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第13回 19年8月 [中巻]

「第13回 19年8月」 掲載 ’07年(H19年)8月23日号 (発売日 同年8月7日ころ)

ありの世界に迷い込んだすず

 タイトルバックは巨大お菓子の中で配給の行列に加わるすず。 他のご婦人方が黒服なので、まるでありの世界に迷い込んだようだ。 炎天下、人間様が行列に並ばされる様を揶揄しているようだ。 ところで、何故、ほかのご婦人は黒服なのか? 皆さん、お葬式の帰り? ひょっとして、身内に戦没者がいる女性を黒服で表現しているのではなかろうか? この時点では、北條家にも浦野家にも戦没者はいないことになっている。 北條家はお父さんが工廠の技師、周作が軍法会議の録事なので、(今のところは)出征することはない。 第11回で分かるように、北條家の属する隣保でまだ兵隊にとられてない男手は、北條父子と刈谷さんの息子さんだけ。 この時代としては、北條はかなり特殊な家なのだ。 

砂糖の配給停止 

 砂糖の配給が停止に。 いよいよ、食糧難は深刻になるが… この時代の農村崩壊は、「ユリイカ こうの史代特集号」の雑賀恵子さんの記事に詳しい。 でも、何故かあるところにはあるのだ。 

ありこさん

 今回は前半がサイレントで描かれる。 ありが砂糖を狙っている様子と すず+晴美の攻防が楽しい。(人類の自滅で終わるのだが…) そういえば、子供の頃は”ありこ”って言ってた言ってた。 懐かしい。

現代の物価を予言するすず

 不足しているはずの食糧・物資があふれる闇市に圧倒されるすず。 劇場版で”スイカは作っちゃいけない”云々とあるのは、スイカのようなぜいたく品よりも、米などの代用となるカボチャやイモを作るように指導されていたから。 第24回で呉駅で検量していたのは、この闇市へ流れる物資の移動を規制しているはずなのだが、みんなうまいことをやっているようだ。 闇市の物価におびえ、将来の物価上昇を危惧するすず。 なぜか、現代の物価水準をことごとく的中させているのが可笑しい。 

 大丈夫ですよ すずさん。 僕たち ちゃんと生きてます。 あなた方が必死に生き抜いてくれたおかげです。

 8月3日、サイパン島の南のテニアン島が陥落。 米軍は日本軍が整備していたハゴイ飛行場を拡張整備、同時に島東部にウエストフィールド飛行場を建設。 これらがB-29による日本本土爆撃の拠点となる。


いつか来た道 [番外]

親戚の結婚式東京に行きました。 と、式場ホテルの周りには4コマ誌の(弱小)出版社があちこちに。 うれしくなって回ってみました。

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まず、ご存じ双葉社。

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しんちゃんがポケスポットになっています。 双葉社は「この世界の片隅に」以外にも映像化作品がいっぱいあるようで、ウハウハ状態?

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「こっこさん」やイラストを掲載された芳文社。 かなり目立ってます。

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小鳥のエッセイものを掲載された竹書房。

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自販機が「ぼのぼの」仕様。 若き日(?)のこうのさんが持ち込みや担当さんとの打ち合わせでこの街を歩かれたんだなぁと思うと少し感慨深げ。 今もこの街を明日を夢見る漫画家の卵たちが歩いているのですね。 


椿? 山茶花? [番外]

このブログのタイトルバックは熱田神宮で撮影した椿です。 と、思ってたのですが、ひょっとして山茶花? 私は今まで椿という花はあんまりきれいだと思ったことがありませんでした。 あの、おしべがピョロッと伸びてるところとか、花びらの赤さとか、枯れかけたものがいつまでも木に付いているところとか。 

でも、この作品をきっかけに町中の木々を見てみると、めしべが品の良い長さのものとか、花びらが八重になっていたり、色もどぎつい赤ではなくて薄いピンクのものや、赤でも開花時期で微妙に色合いが変わっていくところとか、椿もなかなか捨てたものではないと思い直していました。 でも、どうやら椿と山茶花を完全に混同していたようです。

両方とも、ツバキ科ツバキ属だから同じじゃん!っていうのは花好きの人からすると、とんでもないことのようです。 どうも大変申し訳ありませんでした。 このタイトルバックは、あとひと月くらいはこのままです。


中巻 と 第12回 19年7月 [中巻]

中巻 ’08年(H20年)8月11日 第1刷発行 (発売日 同年7月11日ころ)

カバー表紙

 長之木から呉軍港の夜景を見下ろす すず。 右手には水鳥の羽ペン、左手にランプを持つ。 少し大人びた表情。 畑には一面のタンポポ。 4月くらいか? カバーの折り返し部には特に驚くようなものは見えない。

本体表紙

 当時の日用品に交じって、代用たどん、テルの紅、裏側には水鳥の羽ペン、周作から貰った方の小さいノート、リンドウ柄のお茶碗、そして代用たどん。  トンボと雀があちこちに。 表紙をめくった1ページ目には代用たどんをお手玉にするすずと晴美。 


「第12回 19年7月」 掲載 ’07年(H19年)8月7日号 (発売日 同年7月17日ころ)

もが→ヤモメ ヤモメ ヤモメ

 冒頭、径子の身の上が語られる。 その時のステータスが服の柄(?)になってるのが可笑しい。 戦前は親権は父親側にあり、晴美を手元に残せただけでも幸運な方か? そのほか、財産も夫が管理し、たとえ妻の財産であっても夫は使い放題。 また、妻には姦通罪が適用されるが、夫は浮気し放題であった。 もちろん、女性にはまだ参政権がない時代でした。 

 あ、全身像の着物の柄が”小姑”になってる。 今気づいた。 (H29.3.4) 

結構 歪(いが)んでるガラス

 こうの先生は定規なしのフリーハンドで絵を描かれているので、ハッチングの時はともかく、4ページ目のような線画で書かれた柱や戸は結構歪んでいる。 20年7月以降の背景と較べる時の目安となる。

海岸線は最重要軍事機密

 憲兵さんの肩を持つわけではないが、海岸線や港にいる軍艦の情報は最重要機密だ。 これは、捕まっても文句は言えない。 このほか、天気の情報も機密。 深刻そうな顔に見えて、あ、笑いを必死でこらえてるなというのが、わかっていても面白い!

 呉では12年11月から大和の建造が極秘裏に行われるが、これに伴いドック全体を覆う建屋や海岸線を目隠しする垣根が作られた。(あの道もそう) 大和進水の時には外出が禁止されたそうだが、結構情報は漏れていたようで、例えば大和の後に起工されたアイオワ級の戦艦(降伏文書調印が行われた3番艦ミズーリが有名)は、全幅こそパナマ運河規制があるが、その全容・スペックは大和そっくりだった。 

没収された広島思い出

 憲兵さんに没収されたスケッチブック。 広島の思い出が詰まっていたもの。 すずのさびしげな後姿。 

引出しを開ける許可を得る

 すずの身を案じた周作が、書斎の引き出しから新しい小さなノートを取り出して渡す。 同時に引出しをいつでも開けていいという許可を与える。 前述のとおり財産権は夫が持つ。 お母さんくらいならともかく、新米ヨメのすずには夫や戸主の貴重品が入った机をおいそれと開けることは出来ないのだ。 これが、後々の伏線に。

ミテタ、ヤブケタ、ハブテタ 

 いずれも、広島から山口にかけての代表的な方言。 ミテタは”未てた”という字を当てる。 と、国語の先生に教えてもらった記憶が。 なくなるという意味。 破けたというのは、普通は紙などの薄いものが裂けたりする様子を言うらしいが、私たちは”自転車が破けた”と、”壊れる”という言葉と同義に使っていた。 まさか、方言であるとは、よその地方の人に聞いて初めて認識した。 ”はぶてた”は山口では”ふてくされる”とか”すねる”とかの意味だが、広島では”怒る”の意味らしい? ホント?


上巻に関連する年表 [上巻]

「この世界の片隅に」上巻に関連する年表

劇場版の年表をもとに、自分なりの年表を作ってみました。 何故か14世紀から始まってますが… (下巻は13世紀から始まります) クリックすると少し大きくなります。

その1

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その2

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参考文献;山川 「詳説 日本史図録 第6版」、双葉社 超精密「3D CG」シリーズ、講談社選書メチエ 「日本海海戦とメディア 秋山真之神話批判」 木村勲著 などなど。 

作者の著作に関する年表

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第11回 19年7月 [上巻]

「第11回 19年7月」 掲載 ’07年(H19年)7月17日号 (発売日 同年7月3日ころ)

北條家間取り

 北條家の間取り図が載っている。 生活空間は居間(四畳半)、三畳間、客間(六畳)と書斎(?畳) 意外と小さいのね。 うちの実家の昔の家は六畳が2つ、四畳半が2つ、三畳くらいの板の間が一つでした。 土間は10畳以上あって、風呂の焚口や井戸が土間の中にあったので、うちの祖母や母は北條のおヨメさんたちよりも楽が出来たと思う。 

防空壕掘り 

 今回は防空壕掘りの話し。 たけ比べの跡のある柱を目に付くところに使うなど、周作と径子の姉弟愛がさりげなく描かれる。 国の国民への防空壕掘りの指導は下のとおり。


 12年4月  防空法公布

 12年7月  日中戦争開戦

 13年2月  日本軍 重慶爆撃開始

 15年12月 防空壕構築指導要領公布(屋外に堅固な壕を設置するように指導)

 16年?月  防空法改正 応急消火義務と退去禁止(ただし地域・時期の制限付き)

 16年12月 内務省通達で空襲時の退去禁止を義務化(翌日、対米開戦)

 17年4月  本土初空襲(ドーリットル攻撃隊による単発的なもの)

 17年6月  ミッドウエー海戦で空母4艦喪失

 17年7月  防空退避施設指導要領公布(床下に簡易なものを設置するように指示)

 18年2月  ガダルカナル島撤退 (5月 アッツ島守備隊全滅)

 18年10月 防空法再改正(生産疎開・建物疎開・人の疎開)

 19年6月  B-29による本格的空襲


 日米開戦以前からの空襲想定、戦局が悪化するにつれての方針転換など、今あらためて見返してみると、もっと国民を守るためにすべきことがあったのではと思われる。 これも、後付けの知恵だからそう言えるのか。

 北條家は傾斜地にあるので山側の崖を掘り進めて壕を掘った模様。 こういう裏山に掘るタイプの防空壕は戦後も結構残っていて、貯蔵庫などとして使われていた。 今でも山沿いの農家に壕の跡が残っているのをよく見かける。

長いものを持ったすず  

 長いものを知らず知らずのうちに凶器に変えてしまうすず。 今回の犠牲者は周作だ。

空襲警報

 呉の初空襲警報がサイパン島陥落の後の7月8日とされているが、下巻の巻末で訂正されている。

刈谷さんの息子?

 防空壕堀に駆り出されたお隣さん。 よく見ると男手がもう一人。 これは、刈谷さんの息子さん?

お父さんの残業

 お父さん、連日の残業ですが、何の開発をしてるの? 下巻で彗星の量産を計画していたとあるけど、広工廠の資料ってあんまり見つけられないですが… 

かなとこ雲

 巨大に発達した積乱雲のうち、上部が平らになったもの(成層圏に達している)。 形が鍛冶の道具の鉄床(かなとこ)に似ていることからこの名がついたとか。  

いい雰囲気の二人

 このブログは男女の色恋ごとは専門外なので割愛!

この回に出てきた艦船

 利根:利根型重巡のネームシップ。 レイテ沖海戦で傷つき帰国するも既に燃料はなく、江田島沖で実習艦として係留されていたところ、呉沖海空戦で被弾。 大破・着床して終戦を迎える。

 日向:伊勢型の2番艦。 18年11月に航空戦艦に改装されるが、その後部飛行甲板には運用する航空機はなく、もっぱら輸送の任務に就く。 20年2月からは2番艦伊勢とともに呉沖に防空砲台として係留され、呉沖海空戦で大破・着床、終戦を迎える。

 晴美は4月に久夫から教えてもらったんだね、きっと。


間違っていたなら教えてください

 巻末の初出一覧にある、有名なこのフレーズ。 上巻・中巻にはあるが、あとがき・参考文献の載る最終の下巻にはない。 また、この作品と同様に巻末に参考文献や解説の載る「夕凪の街 桜の国」にもない。 何か元ネタがあるのかなと思ったが、今現在見つけられない。 

 作者は各作品の単行本の巻末に”あとがき”を記し、作品への思いと関係者や読者への感謝で作品自体を完結させることを常としている。 そして、完結の後は作品は作者の手を離れ、読者に委ねられるというスタンスのようだ。 間違いがあれば最終巻までには訂正を入れたい。 ”今のうちに”というのは、その気持ちの表れだろうか? 実際、第11回の呉市の初空襲警報の日の間違いは最終巻で訂正が入っている。

 まだまだ安心して見ていられる上巻。 しかし、戦局は日ごとに悪化してくる。 食料品の配給がさらに減らされるのも、本土への無差別爆撃の拠点となるサイパン島の陥落も、上巻最終話である第11回と同じ、19年7月だ。


第10回 19年6月 [上巻]

「第10回 19年6月」 掲載’07年(H19年)7月3日号 (発売日 6月19日ころ)

大和を見て帰る径子

 1回休載の後の第10回は、いきなりサブタイトルにツッコミが入り、時計の針が2カ月戻される。 大和が港にいることを知り、引き返す径子。 大和が4月に呉に戻ってくるのは17日(第7回)、22日は来る大作戦に向けマニラに出港するので、この間、いったん黒村家に戻って再び北條家を訪れたことになる。 なぜ、大和を見て引き返したのか? すずは勝手に妄想するが、既に黒村家との離縁、晴美を引き取る代わりの久夫の親権放棄が決まっていたのだろう。 久夫の大好きな大和を見ながら、最後の親子水入らずの時を過ごそうと思ったのか?  

建物疎開

 コマツナの間引きと建物疎開が重ねて描かれる。 建物疎開は、18年10月末の防空法再改正によって定められた。 他に人の疎開、生産設備(もちろん軍事の)の疎開も決められた。 大都市の学童疎開はちょうどこの月(19年6月)から始まっている。 間引いたコマツナの芽をご飯と一緒に炊き込むすず。 私は間引いた芽は、もったいないので畑の空いたスペースに移植してるけどね。 

晴美の種は?

 さばさばと離縁のことを話す径子に比べ、晴美のさびしそうな表情が印象的。 すずが晴美に対抗して屋根に植えたコマツナが成長し、巨大な“?”マークを示して終わる今回。 しかし、晴美が石垣や盆栽に植えた種が芽吹いた様子は描かれない。 まさか、この時から晴美の将来を暗示していたのか?!

 6月15日、B-29による本土初空襲(八幡空襲)が行われ、呉でも空襲警報が鳴る。 まだ、この時は中国大陸からの飛来で米軍側もリスクを負った作戦であったが…

 6月19-20日、マリアナ沖海戦で敗北。 本土絶対防衛権を賭けた機動部隊同士の激突。 この戦いで日本は 空母 大鳳、翔鶴、飛鷹 を喪失。 空母艦載機 376機(とその熟練パイロット)を失い、これにより稼働可能な空母機動部隊がほぼなくなる。 足の長い日本の航空機の特徴を生かした”アウトレンジ戦法”が、アメリカのレーダー網に粉砕された一戦だった。


第9回 19年5月 [上巻]

「第9回 19年5月」 掲載 ’07年(H19年)6月5日号 (発売日 同年5月22日ころ)

海軍記念日と坂の上の雲

 5月27日は海軍記念日で祭日。 作者注にある様に、陸軍記念日は3月10日。 ともに日露戦争(明治38年)での海軍(日本海海戦)と陸軍(奉天会戦)の戦勝記念日だ。 ところで日本海海戦は、東郷平八郎提督の率いる連合艦隊がロシアのバルチック艦隊の眼前で大回頭(俗にいう”東郷ターン”)して敵艦に集中砲火を浴びせ、一瞬にして勝敗が決したイメージがあるが、実際は翌28日も戦闘が行われている。 だから、記念日にするなら勝敗が決した5月28日が順当なはずだが、”海戦は30分で勝敗が決した、わが軍の大勝利”という軍のイメージ戦略によって27日となった。

 この日露戦争の勝利による我が国の賠償金獲得はなかったが、後の韓国併合や満州国建設につながる権利をロシアに認めさせた(ポーツマス条約)。 なお、この条約に不服を持つ民衆が暴動を起こす騒ぎもあった(日比谷焼打ち事件)。 

 日本海海戦の参謀 ”坂の上の雲”秋山真之は連合艦隊解散の時、東郷のために”連合艦隊解散之辞”を記し、その中で慢心を戒め、平時でも国際情勢に目を向け、常に鍛錬を怠らぬことを訓示した。 明治軍人の矜持を示したこの訓示は、アメリカのルーズベルト大統領にも影響を与えたと言われる。 しかし、世代交代が進み、実戦経験のないものがトップとなると、秋山の教えは次第に忘れられ、慢心と驕りが軍を支配するようになっていく。 この構図は、少し前のアメリカのネオコン・タカ派に似ている。 そして、現代の与党の、あまり優秀でない方の中にもこの傾向はみられる。

3つの演題

 下長之木国民学校の講演会に行きたいと願うお母さん。 講演会のパンフレットは旭日旗にデザインインされている。 どの時代のクリエーターも、制約の中、出来うる限りの工夫をしているのですね。 演題1は女子勤労動員説明会。 18年9月の勤労挺身隊(自主的)から19年8月の女子挺身勤労令(強制)への流れですね。 演題2は防空疎開要綱。 18年10月に防空法が再改正され、人の疎開・建物の疎開・生産の疎開が規定された。 黒村の家が取り壊されたのはこのためだ。 演題3は報国貯蓄の勧め。 私の買った参考書にはあまり載っていないが、後のカルタの回に作者注が載っている。

お母さん、お久し振り

 すずの機転で久し振りに地区の皆さんと会えたお母さん。 お友達と会話が弾みうれしそう。 径子もかわいがられていたことがわかる。 

自分の評判にふれるすず

 お母さんたちの会話、”お嫁さん貰ってよかったねぇ”。 間接的に自分の評判を耳にして少し照れくさそうなすず。 すずは、地域の人からは一貫して”北條の嫁さん”と言われている。 ヨメさん仲間ではあっても、”友達”ではない。 そのすずを名前で呼んでくれた人は…

国民学校制

 尋常小学校が国民学校に変わったのは16年4月から。 初等科が6年制、高等科が2年。 科目は国民科、理数科、芸能科、体錬科、実業科(高等科のみ)。 国民学校制に伴い、1年生のヨミカタの教科書も同年3月に新しいものが発行されている。 のちに”墨塗り教科書”となる本だ。

日章旗のトリック

日の丸が溢れる町を見て、”あのころが懐かしい”とつぶやくお母さん。 この漫画にしては珍しく、政治の臭いのするカットだが、 これにはトリックがある。 この日は祭日、町中が日の丸で溢れていても何らおかしくはない。 たなびく日の丸を見て政治的、軍国主義的と感じているのは、他ならぬ読者自身なのだ。


第8回 19年5月 [上巻]

「第8回 19年5月」 掲載 ’07年(H19年)5月22日号 (発売日 同年5月8日ころ)

この物語を代表するエピソード

 漫画「この世界の片隅に」の生活パートを代表するエピソード。  食材(?)の絵とレシピパートがパズルのように組み合わさり、見ても読んでも楽しめる、まさに”こうの漫画”の真骨頂。 何より、うれしそうに調理するすずの表情が素晴らしい! 見ているこちらもつられて笑顔になり、思わず”楽しそう”と声を出してしまいそうになる。 しかし、その辺に生えている草をも使わなくてはならないほどの食糧難が、その背景にあるということを忘れてはいけない。

年長者を立てる

 配給のいわし。 家族4人で4匹、うち一つをお父さんの弁当用に回し、自分と周作の分は半尾ずつにするすず。 本当なら子作りに励む若夫婦がもらってもよさそうだが、年長者を立てるよき風習ということで。  

お母さんの万年床

 結婚式の時は三畳間にあった、お母さんの万年床が居間に移ってる。 隣りの客間で寝る若夫婦に遠慮してるのかな?

楠公が象徴するもの

 米を炒ってスポンジ状にし、水をたっぷり染み込ませて見かけ上の体積を増やす楠公飯。 冷静に考えれば、その味のほどは分かりそうなものだが、”人というものは 切羽詰まると なかなか正しい判断て できないもの(By 道)”なんですね。 作者注の”「国策炊き」と同じくらい流行りませんでした...。”というのが笑える。 楠公はこの後、まるでこの漫画のマスコットキャラのように度々登場するが、それは楠公飯のような惨めな倹約生活を象徴しているだけではない。 

 逆臣 足利尊氏に立ち向かい命を落とした楠正成は、”忠臣の誉れ”として戦中の教育=皇国史観を中心とする愛国教育の象徴的人物だったのだ。 彼がいつ、この漫画から去って行ったか思い出すといい。

さらに配給削減

 すずの涙ぐましい努力と工夫で生きながらえる北條家。 しかし、この2か月後の19年7月には主食の配給がさらに1割減となる。 がんばれすず! (すいません、配給1割減は20年7月からでした。)


「ごちそうさん」の21週目を見よう [番外]

 現在、BSプレミアムで再放送中の「ごちそうさん」。 ”今週”の放送分(H29年2月20日~25日)の「悠太郎の卵(らん);第121話~126話」では、建物疎開や大戦中の空襲政策(防空法)の不条理を真正面から描いていると評判です。 「この世界の片隅に」作中ではあまり語られなかった部分を補完する意味で、大変興味深いです。(実は私もこの週は未見)

 「ごちそうさん」は、BSプレミアムで月曜から土曜日まで、毎日7:15~7:30で再放送中です。


上記記事はH29年2月に書きました。 

 この週では、当時の人々が空襲を避けて郊外へ避難する”疎開”が自由に出来なかったことが示され、”空襲は怖くないから一時避難したら、すぐ消火活動にあたるべし”という国の指導が描かれています。 都市防衛を市民に強制的に委ねているのです。 

 主人公の夫 悠太郎は大阪市の防空担当(建物疎開)になり、人々の命を守るためと心を鬼にして辛い仕事を進めますが、 有力者の近親者の家は”引き倒し”から外せという圧力にさらされ、次第に自分の仕事に疑問を持ちます。 防空訓練の実施も任された悠太郎は焼夷弾の研究を独自に行い、ある結論に達します。 自ら企画した引き倒し予定の家を使った消火訓練の日、消火途中の家にガソリンを撒き、「焼夷弾の火は消せない、命が惜しかったら逃げろ!」と叫び軍に逮捕されてしまうのです。 これが124話までのお話し。

 さらに125話では、め以子の働きで釈放された悠太郎に娘の”ふ久”が「焼夷弾の燃焼剤は粘着性があってまとわりつくのでガソリンのようには簡単には消せない、やるんならもっと徹底的にやれ」とダメ出しされる始末。 結果的に焼夷弾の恐ろしさを印象付けています。(だから、すずが北條家に落ちてきた焼夷弾を消し止められたのは、不発弾でなければありえなかったのです。)

 「この世界の片隅に」は、戦時下にあっても人々暮らしをいきいきと描くことにより、逆に忍び寄る戦火の恐ろしさを読者に想像させる手法が画期的だと言われています。 この「ごちそうさん」も、とかくステレオタイプになりがちな朝ドラの戦時下描写に、新しい視点、特にこの防空法の非情さを真正面から描いたことが画期的だと評価されています。 「ごちそうさん」は、め以子が毎週何かを食べてるだけのドラマではないのです。 こうのさんの「夕凪の街 桜の国」以降、新しいクリエーターたちが新しい視点で戦争を語り継ごうとしているのです。