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第44回 人待ちの街(21年1月) [下巻]

「第44回 人待ちの街(21年1月)」 掲載’09年(H21年)1月20日号 (発売日 同年 1月6日ころ)

サブタイトルが…

 これまでのエピローグ3作は、サブタイトルにその回の中心人物の名前が掛けてあった。 (りんどう、鳥) しかし今回は、”待ち”と”街”。 てっきり浦野家が掛けてあるかと思ったのだが… ひょっとしてアナグラムになっている?

まだ戻ってない おじちゃん

 草津の森田家を訪問するすず。 終戦から5か月。 しかし、おじちゃんはまだ戻っていない。 というか、この作品では水原以外は誰も戦場から戻ってこない…

具合の悪いすみ

 劇場版でこのシーンを見たとき、私は すみは過労で倒れていて、腕のあざも点滴を打った跡だと思った。 いや、思おうとしていた。 頭の中で、真っ先に疑うはずの原爆の後遺症の可能性を本能的に排除していた。 当時の読者の感想にも、『最終回直前でこの流れはキツイ』というものがあった。 それほどまでに辛い展開。 さらに追い打ちをかける すみの告白。

たった3コマで語られる両親の死

 おかあちゃんとおとうちゃんが既にこの世にいないことが、たった3コマで語られるのだ。 作者はこの展開があるから、左手描写を続けたのか? 本当に辛すぎる展開。 しかし、それは70数年前の日本に実際にあったことなのだ。

すみが見た地獄を想像できるか?

 ”早う来れんでごめん”と言う すずに、”早う来んでえかったよ”と返す すみ。 自分の身も辛いのに、それでも姉を気遣う心優しき娘。 ”早う来んでえかった”と言う言葉の裏に、どれだけの辛い思いをしたのか... 

 この作品は、読み手の年齢や経験に極度に依存する作品である。 すみが味わった地獄の体験は、私たちの世代と若い人たち、そして私たちよりお年を召した世代では見えている景色がきっと違うと思う。 実際に戦争を体験した人には及ばないとしても、私たちの年代(30年代生まれ)は、かろうじて すみが見たのと同じ景色を想像できる最後の世代ではないだろうか? 戦争や原爆の記録映画が学校で強制的に上映され、映画やドラマや絵本で戦争を疑似体験できた世代。 そして親から戦争時のつらい体験を聞けた世代。(私の場合は”ひもじい”しか聞いたことがないが) そして何より、「はだしのゲン」をリアルタイムで読んだ世代。

 最近、この作品を引き合いに「はだしのゲン」を全否定する論調を見かける。 たしかに、その直接的、暴力的な表現や、徹底した反戦思想、そして作者の政治的な言動に、近年は同作を毛嫌いする人が多いのも事実だ。 しかし、だからと言って、「はだしのゲン」の作品価値自体が貶められる必然はない。 間違いなく、「はだしのゲン」は日本漫画史に輝く金字塔の一つであり、それが「少年ジャンプ」という雑誌に連載されていたという奇跡に、私たちは感謝しなければいけない。 極論すれば、「はだしのゲン」がなければ私たちは”すずさん”には会えなかったのだから。

 「ゲン」が原爆を漫画で描くという道を切り開かなければ、双葉社の編集者は広島出身という理由だけで(いくら秘めた才能があったとしても)、4コマ誌周辺でしか活躍経験の無い一女性作家に”ヒロシマ”の漫画を勧めたりはしなかっただろう。 「ゲン」という作品を読んでいなければ、その女性作家は「ゲン」とは違う方法で、いかに自分らしい作品を生み出すかということに苦しんだりはしなかっただろう。 しかし、初めて手にした漫画が「はだしのゲン」の2巻だったという その女性作家=こうの史代は苦しんで苦しんだ結果、「夕凪の街」という作品を世に問い、それが世間に認められ、作家としての地位と信頼を得、自分の思い描く作品を(ある程度)自由に描ける機会を手にするのである。 「はだしのゲン」がなければ、こうの史代という作家は 一部では評価されたではあろうが、その活躍範囲が4コマ誌、あるいは同人誌周辺から抜け出すことはなかったかもしれないのだ。

 そして、その「はだしのゲン」を読んでいるからこそ、私たちは「夕凪の街」の皆実が”しあわせ”だと思うことを 何故あれだけ恐れるのかを、すみがどれだけの地獄絵図を見て来たのかを、そして、その地獄をすずに見せなくてよかったとどれだけ心の底から思っているかを想像できるのだ。

 おかあちゃんと、そして行方の知れぬ将校さんを広島市内で必死で探しまわった すみ。 あまりにも過酷な運命をすみに背負わせた作者。 ”治らんとおかしいよ”と言うセリフのとき、手のアップだけで顔は見えない。 これにより、このセリフは読者の願いにもなり、そして作者自身の祈りにもなる。

すみが助かる未来だってある

 劇場版を見た人の感想を見ると、すみがこのまま亡くなってしまうと思っている人が実に多いことに気付かされる。 また、H29年5月時点で、Googleで「原爆症」と入力すると、予測変換の筆頭に”すみちゃん”と出てくる。 非常に多くの人が すみの行く末を案じていることはよく分かる。 作者が結末を明示していない以上、すみの生死を左右するのは、実は私たち自身の想像力と正しい知識なのだ。

 すみのように、めまいや虚脱感、そして皮下出血の症状が出ても、戦後50年以上生存された方は、実は多くいらっしゃる。 被爆の深刻さは当然、どれだけの強さの放射線をどれだけの時間浴びたかという”被爆量”が左右する。 現在では線量計があり、原発の作業員は厳密な年間被爆量の管理を行いながら作業されているが、戦後間もなくは 当然そのような計器はなく、入市した人たちがどれだけの量 被爆しているかは知るすべがない。 しかし、経験則より 被爆者の生死を分かつものとして、原爆症の発症時期が(結果論的ではあるが)大きく関与していることがわかってきた。

 広島の平和記念資料館の資料によれば、9月10日までに発症した人は重篤な状態にあり、そのまま亡くなってしまうという。 しかし、9月10日以降に発症した人たちは比較的症状が軽く、回復する可能性も高いのだという。 もちろん、おとうちゃんや 「夕凪の街」の皆実の姉 霞のように、10月になってから発症して亡くなる方もおられるし、適切な治療を受けられずにそのまま亡くなってしまう方もおられる。 ただ、すみにだって生存する可能性は十分にあるのだ。

 だが、仮に すみが回復し生き永らえたとしても、けっしてバラ色の人生が待っているわけではない。 常に再発との恐怖と戦いながら生きて行かなければならないのだ。 皆実が30年の9月に亡くなるのは決して偶然ではない。 広島市、長崎市の白血病の異常発生率は原爆投下後 徐々に上昇していき、7年目から8年目で頂点に達するのだ。 白血病の異常発生率は その後徐々に下がり、40年ころには被爆していない人たちと同等のレベルになっていくが、今度は がん の発症率が上がっていくのだ。 ”てっきり死なずにすんだ”と信じ、新たな生活に再び夢をかけようとした矢先に、突然の病魔が襲ってくる… 被爆者の方たちは そんな恐怖に打ち克ちながら、人並みの日常を勝ち取るために日々を戦い抜いておられるのだ。  

 すみ が適切な治療を受けられるかもわからない。 原爆症に対する直接的な治療法は、実は現在においても確立されていないと言ってもいい。(新陳代謝を高める方法が取られるようだ) 原爆投下直後は、誰も放射線による人体影響はよく分かっておらず、玄米のような自然食が良いといったような迷信まがいの方法だったり、当時 開発されたばかりの抗生物質 ストレプトマイシンが効くということが一部で信じられていたようだ。 ストレプトマイシンが日本で正式に販売されるのは25年からであり、それまでは高価な輸入物を怪しいルートで入手したのであろう。(ストレプトマイシンがはたして原爆症の治療に効果があるのかは不明だが、免疫力の落ちた患者の感染症予防には効果があったかもしれない) 

 また、現実問題として、月々の医療費も生活を圧迫する。 第42回のところでも触れたが、被爆者への医療支援は遅れに遅れる。 原爆手帳保持者への医療費支援の開始は、すみが34歳になるときまで待たないといけない。 そして、入市被爆者である すみもまた、原爆手帳がすぐに交付されるかどうかはわからないのだ。 

 そして、(これは「桜の国」のテーマでもあるが)被爆者に対する云われなき差別とも戦わなくてはいけない。 福島からの避難者に対する差別的言動の例を見るまでもなく、無知、あるいは偏った知識による偏見が、日本に今なお根強く残っていることを、はたして すみちゃんや知多さんはどう思うだろうか?

鬼ぃちゃん冒険記

 かつて、学校の床下に消えたはずの すずの鉛筆で描かれる「鬼ィチャン冒険記」。 今回は4ページ増の12ページだが、うち3ページが、この「鬼ィチャン」のためにわざわざ割かれている。 上巻の「鬼ィチャン」はページ数調整のための描き下しだったが、今回は本編に最初から組み込まれている。 上巻を見てない人は何じゃこれ?と思うだろう。 この描き下ろし3本で、鬼ぃちゃんが”ばけもん”となることが示される。 

 この作品に、なぜ”ばけもん”が登場するのかは、多々の議論があるところだろう。 私は、”ばけもん”は読み手にとっての 心の安全弁として置かれていると思う。 特に下巻では辛い展開が続くので、この話しはノンフィクションではない、あくまでも まんがのお話しなのだと、読者の心に逃げ道を用意してくれているように思うのだが。

足元の骨

 川舟から降りたすずの足元に転がる人骨。 この作品では描かれないが、それは「夕凪の街 桜の国」のコミックス22ページで描かれた人たちのなれの果てだ。

戦災孤児たち

 江波の実家に戻ったすずが遭遇するのが、勝手に留守宅に上り込んでいた戦災孤児の兄妹たち。 戦争で親を失った戦災孤児は23年時点の調べで、全国で28248人いるとされた。(下表参照)

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 注目すべきなのは、広島県の孤児数が全国で一番多いことだ。 東京大空襲を経た東京都の数をはるかに凌いでいる。 原爆で一瞬にして両親を失った子が いかに多かったのかが、このデータからもわかる。 また、孤児の中で何らかの施設に保護されていない、いわゆるストリートチルドレン化した孤児の割合も広島が抜きんでて多い。 なお、上記表の数は、あくまでも公式に確認された孤児の数であることを忘れてはいけない。

連絡乞う

 江波の実家の、おとうちゃんが描いたと思われる貼り紙には、お母ちゃんだけでなく、鬼ぃちゃんが帰ってくることをも想定している。 おとうちゃんは家族全員の再会を願っていたのだ。

「太田さん?」

 広島市内のシーンで、私は画面の隅に皆実たちが描かれていないか探してみた。(「長い道」の中に”やよいちゃん”や”チクリン”が描かれているように) しかし、作者は別の方法を取っていることを公言している。 すずが「太田さん」と間違えられているが、これは「桜の国」の主人公 七波の母、京花の旧姓である。 こうの作品では、それぞれの作品世界が少しずつつながっている。

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※クリックすると大きくなります。


 作中の時代がラップしている この2作もまた、こうして少しだけ関連づけられているのだ。(さんさん録には東子とその娘が出てると思うんだけど…)

今回の主役は?

 みんながどこかに傷を抱え、そして誰かを探している広島の街。 そうか今回の主役は浦野家だけでなく広島の街、広島の人々でもあるのか。 だから「人待ちの街」なのか。

なぜボケるっ!!!

 主人公が作品のタイトルの元となったセリフを言い、夫婦の永遠の愛を誓う。 この作品の恋愛パート最大のクライマックスだ。 もうこのまま、「永い間ご愛読いただきありがとうございました。 正直、描き終えられるとは思いませんでした。」とフィナーレになってもおかしくない展開。 なのに、なぜここでボケるっ!!! 作者のテレ隠しか? それとも、まだ終わらせられないことがあるのか? 何よりも、左手による背景描画がいまだに続けられている。 やはり、このままでは終わらせられない何かが作者にはあるのだろう。 作者のこの静かな怒りは、いったいどこから来ているのだろうか?

 それにしても周作がかわいそうだ。 第31回で危惧していたことが、よもや現実になろうとは。 劇場版では、このすずさん史上最大のボケが周作に優しい仕様に改編されている。 ブルーレイ&DVD化の際には、映像特典でもいいので、ぜひこの原作のオチを収録してほしい。(のんの”すんません”が聞きたい。)




21年1月1日、天皇の人間宣言が出される。 古い日本の体制(それは明治維新後に急造されたものなのだが)が少しずつ解体されていく。

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