!

この回に出てきた艦船

 利根:利根型重巡のネームシップ。 レイテ沖海戦で傷つき帰国するも既に燃料はなく、江田島沖で実習艦として係留されていたところ、呉沖海空戦で被弾。 大破・着床して終戦を迎える。

 日向:伊勢型の2番艦。 18年11月に航空戦艦に改装されるが、その後部飛行甲板には運用する航空機はなく、もっぱら輸送の任務に就く。 20年2月からは2番艦伊勢とともに呉沖に防空砲台として係留され、呉沖海空戦で大破・着床、終戦を迎える。

 晴美は4月に久夫から教えてもらったんだね、きっと。


間違っていたなら教えてください

 巻末の初出一覧にある、有名なこのフレーズ。 上巻・中巻にはあるが、あとがき・参考文献の載る最終の下巻にはない。 また、この作品と同様に巻末に参考文献や解説の載る「夕凪の街 桜の国」にもない。 何か元ネタがあるのかなと思ったが、今現在見つけられない。 

 作者は各作品の単行本の巻末に”あとがき”を記し、作品への思いと関係者や読者への感謝で作品自体を完結させることを常としている。 そして、完結の後は作品は作者の手を離れ、読者に委ねられるというスタンスのようだ。 間違いがあれば最終巻までには訂正を入れたい。 ”今のうちに”というのは、その気持ちの表れだろうか? 実際、第11回の呉市の初空襲警報の日の間違いは最終巻で訂正が入っている。

 まだまだ安心して見ていられる上巻。 しかし、戦局は日ごとに悪化してくる。 食料品の配給がさらに減らされるのも、本土への無差別爆撃の拠点となるサイパン島の陥落も、上巻最終話である第11回と同じ、19年7月だ。


第10回 19年6月 [上巻]

「第10回 19年6月」 掲載’07年(H19年)7月3日号 (発売日 6月19日ころ)

大和を見て帰る径子

 1回休載の後の第10回は、いきなりサブタイトルにツッコミが入り、時計の針が2カ月戻される。 大和が港にいることを知り、引き返す径子。 大和が4月に呉に戻ってくるのは17日(第7回)、22日は来る大作戦に向けマニラに出港するので、この間、いったん黒村家に戻って再び北條家を訪れたことになる。 なぜ、大和を見て引き返したのか? すずは勝手に妄想するが、既に黒村家との離縁、晴美を引き取る代わりの久夫の親権放棄が決まっていたのだろう。 久夫の大好きな大和を見ながら、最後の親子水入らずの時を過ごそうと思ったのか?  

建物疎開

 コマツナの間引きと建物疎開が重ねて描かれる。 建物疎開は、18年10月末の防空法再改正によって定められた。 他に人の疎開、生産設備(もちろん軍事の)の疎開も決められた。 大都市の学童疎開はちょうどこの月(19年6月)から始まっている。 間引いたコマツナの芽をご飯と一緒に炊き込むすず。 私は間引いた芽は、もったいないので畑の空いたスペースに移植してるけどね。 

晴美の種は?

 さばさばと離縁のことを話す径子に比べ、晴美のさびしそうな表情が印象的。 すずが晴美に対抗して屋根に植えたコマツナが成長し、巨大な“?”マークを示して終わる今回。 しかし、晴美が石垣や盆栽に植えた種が芽吹いた様子は描かれない。 まさか、この時から晴美の将来を暗示していたのか?!

 6月15日、B-29による本土初空襲(八幡空襲)が行われ、呉でも空襲警報が鳴る。 まだ、この時は中国大陸からの飛来で米軍側もリスクを負った作戦であったが…

 6月19-20日、マリアナ沖海戦で敗北。 本土絶対防衛権を賭けた機動部隊同士の激突。 この戦いで日本は 空母 大鳳、翔鶴、飛鷹 を喪失。 空母艦載機 376機(とその熟練パイロット)を失い、これにより稼働可能な空母機動部隊がほぼなくなる。 足の長い日本の航空機の特徴を生かした”アウトレンジ戦法”が、アメリカのレーダー網に粉砕された一戦だった。


第9回 19年5月 [上巻]

「第9回 19年5月」 掲載 ’07年(H19年)6月5日号 (発売日 同年5月22日ころ)

海軍記念日と坂の上の雲

 5月27日は海軍記念日で祭日。 作者注にある様に、陸軍記念日は3月10日。 ともに日露戦争(明治38年)での海軍(日本海海戦)と陸軍(奉天会戦)の戦勝記念日だ。 ところで日本海海戦は、東郷平八郎提督の率いる連合艦隊がロシアのバルチック艦隊の眼前で大回頭(俗にいう”東郷ターン”)して敵艦に集中砲火を浴びせ、一瞬にして勝敗が決したイメージがあるが、実際は翌28日も戦闘が行われている。 だから、記念日にするなら勝敗が決した5月28日が順当なはずだが、”海戦は30分で勝敗が決した、わが軍の大勝利”という軍のイメージ戦略によって27日となった。

 この日露戦争の勝利による我が国の賠償金獲得はなかったが、後の韓国併合や満州国建設につながる権利をロシアに認めさせた(ポーツマス条約)。 なお、この条約に不服を持つ民衆が暴動を起こす騒ぎもあった(日比谷焼打ち事件)。 

 日本海海戦の参謀 ”坂の上の雲”秋山真之は連合艦隊解散の時、東郷のために”連合艦隊解散之辞”を記し、その中で慢心を戒め、平時でも国際情勢に目を向け、常に鍛錬を怠らぬことを訓示した。 明治軍人の矜持を示したこの訓示は、アメリカのルーズベルト大統領にも影響を与えたと言われる。 しかし、世代交代が進み、実戦経験のないものがトップとなると、秋山の教えは次第に忘れられ、慢心と驕りが軍を支配するようになっていく。 この構図は、少し前のアメリカのネオコン・タカ派に似ている。 そして、現代の与党の、あまり優秀でない方の中にもこの傾向はみられる。

3つの演題

 下長之木国民学校の講演会に行きたいと願うお母さん。 講演会のパンフレットは旭日旗にデザインインされている。 どの時代のクリエーターも、制約の中、出来うる限りの工夫をしているのですね。 演題1は女子勤労動員説明会。 18年9月の勤労挺身隊(自主的)から19年8月の女子挺身勤労令(強制)への流れですね。 演題2は防空疎開要綱。 18年10月に防空法が再改正され、人の疎開・建物の疎開・生産の疎開が規定された。 黒村の家が取り壊されたのはこのためだ。 演題3は報国貯蓄の勧め。 私の買った参考書にはあまり載っていないが、後のカルタの回に作者注が載っている。

お母さん、お久し振り

 すずの機転で久し振りに地区の皆さんと会えたお母さん。 お友達と会話が弾みうれしそう。 径子もかわいがられていたことがわかる。 

自分の評判にふれるすず

 お母さんたちの会話、”お嫁さん貰ってよかったねぇ”。 間接的に自分の評判を耳にして少し照れくさそうなすず。 すずは、地域の人からは一貫して”北條の嫁さん”と言われている。 ヨメさん仲間ではあっても、”友達”ではない。 そのすずを名前で呼んでくれた人は…

国民学校制

 尋常小学校が国民学校に変わったのは16年4月から。 初等科が6年制、高等科が2年。 科目は国民科、理数科、芸能科、体錬科、実業科(高等科のみ)。 国民学校制に伴い、1年生のヨミカタの教科書も同年3月に新しいものが発行されている。 のちに”墨塗り教科書”となる本だ。

日章旗のトリック

日の丸が溢れる町を見て、”あのころが懐かしい”とつぶやくお母さん。 この漫画にしては珍しく、政治の臭いのするカットだが、 これにはトリックがある。 この日は祭日、町中が日の丸で溢れていても何らおかしくはない。 たなびく日の丸を見て政治的、軍国主義的と感じているのは、他ならぬ読者自身なのだ。


第8回 19年5月 [上巻]

「第8回 19年5月」 掲載 ’07年(H19年)5月22日号 (発売日 同年5月8日ころ)

この物語を代表するエピソード

 漫画「この世界の片隅に」の生活パートを代表するエピソード。  食材(?)の絵とレシピパートがパズルのように組み合わさり、見ても読んでも楽しめる、まさに”こうの漫画”の真骨頂。 何より、うれしそうに調理するすずの表情が素晴らしい! 見ているこちらもつられて笑顔になり、思わず”楽しそう”と声を出してしまいそうになる。 しかし、その辺に生えている草をも使わなくてはならないほどの食糧難が、その背景にあるということを忘れてはいけない。

年長者を立てる

 配給のいわし。 家族4人で4匹、うち一つをお父さんの弁当用に回し、自分と周作の分は半尾ずつにするすず。 本当なら子作りに励む若夫婦がもらってもよさそうだが、年長者を立てるよき風習ということで。  

お母さんの万年床

 結婚式の時は三畳間にあった、お母さんの万年床が居間に移ってる。 隣りの客間で寝る若夫婦に遠慮してるのかな?

楠公が象徴するもの

 米を炒ってスポンジ状にし、水をたっぷり染み込ませて見かけ上の体積を増やす楠公飯。 冷静に考えれば、その味のほどは分かりそうなものだが、”人というものは 切羽詰まると なかなか正しい判断て できないもの(By 道)”なんですね。 作者注の”「国策炊き」と同じくらい流行りませんでした...。”というのが笑える。 楠公はこの後、まるでこの漫画のマスコットキャラのように度々登場するが、それは楠公飯のような惨めな倹約生活を象徴しているだけではない。 

 逆臣 足利尊氏に立ち向かい命を落とした楠正成は、”忠臣の誉れ”として戦中の教育=皇国史観を中心とする愛国教育の象徴的人物だったのだ。 彼がいつ、この漫画から去って行ったか思い出すといい。

さらに配給削減

 すずの涙ぐましい努力と工夫で生きながらえる北條家。 しかし、この2か月後の19年7月には主食の配給がさらに1割減となる。 がんばれすず!


第7回 19年4月 [上巻]

「第7回 19年4月」 掲載 ’07年(H19年)5月8日号 (発売日 同年4月17日ころ)

ホームシックのすず

 1回休載の後の第7回。 里帰りから一か月、すずはホームシック気味。 径子の「まだ子供なんよ」というセリフは的を射ているかも。 ところで、劇場版で径子の声優を務めた尾身美詞さんは、キャンディーズのミキちゃんのお嬢様だということで、なんか感慨深いものがあります。 

鉄道は戦ふ足だ

 すずが運んだ回覧板。 鉄道の利用制限について書かれている。 本当に必要な人のために鉄道の利用を控えようということだが、民間人の移動制限が真の目的だ。 「空襲下の日本についてもっと真剣に考へやう」とあるが、まだ本格的な空襲は始まっていない。 しかし、日本は日中戦争で自身 都市空襲を行っており、来る空襲への備えを着々と進めているのだ。 ただし、それは市民を盾にした備えなのだが… 

たんぽぽ

 劇場版でも、この作品全体を象徴する花として扱われるたんぽぽ。 綿毛の印象からか、花言葉には”別離”というものがあるが、”真心の愛”というのもある。 タンポポのことを話しながらのすずと周作の攻防が滑稽。 なんとかしてすずの頭を撫でようとする周作と、巧みにそれをかわす すず。 晴美にまでばれてるけどね。

東洋一の軍港 世界一の軍艦

 初めて見る大和の大きさに圧倒されるすず。 周作のセリフから、大和が呉の人の誇りであることが伺える。 劇場版スタッフは大和の航海日誌等から、この日を4月17日の出来事と特定し、当時の呉の気象データから天候や気温を映像に造り込んでいったという。(予定稿で描かれていた土筆も消去したとか) 恐れ入る。 そういえば、この回の掲載号の発売日も4月17日! こうのさん、知ってたんですか?

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 私は、H24年の夏に先輩に呉に連れて行ってもらいました。 当然、大和ミュージアムも大和のドック(現ジャパン・マリンユナイテッド)も見せてもらい、潜水艦桟橋で「元気バッチリⅡ」を飲みながら呉の港の軍艦を見学しました。 このころ、劇場版の準備が始まり、応援ポスターもあったと思いますが、気が付かなかったなぁ。 まだ、そのころの呉は「男たちの大和」 の影響が強かった印象があります。

 大和はこの年の1月15日にトラック諸島から呉に戻り、近代化改装を受けます。 艦橋上のレーダーの設置、両舷の副砲の撤去と高射砲の追加。 対空防御力の強化です。 大和の対空砲にはシールドが付いていますが、これは敵からの攻撃を防ぐためではなく、大和自身の主砲発射時の爆風+熱風から砲撃手を守るため。 ところが、翌年の沖縄特攻時に増設された高射砲には囲いがなく、このため主砲発射時は砲手は甲板上から退去しなければなりませんでした。  ちなみに、この日まで大和の主砲は実戦で一度も使われていません。 この日の出来事から5日後の4月22日、大和はマニラに向けて呉港を出港します。

その他、この回に出てきた艦 

 愛宕 高雄型重巡の2番艦、19年10月のレイテ沖海戦で栗田艦隊の旗艦となるが、同23日 魚雷を受け沈没。

 摩耶 同じく高雄型3番艦、愛宕と同じくレイテ沖海戦に参戦し、10月23日に雷撃を受け沈没。 

 雪風 陽炎型駆逐艦の8番艦、大和の沖縄特攻他、幾多の海戦を生き抜き、”浮沈艦”と言われた。 戦後は復員船として活躍した後、戦時賠償として台湾に譲渡され44年まで使用された。 その後、日本への返還運動の動きがあったが、台風による座礁で同年に沈没。 45年に解体処分される。 操舵輪と錨のみが日本に返還され、江田島の旧海軍兵学校に展示されているという。 宇宙戦艦ヤマトで古代の兄が乗艦する艦のモデルとなっている。


第6回 19年3月 [上巻]

「第6回 19年3月」 掲載 ’07年(H19年)4月3日号 (発売日 同年3月20日ころ)

うたた寝をするすず

 里帰りした実家の居間でうたた寝をするすず。 嫁ぎ先の北條家では絶対に見せられない光景だ。 そういえば、「さんさん録」でも、ヨメの礼花さんが部屋の隅でぐったりと(まるで行き倒れのように)横になってるシーンがある。 ヨメの気苦労は計り知れない。 男で良かった。 

夢オチ?

 呉に嫁に行ってた夢を見た! 夢オチか!! これが、”この物語は〇〇の夢だ”という説の元にもなっている。 お母ちゃんにほっぺをつねられ正気に戻るすず。 ただし、作者の前作である「長い道」には二重夢オチのエピソードもあるので油断は禁物だ。 しかし、「冬の記憶」の時には、あんなに優しそうに描かれていたお母ちゃん。 今では、浦野家最強生物だ。 

鬼ぃちゃんはいつ出征?

 鬼ぃちゃんからの便りが来ないことを心配する家族。 最悪この時点で既に戦死している可能性もあるのだが… ところで、鬼いちゃんはいつ出征したのか? もし学生だったら、前年18年10月の学徒出陣か? 

すずの手紙の意味

 さて、第3回で鬼ぃちゃんに宛てたすずの手紙には、婚礼の儀に供されたご馳走が描かれている。 すずとしては鬼ぃちゃんに怒られないように差し障りのない内容を描いたのかも知れない。 しかし、鬼ぃちゃんの派遣先のニューギニア戦線を考えた場合、このご馳走の絵は深い深い意味を持っている。 米軍の物量作戦によって補給を断たれ孤立化した日本軍は、飢餓とマラリアなどの熱帯性感染症に苦しめられた。 もし、鬼ぃちゃんがまだ生きていて、すずのこの手紙が届いていたならば、ジャングルの中で腹をすかせながら、このすずのご馳走の絵に食い入る様に見入り故郷のことを思ったのではないか。 妹の思いに涙したか、はたまた、こんな酷な絵を書きやがってと怒っていたか… 鬼ぃちゃんは本作中、一度も成人した姿を描かれる事がなかった。(例のアレは除く)

すみの勤労奉仕先は?

 姉妹仲よくお風呂に入り、話しはすみの勤労奉仕先に。 18年9月に百貨店の販売員など17の職種への男子の就業が制限された。 ようは男子は兵隊に行けということ。 変わって25歳以下の女子による勤労挺身隊が動員される。 翌19年8月には女子挺身勤労令が出され、25~40歳までの未婚女性の労働が強制される。 

 さて、油まみれということからすみの勤労奉仕先は機械系の工場だと思われる。 「大潮の頃」の後に江波沖を埋め立てて出来た土地には三菱重工広島造船所が出来た。 お父ちゃんはここに勤めていることになっている。 江波から天満川を挟んだ西側の観音地区には三菱重工広島機械製作所がある。 この辺かな。

 松本零士の戦場シリーズでは、5角形のボルトナットを見た整備兵が「女・子供が部品作っとるようじゃ...」なんてセリフが出てくるが、一方でアメリカではB-29の量産やマンハッタン計画(原爆開発)の推進に最新の品質工学やIEの手法を取り入れ、初心者の早期戦力化や複雑なプロジェクトの効率的な進捗管理をはじめていた。 工業の分野でも国力差がじわりじわりと出ていたのである。

広島は陸軍

 呉が海軍の都なのに対して、広島は陸軍の施設が多い。 広島駅周辺には第2総軍司令部、東練兵場。 江波から太田川を挟んだ東側には吉島陸軍飛行場。 今のマツダがあるところには、陸軍兵器補給廠、陸軍被服支廠、陸軍船舶練習部などなど。 すみちゃんの少尉さん(後に将校さん)は陸軍の技術将校か? こっそりと食券をくれるというのは、工場の食券かと思ったが、この時代は街の食堂も食券制。 現金のみで食事ができるのは、すずと周作のデートでちらりと話題になる”雑炊食堂”だけなのだ。

すずちゃん、ハゲができとるよ

 劇場版を見て、一番ツボにはまったのがこのセリフでした。 私はなったことはないが、私の部下の子は異動直後に十円ハゲができていた。 本人はこの異動に大変意欲的で肉体的にもそんなに辛くはなかったはずだが、ちょっとした環境の変化で知らず知らずにストレスがたまったのだろう。 何しろハゲた本人が一番驚いていたんだから。 やっぱり、生まれて初めて親元を離れて、朝から晩までニコニコしながら働いて、昼寝をする暇もない(そういうことを考えるゆとりがない)ヨメの生活。 大変である。 

”さようなら、さようなら広島”の意味

 お父ちゃんから貰ったお小遣いで画材を買い(昔キャラメルを買った廣島勧商場)、故郷の絵を書きまくるすず。 そして思わずつぶやいたこのセリフ。 この時代、お里帰りで必要な身支度を整えたら、次に帰れるのは冠婚葬祭か自身のお産の時くらいだ。 丁稚奉公の使用人は盆と正月には里帰りが出来るが、ヨメは違う。 婚家の人間になったのだから、そうやすやすとは帰れないのだ。(だから径子は大変特殊なケース)

 私が小学校低学年の時、家族で母の故郷の大垣に行った。 長い長い旅路の末たどり着いた親戚の家の玄関。 親しい親戚の顔を見つけると、母はその胸に飛び込んで号泣した。 えーんえーんと声を上げてなく大人を初めて見た。 母にとっては十数年ぶりの里帰りだったのだが、事情の分からない私は、「お母ちゃんは嘘泣きしている!」と無邪気に言っていたのを覚えている。 当時、我が家には姑も小姑もおらず、相当居心地はいい方だと思うのだが、それでも久しぶりの故郷で万感胸に来るものがあったのだろう。

 本来、故郷に別れを告げただけのこのセリフだが… 読者だけがもう一つの意味を知っている。 


第5回 19年3月 [上巻]

「第5回 19年3月」 掲載 '07年(H19年)3月20日号 (発売日 同年3月6日ころ)

シンクロする年月

 連載開始時は微妙にずれていたサブタイトルの年月と読者の年月が一致し出す。 勘の良い読者なら、この作品のやろうとしていることが分かったに違いない。  それはカウントダウン。 多くの人は20年8月を、呉の歴史に詳しい人なら同年7月を思い起こすだろう。

すずさんは小もうない

 任官前の周作のセリフから小さいと思われがちなすず。 しかし、作者が”径子と同じくらいに描いた”という通りに二人の身長が同じぐらいなことがわかるタイトルページ。 でも、径子のほうが等身が高く見えるのはナゼ?

径子が久夫を連れて来ないわけ

 このころの径子はひどく荒れている。 (その怒りの矛先はすずに向かうが…) このころから、真剣に黒村家との離縁を考えているのだろう。 すでに話し合いが始まっているのか? 径子は度々里帰りしてくるが、久夫は連れて来ない。 学校もあるが、黒村の両親が径子との外出を許さないのだろう。 大事な跡取りを実家に連れて行ったままにされないために。 

 自由恋愛結婚した径子にとって、親の言いなりにノコノコとヨメに来たすずは、それだけで癪に障る存在なのだろう。

配給生活

 配給切符の話が出てくるが、米の配給は16年4月から、衣料・味噌・醤油の配給は17年2月からである。 ”真珠湾”以前より農村崩壊は始まっているのだ。


第4回 19年2月 [上巻]

「第4回 19年2月」 掲載 '07年(H19年)3月6日号 (発売日 同年2月20日ころ)

君の名は?

 前回、北條家の住所がわからなかったすず。 胸元に縫う名札で住所が明かされる。 この名札は、現代ではF1レーサーなどのレーシングスーツの胸に縫いこまれているのと同じ目的。 もしもの時の身元確認と輸血用の血液型の明示だ。 また、スパイ活動などの抑制目的もあったろう。 今回のテーマの隣組とも目的を同じにしている。 

 さて、すずの血液型がB型だと明かされる(周作はO型→第1回より)が、「やっぱりすずさんのあのおちゃめな性格はB型だなぁ」と、日本では血液型は占いを通り越して性格の決めつけに用いられることが多い。 このもともとのルーツは旧陸軍が東京女子師範学校の古川竹二教授の研究などをもとに、大正15年に「人血球凝集反応二就テ」という研究を発表したのが始まりとされる。 ようは、血液型による兵隊の適性判断である。 こいつはB型だから調子に乗らせて最前線で戦わせよう、こいつはA型だから危険な火薬の取り扱いを任せようとかをやろうとしたのである。 もっとも、その後の研究で特に有用な違いは見いだせないと、6年ころには軍も研究をやめている。 まさか戦争の遺物が今も生き残っているとは… 

ド、ド、ドリ(以下自粛)

 この回は全編「隣組」の歌詞に合わせて、すずの隣組デビューが描かれている。 まるで歌謡曲集の挿絵のようなタッチで描かれる。 連載4回目にして、いきなりビーンボールまがいの変化球だ。 隣組は町内会組織が15年に結成された「大政翼賛会」の末端組織として組み入れられたもので、国民生活の管理と監視を行った。 作者注にあるように連帯責任制で、常会の出席も義務である。 軽快なメロディとは裏腹に、このように軍国主義による国民統制の道具としての性格の強い隣組であるが、歌そのものは大変優れていて、戦後も多くのバラエティ番組で繰り返し繰り返し使われてきた。 作者注の「ドリフの大爆笑」もその例だが、この紹介には多分に作者の皮肉も入っているのかも知れない。 

鈴じゃなくて錫?

 さて、北條家のお隣さんには堂本さんのほか、犬猿の仲の知多さんと刈谷さんもいる。 この二人の名前は、いずれも愛知県の地名である。 知多半島にある半田市は中島の工場があったため空襲に見舞われ、多くの人が命を落としている。 今でも半田市の戦災遺構保存の話をローカルニュースで耳にする。 刈谷市もトヨタグループの中核工場があり、戦時は軍事工場として使われていたため、こちらも空襲に遭っている。 作者は、空襲に遭った街を意識して名前を付けたのかなぁと思っていたら、なんと、本作の登場人物は”原子の周期表”からすべて取られている!!という情報が… あ、Tiか、Kかぁ… すずさんは鈴じゃなくて錫(Sn)なんだぁ… そういえば、イントネーションはそうだよなぁ。   え、ちょっと待て、ちょっと待て! 浦野家はU??? うわぁ、なんだか作者のこうのさんが怖くなってきちゃった。

 一方、少しホッとしたことも。 最終回に登場する少女、作中では名がないが、劇場版では脚本上”ヨーコ”と名付けられている。(実写版は千鶴) I=ヨウ素だ。 ヨウ素は原発事故の時などに甲状腺への放射性物質の吸収を防ぐ効果があるとされ、原発周辺ではヨウ素剤を大量に備蓄しておこうという流れがある。 名づけの法則を知っている劇場版のスタッフが、爆心地の周辺を長く彷徨った少女が末永く無事に暮らせるようにと、願いを込めて名付けたのではないだろうか。 ”ヨーコ”という名は、映画のイベントで作者のこうのさんも使っていらっしゃる。

ドン引きしすぎるお隣さんたち

 次第にお隣さんたちに受け入れられていくすず。 常会の行われている上長之木隣保館の窓に低すぎる月?と思ったら、丸坊主の周作。 すずを含め驚くご婦人たち。 しかし、驚き方が少し変に思える。 大げさすぎるというか、皆、暗く深刻そうな顔をしている。 そうか、この時代、成人男子が丸坊主にするのは徴兵される時だ。 すずはあまり知らないが、赤紙(この漫画では出ない)が届き、身支度をして出征していく家族や隣人を、このご婦人たちは多く目にしてきたのだ。 あの周作君が、この若い、まだあどけないヨメを置いて出征してしまうのか。 そう思ってくれたのだ。 国民監視のシステムとして描かれることの多い隣組。 この漫画の隣保の人は、いつまでも優しい人たちだ。


第3回 19年2月 [上巻]

「第3回 19年2月」 掲載 '07年(H19年)2月20日号 (発売日 同年 2月6日ころ)

録事が書けないすず

 周作が風呂に入っている間に、鬼ぃちゃんと森田家に手紙を書くすず。 森田家への手紙は登場人物紹介にもなっている。 周作の職業が”ロクジ”。 ”6時に帰るからロクジさん”への布石だ! やはりおじちゃんはどこか別のところに行っていることがわかる。

そして初めての夜

 このブログは男女の色恋の話は専門外なので割愛。 ただし気になるのは二人の寝床。 式を挙げた客間の6畳なのだが、ふすま1枚隔てた3畳間にはお父さんたちが寝ているんだけど… 

干し柿で連想するのは

 緊張で式の間、何も食べていなかった周作。 すずから傘(持ってきたんだ、この漫画ほとんど雨降らないんだけど)を借りて取って来たのは干し柿。 これはたぶん、まったくの偶然だと思うが、干し柿と聞いて連想するのが、イズミ・ゆめタウングループ創業者の山西義政氏。 この新婚初夜の時点では、呉のドック内で密かに最終艤装中であろう、当時世界最大の潜水艦にして潜水空母と呼ばれる伊400に乗り、終戦間際にウルシーの米軍艦隊への特攻攻撃に参加された方だ。 終戦後は広島に戻り、闇市からコツコツと叩き上げられた。 この闇市時代に取り扱われていたのが、尾道の戦友から都合をつけてもらった干し柿だ。 だから今でも、イズミ/ゆめタウンでは干し柿を豊富に品ぞろえしているという。

 呉の大和ミュージアムの向かいの、ゆめタウン呉店の軒先には本物の退役潜水艦を用いた”てつのくじら館”があり、自衛隊の掃海活動などを紹介しているのは、この縁によるものだ。

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朝から晩まで ヨメ フル稼働

 朝を迎え、誰よりも早く起き出し(ひょっとして緊張で一睡も出来なかったかも知れないが)、水汲みをし家族の朝食を作るすず。  ちょっとした衝撃を受ける。 一番早く起き、家族が起き出す前に仕事をはじめ、家族で一番最後に風呂に入るヨメの仕事。 本当に昔のヨメは大変だ。 世が世なら、「すずさん、この味噌汁、ちょっと味が濃いわねぇ」と言われたりするのだろうが、幸いお母さんは優しいし、朝食も芋粥だ。 味付けも何もない。 そういえば私のヨメさんは、味噌汁の味や具について あれこれ申し上げたら、そのうち食卓に味噌汁を出してくれなくなっちゃったな。 

鬼ぃちゃんはニューギニア戦線

 自分のうちの住所がわからないというオチで終わるこの回。 注意深く見ると、鬼ぃちゃんの派遣先がニューギニアだということがわかる。 ニューギニア戦線は、日本の兵站が伸びきった最も端の端だ。 この前年の2月、日本軍はニューギニアの先のガダルカナル島(後に餓島と言われる凄惨な戦場)からの撤退を始めている。 すずが手紙を書いている時点で、鬼ぃちゃんは既に戦死している可能性もあるのだ。