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第40回 20年9月 [下巻]

「第40回 20年9月」 掲載’08年(H20年)10月21日号 (発売日 同年 10月7日ころ)

そうか戦争は終わったのか

 前回のシリアスな終わり方から一転し、今回はおちゃらけた台風の”目”から始まる。 そうか、もう戦争は終わったのね。 そして今回はなぜか”サスペンス・ホラー”タッチで展開される。

伯父さんも被爆

 体調の悪い伯父さんのかわりに屋根の修理に赴くすず。 伯父さんも入市被爆の疑いが…

何故、暴風雨の中 出歩くのか?

 それにしても何故、台風の暴風雨の中、みんな外出しているのか? 枕崎台風は、その進路上の気象台で次々と当時の史上最大規模の台風であることが観測されていた。 しかし、戦争の後遺症で各地に伝える通信手段が回復しておらず、その災害情報が市民に伝えられることはなかったのだ。 このため、多くの市民が準備するまもなく台風に巻き込まれた。 それに加えて被害を拡大した原因に山の荒廃がある。 軍港の機密保持のため、軍部は一般市民が山に入ることを禁じていた。 そのため山が荒れ放題となり、土砂災害の危険性が高まっていたのだ。 枕崎台風の被害は”戦災”でもあるのだ。  

敵前逃亡?

 おかあさんを流血させた周作。 占領軍の上陸とともに逃亡を計画しているが… 軍法会議の関係者が逃亡を図るということは、やはり捕虜の取り扱いが原因か? 第27回でも捕虜に対する裁判の準備をしていたが、7月24~28日の呉沖海空戦でも墜落した米軍機の搭乗員が多数捕虜にされている。

先を急ぐ女郵便配達員

 径子と間違えられた郵便屋さん。 劇場版ではおとうさんが海軍病院にいることを知らせる速達を径子に手渡す場面で登場しているが、原作よりもかなり若い設定になっている。 大戦末期の男手不足は郵便局にも影響し、呉市内の郵便の集荷・配達は徐々に遅れだしていたという。 人手不足解消に女給、芸者、人妻が徴用され、ついには登下校の小学生までも動員されたという。  呉市郵便局に勤めていた人の手記が呉戦災体験集にあるが、郵便物を集配の列車に間に合わせるため、呉駅の改札を集配トラックで強行突破、ホーム上で列車に横付けして無理やり詰め込んだという豪快な逸話が載っている。 7月の市街地空襲では、呉市郵便局の当直の職員が7人亡くなったという。

 肝心の郵便物をずぶ濡れにしながらも先を急ぐ郵便屋さん。 この時、彼女のかばんの中には多くの戦死通知、復員通知、家族の無事を伝える手紙が詰まっていたのだろう。 だから、たとえ暴風雨の中でも先を急がなければいけないのだ。 ひょっとしたら、彼女も家族に関する手紙を待ち望んでいるのかもしれない。

径子が職場復帰

 まるで貞子のように崖下から這いずりあがってきた径子。 驚くすずに再び奈落の底に突き落とされる。 そういえば径子が出勤しているのが描かれるのは久しぶりだ。 6月22日の呉工廠空襲の後は精神的ショックで、そして7月1~2日の市街地空襲では寺自体が焼失したと思われる。(29ページの径子の寺が描かれているあたりには、現在は鉄筋コンクリート製の寺がある。 なお、径子の寺の作画上のモデルは、当時は呉市ではなかった川尻町の光明寺さんだそうです。) 市街地空襲後、市内の寺社の境内では臨時の救護所や遺体安置所、あるいは遺体の火葬場が置かれていたそうだ。 径子の寺も臨時の寺院が置かれたか、あるいは住職さんたちが被災を免れた同宗派の寺院に身を寄せ、径子もそこの手伝いに行き始めたのだろう。

おとうさんのクワ

 工廠を解雇されたおとうさん。 軍部が解体されたので、軍人はもちろん、工廠の職員も解雇される。 おとうさんたちのように勝手に鍋や鎌を作って退職金を現物支給にする人や、工廠の官給品を(話し合い or 勝手に)持ち帰る人が多かったようだ。 モノ不足といわれていた大戦末期だが、それでも軍事工場には材料はそれなりに残っていたという。 中には夜中にトラックを横付けして大量に持ち出す人(上層部の人間に多い)や、軍の備蓄米を勝手に持ち出す人も多くいたという。

埋まった防空壕

 防空壕が埋まったと伯父さんが言っているのは、戦争が終わったから埋めたのではなく、たった今、裏山が崩れて納屋と防空壕を押しつぶしたということか。

すみからの手紙

 ずぶ濡れでインクがにじんだ手紙が草津にいる すみからのものだと分かる。 すずだけではなく、おかあさんも径子も喜んでくれている。 この時、おとうちゃんはまだ生きている。

北條家に笑いが戻った日

 ヨメの家族の無事が分かり一安心。 一方、外はあいかわらずの暴風雨、裏山は崩れ、一家の大黒柱は失業と、なかばやけくそながらも自然と笑みがこぼれる。 もう笑うしかない。 すずを含め、北條家の面々が久しぶりに腹の底から大笑いする。 ようやく北條家に笑いが戻ってきた...

遅れて来た神風

 そして、一家は遅れてやって来た”神風”を笑い飛ばす。 なんという皮肉! なんと痛快なメッセージか。 そうだ、戦争は終わったのだ。 

ひょっとして本編の最終回?

 この作品は、最初から作品の全体の尺が決まっていたと思われる。 コミックスの呼び方が上・中・下巻となっているのはそのためだ。 だから、この回以降も あと数回分の話が用意されているのは想像がつくが、ひょっとして、ひょっとしたら、構想の初期段階では この回が最終回ではなかったのか? この回までが(漫画的にあらゆることを試みた冒険的な作品ではあるが)割と写実的なノンフィクションっぽい造りになっているのに対し、これ以降はサブタイトルが付き、いわゆるエピローグ的な位置づけになっていること、また、”みぎて”の作品への介入によって寓話的・心象的な造りになっているからだ。 なにより、この回で終われば みんな笑って終われるからだ。 しかし、作者はそれをよしとはしなかった。



この回の後、’08年(H20年)11月4日号(発売日 同年 10月21日ころ)と’08年(H20年)11月18日号(発売日 同年 11月4日ころ)は休載となっている。



枕崎台風が押し流したもの

 劇場版ではラスト近くの少女が夜眠っているシーンで、鬼火が燃えている表現がある。 これは原爆で亡くなられた おびただしい数の遺体から発せられたリンが燃えていることを示している。 実際に多くの人が目撃された証言をもとに描かれているのだが、この枕崎台風によって地表のリンが全て洗い流され、それ以降の鬼火の目撃はなくなったという。

 

 この枕崎台風によって広島県内では2000名以上が亡くなったが、その中には被爆者の診療と原爆症の研究にあたっていた京都大学の医療調査団も含まれていた。 9月3日より大野町の大野陸軍病院を拠点に活動していた同大学の調査団だったが、突如発生した山津波に病院ごと巻き込まれ、真下教授(内科学)、杉山教授(病理学)をはじめとする11名の研究者、そして同病院にて治療を受けていた多くの被爆者が命を落とした。 京都大学の調査団は医学関係の研究者に物理学のスタッフを加えた本格的なもので、理研の仁科芳雄たちよりも詳細な研究をしていた。 この遭難により、我が国の体系的な原爆症研究が一時滞ってしまった懸念もある。

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