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第22回 19年12月 [中巻]

「第22回 19年12月」 掲載’08年(H20年)1月8日号 (発売日 H19年12月18日ころ)

拒むすず

 このブログは男女の色恋ごとは専門外なので割愛するが、りんどうの茶碗を見なければ受け入れたのだろうか?

海軍よもやま物語

 すずが当たり前の生活をしてることに対し、自分が軍の組織の中で理不尽な日々を送っていることを語る水原。 この作品の中で軍の内情が描かれる貴重なシーンだ。 水原のような下級兵士の理不尽な日常を描いた書物が昭和の頃にはベストセラーになっていた。 光人社の「海軍よもやま物語」、「陸軍よもやま物語」などだ。 シリーズ化されて、他社からも類似の書物が出ていたが、当時のことを知る人が少なくなるにつれ、古書店でも見かけなくなっていった。 2010年ころに光人社から新装版が発行されている。

合祀を拒否する水原

 自分を一緒くたに英霊にするなという水原の考え方は、当時としては大変進歩的というか、絶対に公の場で言ってはいけないことだ。 お国のために戦って死んだら靖国にまつられるというのが当時の常識だったからだ。 実は、現在の自衛隊員も公務中に死ぬと、在籍部隊が属する県の護国神社に合祀される。 私が中学時代、私の地元の山口県で、殉職した自衛官の夫を遺族の了解なしに護国神社にまつるのは信教の自由に反して違憲だとする裁判があった。 (自衛官護国神社合祀事件) 

 実は、この裁判の一審を担当した山口地裁の判事が私の同級生の父君だった。 当時の私は文字通りの”中坊”だったので、「自衛隊は違憲」という立場だった。(憲法に自衛権って書いてないから) 一審山口地検の判決は私たちが中学校を卒業した直後の54年3月22日に出た。 原告の主張を全面的に認め、”合祀は違憲”という、当時としては画期的な判決だった。 同じ高校に進学していた私は、新学期に「お前のお父さんスゴイな」と、同級生に言った覚えがある。 同級生は特に感想を言うでもなく、少し困惑した顔をしたようにも見えた。 私たちの校区には土地柄、自衛隊員の子息も多く、ひょっとしたら周りからいろいろ言われていたのかもしれない。 この判事が、その後どのように処遇されたのかは私は知らない。

 この裁判は二審の広島高裁でも違憲とされたが、最高裁で逆転で合憲とされた。

羽ペンのメッセージ 

 すずが水原の手帳に羽ペンで書いたメッセージ。 ”立派に成って呉れて”というのは、のちに水原の母に言った、”立派になっとりんさった、帝国海軍の誇りじゃ思いました”と言ったのとは意味合いが違う。 よく見ると、鷺が乗っているイカダには白旗。 軍規と誇りとかどうでもいいから、何があっても生きてほしいという、すずの願いが伝わる。 なお、アクション掲載時には、”この絵はこうのさんが本当に羽ペンで書きました”という編集部注が入っているという。 そう、漫画のためならなんだってやるのだ、この人は。

 すずの心配をよそに、この後、水原がイカダの世話になる恐れはない。 満身創痍で呉に帰投した青葉だったが、修理されることもなく、そのまま”防空砲台”として呉沖に留め置かれたのだ。 もう、燃料どころか、修理用の資材もなかったのである。

 この年の暮れ、12月30日に呉海軍工廠で密かに建造されていた伊四百潜水艦が竣工する。 伊四百は全長が122mもある大型の潜水艦で、艦内に「晴嵐」という専用攻撃機を3機収納できた。 海中を密かに進行し、敵地近くで浮上するや艦内の「晴嵐」を発進させ航空攻撃を加える。 作戦終了後は海上に帰還した晴嵐を速やかに回収し、再び海中に消えていくという、現在の潜水艦発射ミサイルの思想を先取りした画期的な兵器であった。 伊四百はもともとパナマ運河攻撃を念頭に開発されていたが、早速、僚艦の伊四百一とともに訓練に入る。 発艦および収納訓練が繰り返し実施されたほか、海中を別々に計器だけで航行して作戦ポイントで合流するという実戦想定の航海訓練も行われたが、乗組員の習熟不足か、あるいは計器の精度不良か、2艦が作戦ポイントで合流できたことは一度もなかったという。


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