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第43回 水鳥の青葉(20年12月) [下巻]

「第43回 水鳥の青葉(20年12月)」 掲載’09年(H21年)1月6日号 (発売日 H20年12月16日ころ)

再び同期する年月

 ”3回目の7月”によって歪みが生じていた作中の年月と読者の年月が、再びこの回から同期し出す。 これは何かの予兆か?

まだ防空頭巾かぶってる

 物々交換に出かける刈谷さんと すず。 戦争は終わったのに いまだに防空頭巾をかぶってる。 防寒具としてすっかり定着してしまったようだ。

全員分のバケツ

 リヤカーの上には隣保班全員分のバケツが。 体調の悪い知多さん、ご高齢の堂本さんたちを代表して、体力だけはありそうな この二人が選抜されたのだな。

立ち止まる刈谷さん、立ち止まるすず

 隣保館の前で立ち止まる刈谷さんと、あの道で立ち止まるすず。 いい米兵さんから貰ったチョコのかけらをお供えに。 すずと晴美が遭難したのは呉市宮原あたり。

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 現在は国道487号線が走っています。 劇場版の製作過程で、監督たちが原作者からのヒアリングをもとにこの場所を特定し当時の写真を探したところ、二人が遭難したと思われる付近の塀が本当に崩れていたという。

猛烈なインフレ

 道中、闇市の場面で当時の物価が書いてあるが、砂糖が一斤180円になっている。 第13回(19年8月)の時点では一斤20円だったので、実に1年半で9倍の猛烈なインフレである。(特に砂糖は公定価格の267倍を記録した) これは物資不足に加え、政府が復興優先で無分別に通貨を発行し続けたためだ。 小手先の対策は数回行われたがインフレは留まるところを知らず、24年3月のドッジラインまで続くことになる。

 ところで20円と言えば、現在開催中の原画展限定販売の「二十円Tシャツ」のデザインが素晴らしい! もう一つの「ホー、ジョー、スズTシャツ」も秀逸で、この企画をした人に拍手を送りたい。

音戸の渡し

 すずたちは市内から宮原~警固屋へ抜けて、音戸に渡ったようだ。 音戸は第二音戸大橋が出来た現在においても渡し船が残っている。

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 音戸大橋と音戸の瀬戸。

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 第二音戸大橋と音戸の渡しの案内(灰ヶ峰山頂の掲示板より)。 音戸の渡しは日本一短い航路らしい。 作中は当然手漕ぎ船であるが、リヤカーが載るくらいだから結構大きな船ですね。

物々交換

 ステレオタイプな戦時下の描写を嫌う本作だが、やっぱり戦中戦後の物々交換の農家さんは怖そうに描いてある。 作品によっては欲の塊のように描かれる農家だが、基本的には彼らも善意で交換に応じてくれたんだろう。 なにしろ、物交に持ち込まれる品が すぐに換金できるわけではないのだから。 すずの花嫁衣裳、径子のモガの服、そして刈谷さんの一張羅すべてが食料に代わる。 すずは後年、友禅を買い戻しに来るのかな?

 ところで、海水くらい呉港で汲めよ!と言いたいが、軍艦から漏れる油で汚れているのかな? 音戸の瀬戸の速い潮流の海水のほうが安全でおいしいのだろうか?

二重の別れ

 刈谷さんの告白と水原との再会に驚き、水原の無事と晴美への思いに微笑むすず。 すずの表情に二重・三重の意味が重なる複雑な構成だ。 そして、周作がリンと笑って別れられたように、すずにとって水原も思い出の人となる。  

横たわる青葉

 青葉が横たわっているのは警固屋の沖。 現在、アレイからすこじまの潜水艦桟橋の前から音戸大橋(古い方)に向かう487号線沿いに青葉の碑がある。

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 警固屋高架橋下で見かけた、青葉の記念碑の案内。 後で地図を確認したら、私、気付かずに記念碑の前を素通りしてたみたい。 いや、ふつうは海側にあると思うでしょ...(碑は487号線を音戸に向かう際、山側にあります)

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 こちらは長迫の海軍墓地にある青葉戦没者の慰霊碑。 発起人に水原も名を連ねているのでしょう。 海軍墓地の慰霊碑はどれもきれいに管理されていました。

 なお、青葉の艦首から外された菊の御紋は、江田島の第1述科学校(水原の兄が通っていた海軍兵学校)の教育参考館に展示されています。 一般参観も出来ますが、教育参考館内は撮影禁止です。

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 教育参考館外観。 写真左手は大和の砲弾(風防付き)。

水原は何故 ”いま” ここにいるのか?

 ところで、何故 水原は”いま”ここにいるのか? 水原のような下級の水兵には残務整理もないし、8月の末か9月には除隊して江波に帰ってるのではないか? なぜ、12月にこの地に居るのだろうか? そこで、もう一度 作中に残されたメッセージを思い出してみる。 前回の”音戸”というキーワード、そして第36回の軍艦配置図に”わざわざ”書き加えられた大浦崎の「特攻基地」の文字。 まてよ、水原は呉沖海空戦の時(第36回にあたる)、青葉に乗艦していたのだろうか? 

 すでに外洋に出ることの叶わぬ青葉は”防空砲台”として鍋沖に係留されていた。 航海しないのだから、乗員も正規の数は必要ない。 ここで大胆な仮説だが、水原は水上特攻隊員に志願させられていて、大浦崎のP基地で水上特攻兵器の”蛟龍”または人間魚雷”回天”の乗員として訓練を受けていたのではないか? ひょっとしたら、既に本土決戦要員として どこかの基地に配属されていたのではないか? だから、今ようやく呉に帰還し、青葉に会いに来ていたのではないのか?

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 大和ミュージアムの「回天」試作機。 手前は零戦の62型(かなりレアな機体です)。

 全く逆の発想もある。 すでに江波に帰還していた水原は、これから新たに出征するため、青葉にしばしの別れを告げに来ていたのだ。 出征と言っても悲惨な戦いではない。 たとえば復員船の乗員として復員局に赴く途中であるとか… 音戸の三ツ子島(現在は輸入塩の集積地で真っ白な外観である)の北に係留されていた空母「葛城」はいまだ健在で、戦後は復員船として活躍するのだが、ベテラン乗組員が不足していて満足に動かすことが出来なかったという。 操艦マニュアルも終戦時に機密保持で燃やされており、機関長が三ツ子島西に横転していた同型艦の「天城」艦内に潜り込んでマニュアルを持ち出し、ようやく航行が出来るようになったほどだ。 復員船の乗員として戦地からの兵士の帰還のために、新しい日本つくりのために働くのだ。

 あるいは、掃海部隊に志願して入隊するのかもしれない。 第二復員局総務部に”掃海課”が出来るのは21年6月だが、掃海活動自体は戦後すぐに始まっていた。 なにしろ、海上の機雷を除去しなければ復員船の運行も物資の輸送も出来ないからだ。(20年だけで51名の方が掃海作業中に”殉職”されている) 大好きな海に一日も早く”波のうさぎ”が帰って来られるように働くのだ。 水原の口元に笑みがこぼれているのは、”人間の当たり前”の生活を取り戻すために働けるという喜びからだろう。 

思い出の入れ物

 これから自分は亡き人の記憶の器として生き続ける。 ここでも、水原の”自分のことは忘れてくれ”との言葉に反し、思い続けることを選択する すず。 水原がすずの思い出の中の人になるように、水原の中にも すずが、晴美が、思い出として生き続けることを確信する。 ここに すずは リンのことも晴美のことも、そして水原のことも心穏やかに受け入れられるようになる。 すずも ようやく戦後を歩き始めることが出来たのだ。

なぜ すずは許されないのか?

 悲しみを受け入れ、力強く戦後を歩き始めた すず。 作中の時代と読者の時間の歪みも解消された。 それなのになぜ、左手の背景描画は終わらないのだろうか? 単行本を読みながら、”もういいかげんに すずさんを許してあげて!” そう叫びたくなる。 どうして すずは許してもらえないのだろうか? 私には、作者が静かに怒っているように思える。 作者の怒りはどこから来るのだろうか?   



今も呉を見守る晴美

 「この世界の片隅に」連載終了後のH22年ころ、こうの先生が呉市のために2枚組の観光ポスターを描き上げられた。 『オモヒデさがししませんか 大和のふるさと呉』と書き込まれた1枚は”過去編”にあたり、長ノ木から呉軍港の夜景を見下ろす幼き日の径子と周作が描かれている。 『思い出づくりしませんか 大和のふるさと呉』と書き込まれた”現代編”の1枚には、大和を建造したドックの現在の姿が描かれているが、そのドックを見下ろす道に小さく少女が描きこまれているという。 現代風の服を着てはいるが、本作の読者なら、それが晴美だとすぐに気付くという。 そう、晴美は今も呉の港を、呉の街を見守っているのだ。

 このポスターの話しを聞いた時、私は無性にそれが見たくなった。 そして呉に行くことに決めたのだ。 




12月17日、衆議院議員法が改正され、女性に参政権が与えられる。 ようやく日本も近代国家となっていく。

同じく12月、呉市中通りに映画館が復活、市民の暮らしに明るさが戻り始める。

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