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第37回 20年8月 [下巻]

「第37回 20年8月」 掲載’08年(H20年)9月2日号 (発売日 同年 8月19日ころ)

その日を迎えて

 すずが北條家を去る日。 この日まで家族でたくさん話し合ったのだろうか? 意外にあっさりと別れる周作。 おかあさんだけが気に留めてくれているようだ。 そして、読者はすぐに この日が”あの日”あることにも気づく。

みぎてが救ったすずの命

 正しい歴史知識を持った読者は、すずが救われることに気付く。 最近は原爆投下日はおろか、”終戦”の日さえも知らない人がいるという。 それはさておき、朝のうちに北條家にいるということは、すずが原爆に巻き込まれることはないのだ。 そして、その理由が”みぎて”の治療だった。 無いはずの”みぎて”が、すずの命を助けたのだ。

最後まで務めを果たす すず

 この日、実家に帰ることになっているすずだが、最後の最後まで家事を続けている。 不自由な右手を言い訳にせず、懸命にヨメの務めを果たす姿がけなげだ。 一方の径子のほうも、すずの居場所を奪わないように家事の棲み分けをしている様子が伺える。 相変わらず会話はぎくしゃくしているが、やはり、すずの身の回りの世話をしている。

径子の誠実な言葉がすずの心を打つ

 あまのじゃくな径子のセリフに隠れる『行くな、行くな』の声も、すずの心を変えることは出来ない。 しかし、(きっと坊守さんのアドバイスで作った)手の不自由なすずのために仕上げたもんぺを渡した後、意を決して謝罪し、そして自らの心にあるものをすずにぶつける。 まったく飾り気のない(いかにも径子らしい)、しかし、嘘偽りのない誠実な言葉・言葉がすずの心の中に響く。 自分の径(みち)を自分で切り開いて生きてきた径子だからこそ語れる凄味と説得力がそこにはある。 

 第5回で、すずに”広島へ帰ったら?”と言った言葉も、なかば本心だったのだが、それは単なる意地悪からではなく、親の言いなりに不幸な結婚生活を送ることはないという、先輩女性としてのアドバイスだったのだろう。(伝わりにくいが…) そういえば、アクションの対談の中で、すずの髪に触る人の変遷を見てほしいと言っていたな…

 径子の言葉に救われたすずは意を決し、かばんを閉めた手を再び動かそうとする。 それは呉に残ると決めた瞬間=ふるさとと決別した瞬間だった。

ふるさとを捨てた時、ふるさとは消滅する

 まさにその時だ。 故郷を捨てた瞬間、広島市上空で原子爆弾が炸裂するのである。 なんという演出! なんということをするのだ、この作者は! 

59秒に凝縮された珠玉のドラマ

 広島の爆心地から北條家のある上長ノ木までは約20kmだと思われる。 朝からたいへん暑い日だったということから音速を340m/sと仮定すると、爆発の閃光の約59秒後に爆音は到達する。 と、真面目に計算していたら、作者注に書いてあるね… この59秒間に至高のドラマが展開される。

 閃光に驚き、径子と伯母さんが会話している間にかばんからアッパッパを出して、長ノ木に残ることを懇願するすず。 これまでのわだかまり、誤解、気がねが一気に溶けた瞬間。 今、この二人は本当の姉妹となるのだ。 そして、その余韻に浸らせてくれない非常な轟音。 これほど濃密なドラマがわずか1分弱の間に展開されるのだ。


 ちなみに劇場版では、この間が”32秒”しかなかった。 まあ、作品のテンポもあるけど、あと20秒頑張ってほしかった。

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第36回 20年7月 [下巻]

「第36回 20年7月」 掲載’08年(H20年)8月19日号 (発売日 同年 8月5日ころ)

3回目の7月

 冒頭、読者は作者との小さな約束事が崩れていることに気付く。 これまで、読者のいる平成の年月と作中の昭和の年月が一緒に流れていたのが、”3回目の7月”によってずれてしまった。 すずの歪んでしまった心を表現するために、背景が左手描画によって歪むのに加え、今度は時空までもが歪んでしまったのだ。

呉沖海空戦

 この回に描かれる戦闘は、呉沖海空戦と呼ばれ、これまでの都市空襲とは全く性格の異なるものだ。 呉沖に点在する日本海軍の残存兵力(そのほとんどが燃料切れや、港を封鎖する機雷によって機能はしていないのだが)を”壊滅”させるため、執拗に反復攻撃が繰り返された。 地上戦こそないものの、沖縄戦と並ぶ本格的な戦闘なのである。

 この作戦のために動員された米軍空母は、サンヤシント、ベニントン、レキシントン、ベニーウッド、バターン、ランドルフ、シャングリラ、タイコロンガ、ハンコック、インディペンデント、ヨークタウン、カウペンス、モンタレー、エセックス、ワスプ、ボノーム・リチャード と16隻にもおよび、のべ1845機もの戦闘機・攻撃機等が傷ついた日本の軍艦に襲い掛かったのだ。

 防空砲台として係留されていた軍艦は、甲板上に樹木を配置して小島などに偽装していたというが、米軍からは「木ガ枯レテキテイマス。 ソロソロ植エ替エタラドウダ?」という伝単(宣伝ビラ)をバラまかれる始末。 その一挙手一投足まで丸裸にされ、帝国海軍はなすすべなく なぶり殺しにされたのだ。 米軍からすれば、まさに”真珠湾の10倍返し!”だったのである。  

 この作品の舞台に呉が選ばれたのは、作者の実母や祖母の街で、作者自身も青春時代のひと時を過ごしたという偶然によるものだったかもしれない。 しかし、呉の街のその戦いの歴史をあらためて紐解いた時、作者は戦慄を感じ、描かねばならぬという、ある種の使命感を感じたのではないだろうか?

さぎの意味するもの

 空襲警報の発令される中、目の前に現れたさぎを追うすず。 このさぎは鉛筆で描かれている。 この漫画の約束事から言えば、それはすずの心象が具現化されたものか、”みぎて”によって描かれたものである。 ”広島まで逃げろ”というすず。 それはこの地を離れたいというすずの思いが現れたものなのだろうか?

 眼前に現れる米軍機を前に微動だにしないすず。 それはすくみ上っているのではなく、むしろ覚悟を決めているようにさえ見える。 そう、”自分の居場所”に行くために…

民間人を狙う米軍機

 すずを見つけ、躊躇なく発砲する米軍機。 米軍の高官は「民間人は狙わないように指示を出しており、兵もそれに従ってくれた」という発言をしていたようだが、米軍機による民間人への機銃掃射は、大戦末期、国民にとってB-29による都市空襲以上の脅威になっていた。

 49年から放送されたNHKの朝の連続テレビ小説「鳩子の海」は、広島から逃げてきた記憶喪失の戦災孤児(後の鳩子)が、P-51Dに機銃掃射されたところを脱走兵の天平に助けられるというシーンから物語が始まる。(この場面はNHKのアーカイブスなどで視聴できる) それだけ、米軍機の機銃掃射は日本人にとって戦争の恐ろしい記憶として刻み込まれている。 「この世界の片隅に」の劇場版を特集したNHKの「クローズアップ現代+」でも、呉空襲の際に民家(軍事施設とは全く無関係)に銃撃を浴びせる米軍機のガンカメラ映像が紹介されている。 

 20年7月15日の「多治見空襲」、7月28日の「大山口列車空襲事件」、8月5日の「湯の花トンネル列車銃撃事件」など、多くの民間人が犠牲になった。

 作家の開高健や指揮者の小澤征爾なども戦中に米軍機の機銃掃射を体験している。 機銃掃射に遭った人の多くが、低空で飛行する米軍機のコクピットでパイロットが笑っているのが見えたと証言している。

砕け散る呉の思い出

 米軍機の機銃掃射によって砕け散る すずの非常袋。 中にあったのは すずが呉で手に入れた思い出だった。 短くも激しい呉の生活のすべてが粉々に砕け散る。 もう、すずには呉へ残る未練も無くなったのだ。

 同時に、思い出の品(周作のノート、鉛筆、水原の羽ペン、テルの紅)は砕け散ることによって、みぎてに引き継がれる。 

『そうです、そうです、そうです』  「「違います」」

 正直、このすずさんの女心は私にはよくわかりません。 「ふたりで全て解決出来ると思っている」から、なんて言われた日にゃ、もし自分が周作だったら、「じゃあ、どないせぇっちゅうんじゃ!」と切れてしまっていたでしょう。

なぜリンのことを?

 その周作だが、すずと再会した後の存在感が全く希薄だ。 リンのことで気まずくなったせいか、本来ならばすずのそばに寄り添い、その傷ついた体と心を癒すはずの夫が全く機能していないのだ。 広島へ帰る理由を聞いた時も、その心当たりとして挙げたものが、手のこと、空襲のこと、そして少し間をおいてから晴美のことの順番である。 すずを嫁にもらった理由がおかあさんの家事をやってもらうためだったので、家事が出来なくなって居づらくなるすずを気遣うのは、まあ わかる。 でも、晴美のことが空襲の後か?? すずの心を痛めている一番の理由だと分かっているんじゃないの?? 姉に気がねでもしているのか???

 そして、なぜこのタイミングでリンのことを言うのか? 夫に内緒で知り合いになっていたことに怒っているのか? それとも、リンのことを持ち出せば翻意すると思ったのか?? 実は、周作はこの時既にリンの末路を知っている。 この期に及んでも、なお すずを悲しめないように本当に秘密にしようとした、やさしさだったのか?

 このブログは男女間の色恋ごとは専門外なので、お手上げです。


この回に登場した主な艦船(63ページの配置図の北から)

摂津 標的艦、7月24日 大破着底。

磐手 出雲型装甲巡洋艦の2番艦、7月26日 沈没。

出雲 出雲型装甲巡洋艦の1番艦、7月24日 転覆着底。

榛名 金剛型戦艦の3番艦、7月28日 大破着底。

利根 利根型重巡洋艦の1番艦、7月28日 大破着底。

大淀 潜水艦隊旗艦の軽巡、7月28日 大破横転。

龍鳳 潜水艦母艦 大鯨を改造した空母、呉沖海空戦では中破するものの健在で、終戦まで防空砲台として使用される。

青葉 青葉型重巡洋艦の1番艦、7月28日 船尾部を切断し着底。

葛城 雲竜型空母の3番艦、小破するも健在。 戦後は復員船として活躍し、22年11月30日解体完了。

伊勢 伊勢型航空戦艦の1番艦、7月24日 大破着底。

天城 雲竜型空母の2番艦、7月28日 横転着底。

日向 伊勢型航空戦艦の2番艦、7月25日 大破着底。

辰和丸 特設運送船、5月10日 触雷により沈没。(呉沖海空戦関係なし) 戦後、50mもの海底から引き揚げられて民間の貨物船として復活。 29年5月11日、南シナ海上で台風に遭遇して沈没。

北上 球磨型軽巡洋艦の3番艦、7月24日 大破航行不能に。

阿蘇 雲竜型航空母艦の5番艦、建造中に工事中止し、7月に特攻用兵器の実験台となり転覆沈没。(呉沖海空戦による被害ではない)

その他、名前のない2艦(江田島の海軍兵学校沖)

旧時津風(廃艦) 天津風型駆逐艦の4番艦、14年に除籍し15年に練習船として係留されていた。

大須(旧駆逐艦 柿) 海兵練習艦、樅型駆逐艦の7番艦、15年に除籍し練習艦に。

2艦とも枕崎台風で沈没・座礁し、のちに解体された。 

”特攻基地” 

 63ページの配置図には、海上の軍艦のほかに地上の海軍施設が記入されている。 呉と広の工廠や、水原の兄が通っていた江田島の海軍兵学校などは、作中に登場する馴染みの施設だ。 しかし、音戸の東側の岬に、なぜか作中に全く登場しない ”特攻基地” が示されている。 これは、大浦崎特攻基地(通称P基地)のことで、海上用特攻兵器の”甲標的丁型(蛟龍)”や”人間魚雷 回天”の研究・製作と乗組員の訓練が行われていた所だ。 

 ”蛟龍”は魚雷発射管を上下2基搭載する小型の潜水艇(乗員5名)で、その小さな船体を活かして敵の懐に潜り込み、魚雷を発射するという設計思想であったが、その居住性のあまりの悪さから、中の乗員の体力が3日しか持たなかったという。 一回の攻撃が終わったら、無事に帰還できる保証がない船であった。 ”回天”に至っては、”操縦室の付いた魚雷”そのもので、まさに水中の特攻専用艦であった。  

 この作品は戦時ものとしては、かなり特異な存在だ。 戦中の生活を描いている割には、そこに必ずあったはずの、大本営発表のラジオ、赤紙、”天皇陛下万歳”、”非国民”や”贅沢は敵だ!”の大合唱、神風神話などは全く出て来ない。 出て来たとしても、せいぜい皮肉に使われるくらいだ。 そして、作中には”特攻隊”を匂わせるような話は一切出て来ない。

 当時の戦災体験記には、特攻隊による連日の「大成果」によって、深刻な戦況の中にも希望を見出したり、厳しい工場勤めの励みにした人がかなり多くいた様子が伺える。 結果的に特攻隊の”大活躍”は国民の戦意高揚に大いに貢献していたのである。 そして、来るべき”本土決戦”への覚悟を国民一人一人に根付かせていったのである。

 この特攻隊のありさまは、「誰か」の「生」のきらめきを描きだそうとする本作の趣旨とは著しく相容れないため、作者がこれを徹底的に排除しようとしたのは、よく理解できる。 では、何故 このページの地図にわざわざ書き加えたのだろうか? 61ページの軍艦配置図は、「呉戦災を記録する会」が作成した地図が元になっている。 実は、このオリジナルの地図には”特攻基地”は記入されていない! つまり、作者の意志により、敢えてここに書き加えられていると考えられるのだ。 なぜか? 先にも述べたように、特攻隊のことは本作には決して描きたくはないという作者の信念。 一方で、そのような非人道的な兵器を製造していた工場があったことも、そこに働く人々が呉にいたこともまた、消し様のない事実なのである。 愛する呉の街の歴史に嘘はつけないと思った作者が、ここに密かに描いていた… と考えるのは穿った見方なのだろうか?


この回に登場した航空機

グラマン F6F ヘルキャット 離昇出力2000馬力、最大速度605km/h、武装12.7mm機銃×6。 ”ゼロ戦のライバル”と言われるが、出力・防御力・急降下制限速度のどれをとっても零戦を凌駕しているので、この機体に複数機で一撃離脱戦法をやられると、とてもじゃないが太刀打ちできないはずだが… この機体の包囲網を抜けて生還する凄腕パイロットも日本にはいたのである。


呉沖海空戦の直前の7月20日、潜水空母「伊四〇〇」がウルシー環礁に集結する米軍艦隊に特攻攻撃を仕掛けるため、僚艦「伊四〇一」との会合地点である大湊に向けて出撃した。 皮肉にも、彼らが太平洋の海面下を密かに航行している時に、母港は彼らの作戦目標だった艦隊により壊滅させられるのだ。 この海戦では建造中だった「伊四〇四」も大破し、自沈処分されている。 


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第35回 20年7月 [下巻]

「第35回 20年7月」 掲載’08年(H20年)8月5日号 (発売日 同年 7月15日ころ)

ない事を思い知るすず

 ギプスが取れたすずの右手、その異様な形状に読者は息をのむ。 自分の右手の現状を初めて目にしたとき、すずはどんな表情をしたのだろうか? 大好きな絵を二度と描けないことを悟り、すずの心が歪(いが)みだす。

歪(いが)む世界

 そして、右手がこれまで紡いだ思い出を一つ一つかみしめていく。 それぞれ、第32回、31回、28回、27回、24回、23回、22回、20回、18回、15回、14回、12回、10回(タネをのせたのは4月だと思うが…)、8回、7回、6回、3回、1回、”波のうさぎ”、”大潮の頃”に連動している。 この独白で、”謎”の第23回が正月に家族でカルタ大会をしていた時の話だと分かる。 また、”冬の記憶”の思い出がない。 ”11年前の1月にはキャラメルを握りしめた右手”とか、”・・・ 海苔に星を刻んだ右手”とか出来ると思うが。 次ページに すみが登場するため、ここで切ったか?

 そして、すずの歪んでしまった心を象徴するように、この回から最終回まで背景が左手で描かれ続ける。 これは、決して思いつきでやられたのではない。 すずが右手を喪失する構想を固めた時、作者は商業誌掲載に求められる最低限のクオリティと執筆スピードを得るため、何度も何度も左手で描く訓練をしたという。 うまくなり過ぎないところまで続けられた訓練。 本当に恐れ入る。 

純綿の生地

 すみがお土産で持ってきた純綿の生地。 鬼ぃちゃんが「大潮の頃」で着ていた着物の柄に似ている気がするんだけども… 久しぶりの姉妹の会話に束の間の笑みが戻るが、径子の登場で再び(姉妹ともに)、居心地の悪さを感じてしまう。 径子は会話こそしないが、すずの身の回りの世話はしっかりやっていると思う。 ただ、それはすずにとって あまり気持ちのいい事ではないだろう。

重症の姉をばしばし叩くすみ

 将校さん(前は少尉さん)のことを冷やかされて、思わず全力で姉をばしばし叩くすみ。 お姉さん、まだ重症だと思うんですけど… すずの傷は、外観上は右手の欠損と、たぶん一生残る右ほおの傷だけだが、おそらく服の下の右半身には無数の火傷、裂傷、擦過傷があると思われる。 そして一番大きな傷は、その心に。 

ブチ切れるすず

 家を壊してもらったのに出て行かない人に、半ば八つ当たりのように切れるすず。 自分は今すぐにでもこの街から立ち去りたいのに、なぜ、立派な理由がある人が出て行かないの!! だが、実はすずはその答えを知っているのだ。 第31回で自ら、”大切な人を見つけるため家に居続ける”と言っているのだ。 そのことさえも思い出せないほど、すずの心は歪み始めている。 そして、すみからの意外な一言に、一瞬 言葉を失う。

すみの言葉に読者は2度戦慄する

 常に姉想いの妹として描かれるすみ。 そのすみが姉のことを心から思い発した言葉に、すずはおろか読者も困惑する。 手が不自由で家事が出来ないのなら、家に帰っておいでと。 すずにも呉を離れる正当な理由があることを気付かせるのだ。 ちょっと表現は悪いが、子供が出来ん上に家事も出来んようになったヨメは実家に帰されて当然なのだ。 もちろん、北條家はそんな理由ですずに離縁を迫ったりはしないだろう。 すずも にわかには受け入れ難い話だろう。 だが、自分にも呉を離れられる理由があると知ったことは、すずの心を大きく揺り動かしていくことになる。

 そして、すみの次のセリフに読者だけが戦慄するのだ。 ”来月の六日までには帰っておいでね!” なお、この回以降、すみの将校さんがどうなったか? 作中では全く触れられていない。

7月16日。 アメリカがニューメキシコ州ソコロで”トリニティ実験”を成功させる。 人類史上初の核実験である。


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実写版やってるーーー!!! [番外]

ふとチャンネルを合わせた日テレプラス。 ん、実写版??

実写版やってる!(H29年4月15日22:00~24:05) 

なんか、こっぱずかしい。


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第34回 20年7月 [下巻]

「第34回 20年7月」 掲載’08年(H20年)7月15日号 (発売日 同年 7月1日ころ)

縦長のコマ

 20年7月1日は日曜日だったが、国民学校では”学徒隊”結成式が行われ、小学生が学校の周りを隊列を組んで行進したという。 呉市街を襲う空襲を描いた今回は、いつもより2ページ多い10ページのはずだが、増ページも気付かないほど最後まで一気に読ませる。 また、前回のラストカットから続く縦長のコマが多用され、上空から降ってくる焼夷弾の恐怖と物語のスピード感が強調される。

肝が据わってるおかあさん

 迫りくるB-29に対して、あんまりおかあさんが慌ててないというか、肝が据わってるというか、やっぱり北條の人はどこかネジが一本抜けているというか… 一昨日 岡山に来た空襲というのは6月29日の岡山大空襲のことで、B-29 70機による空襲で死者1700名余りと言われている。 同日に下関と延岡も空襲に遭っている。

 おかあさんが落ち着いているのも、”空襲は怖くない、そんなに当たるものじゃない、落ち着いて火を消せば大丈夫”という 大本営の発表を信じているからか? 

なぜ長ノ木に焼夷弾?

 空襲が始まってすぐに一発の焼夷弾の直撃を受ける北條家。 なぜ、長ノ木のような街はずれに焼夷弾が降ってくるのだろうか? 流れ弾か? 

 当時の呉市民の空襲体験記によると、米軍は まず町中に重油を降らせ、次に街の外周部を空襲し(この時、長ノ木に着弾)、最後に本体が街の中心部に大量の焼夷弾を投下して行ったという。 最初に重油を撒くのは焼夷弾の効果を増すための常とう手段だ。 では、なぜ次に街の外周部を焼き払ったのか? 

 米軍はまず、呉市街の南東にそびえる休山の麓の宮原・警固屋方面、次に北西側にそびえる鉢巻山の山麓である両城・美津田方面、さらに広に通じる呉越峠を焼き払ったという。 三方を九つの峰に守られた天然の要塞である呉市の広島方面、音戸方面、そして広方面へと抜けるすべての道が炎の壁で塞がれたのだ。 これは、市民の逃げ道を断つためだったと、今も多くの呉市民が信じている。

正気に戻るすず

 書斎に落ちてきた焼夷弾を前に正気を取り戻す すず。 劇場版ではすずの表情が乙女チックな演出になっている。 不自由な右手ながら、からだ全体を使って消火に当たる すず。 劇場版では、すずのアッパッパに瞬時に火が燃え移っているが、これは火自体が燃え移っているのではなく、アッパッパに付着した燃焼剤が空気と反応して瞬時に発火している様子を表現している。 こういうところの演出が細かいな。

 『落ちたかね』 この時、すずに声をかけているのが径子であることに注目。 家の一大事に、わだかまりも気がねも忘れて普通に会話出来ているのだ。

 北條家を襲った焼夷弾は不発弾であると次回で説明されている。 この焼夷弾が本来の性能を発揮していれば、噴出口から炎を撒き散らして すず一人ではどうにもならなかったはずだ。 燃焼剤の充填不良か噴出口の詰まりがあったのだろう。 

北條家が高台にある理由

 劫火に包まれる市街地を呆然と見下ろす すず。 この作品では徹底した傍観者目線が貫かれている。 どんな厄災にも、基本 主人公のすずは一傍観者でしかないのだ。 これは街はずれの高台(というより山)にある北條家のロケーションが大いに貢献している。 北條家は作者の祖母の家がモデルになっているという。 それ自体は偶然だったかもしれないが、大戦という時代の激流を一女性が世界の片隅から覗き見るという、本作の主題に非常にマッチした舞台を提供しているのだ。

逃げてくる市民

 市の三方の逃げ道を塞がれた市民は、劫火から逃れるために山の方向に逃げて行ったという。 そして、北條家のような山間の集落でしばし休憩し、翌日、火災が収まったのを見計らって再び街に戻って行った。 呉市民は当初は訓練通りに懸命なバケツリレーを実施したが、すぐにそれが焼け石に水だと気付いて家族とともに逃げ出したそうだ。 空襲対策、消火活動、床下の簡易壕... 大本営の指導が、すべて幼稚なまやかしだと思い知らされたのだ。 作中にあるように、床下にしまっておいたイモにちょうどよく火が通っていて、それを食べたと多くの市民が語っている。

目を合わさない径子

 避難者から分けてもらったイモを径子に勧めるすず。 以前(わずか10日前なのに!)のように呼びかけるすずに対し、目を合わさない径子。 先ほどは普通に会話出来ていたのに... 再び深く落ち込むすず。 自分はやはり決して許されない存在なのだと。

 しかし、本当にすずのことを疎ましく思っているのなら、咄嗟のことでもあんな呼びかけにはならないはずだ。 このとき、径子がわだかまりを持ち続けているのは すずではなく自分自身に なのではないか? すずに対し心無いことを言って深く傷つけてしまったこと、そして、それを素直に詫びられない自分に対して。 不幸にも、お互いに自分自身を責め続けて苦しんでいるのだ。

リンさんを探して...

 朝日町の名を聞いて不意にリンのことを思い出す すず。 そこに帰宅した周作。 とっさにリンの安否確認を請い、そのまま失神する。 リンのことはお互いに秘密のはずなのに... 


呉市街地空襲の夜が明け、さらに4日後の7月6日。 マリアナ諸島のテニアン島へ1機のB-29が到着し、すぐに弾倉の改造工事に入る。 機体番号 44-86292。 のちに”エノラ=ゲイ”として知られる機体だ。


 この回掲載号の発売日から10日後の7月11日、コミックス中巻が発売される。 読者は、この物語が最終話に向かって突き進んでいることを再確認するのだ。 
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第33回 20年6月 [下巻]

「第33回 20年6月」 掲載’08年(H20年)7月1日号 (発売日 同年 6月17日ころ)

錯綜する記憶

 呉工廠の空襲から数日後、おとうさんとともに北條の家に戻ったすず。 鎮痛剤が効いているのか、混とんとする意識の中で過去の記憶(細線;丸ペン or ボールペン)と、現実(太線;Gペン)と、思考・空想(鉛筆)が錯綜し交差していく。 この時、すずの脳裏に家を壊してもらった女性が刻み込まれているのに注目。 

水鏡に映るもの

 40ページと41ページの中段は小春橋の上の光景が水鏡(※)に投影されている。 出会いを喜び、未来を確かめ合う二人に対比されるのは、これから心中するテルと水兵。 生と死が対比がされ、晴美がすでにこの世の人ではないことが明らかにされる。

 (※水面に投影された世界で虚と実が入れ代わる手法は「長い道」の「水鏡」の回で行われている。)

晴美の扱われ方が具体的

 非常に短い文章だが、晴美のかけらが一つ一つ集められていく描写が具体的だ。 そう、すずはずっとその場にいたのだ。 自身も重傷を負って、意識は朦朧としていたかもしれない。 目もかすんで見えなかったかもしれない。 耳も爆音に麻痺して聞こえなかったかもしれない。 しかし、応急処置を施され病院に搬送されるまで、ずっとその場にいて救護の人々の一挙手一投足を空気の流れで肌に感じ取っていたに違いない。 そして、病院に向かう間も、かすれる声で決して返事をすることの無い人に向かって名前を呼び続けたのだろう。 それはすずにとって無限にも感じられる残酷な時間だったに違いない。

初めて見せた径子の弱さ

 一方の径子はどうか? 呉駅周辺で空襲をやり過ごし、すぐに病院に向かったのだろう。 散々あたりを探し回ってようやくそれらしき負傷者を見つけた時... (ここからは私の全くの推測だが、)果たして径子は晴美との対面を許されたのであろうか? そのあまりの惨さから、対面させてもらえなかったのではないか? 径子が愛する娘を再び抱きしめられたのは白木の箱に入れられた後ではなかったのか? 

 何日も泣き続けた顔。 すずが意識を失っている時に両親から、「すずさんを責めたらいかんよ」と繰り返し言われていただろう。 自分でもそれはわかっているはず。 しかし、意識を取り戻したすずに対して発したのは、決して今の義妹には口にしてはいけない言葉だった。 この作品で初めて見せた母としての弱さ...

繋ぎとめられているコマ

 ところで、41ページの最初と最後のコマは隣のコマと枠線がつながっている。 一般的な作画方法では、このような水平に配置されたコマを描くときには、まず水平の横線を一気に引いて、それから隙間になる部分をホワイトで修正するのが一般的だが、消し忘れたのだろうか? まさか、この作者がそんなミスをするはずがない。 これも意図があって繋げられていると解釈すべきだ。 そういえば、第20回でも、やはり径子のコマが隣のコマと(この時は針と糸で)結び付けられていた。 この時繋げられていたのも、今回と同じく、径子と愛する家族たちだった。 外では社交家として振る舞い、強い女を演じている径子。 実は心の底では誰よりも他人と結びついていたいと願っているのだろう。

 そして、この回のコマは、今にでもバラバラになって飛んでいきそうな径子の心を、必死に繋ぎとめているようにも見える。 いや、むしろ、必死に手を伸ばしているのは他ならぬ径子自身かも知れない。 すずのことを攻め立てる言葉を浴びせながらも、本当はこんなことを言うためにずっとそばにいたのではないと、本当はすずをいたわり、晴美の最後の様子を聞きたいと思っているのではないか? こんなにも取り乱した自分を優しくなだめるおとうさん、おかあさんに、もっと厳しく叱って欲しいと願っているのではないか?

 すずも、径子も、(そして北條の家族も)深い深い悲しみと後悔の念にとらわれるのだ。 この物語では空襲で焼かれる街の中を逃げ惑い、そして成すすべなく炎に焼かれていく家族はけして描かれない。 防空壕で蒸し焼きにされる人々も描かれない。 原爆投下後の広島で一瞬にして灰になった市民も、水を求めて彷徨った無数の人々が川面に浮かぶ様子も描かれない。 ただ、一人の女性がたった一人の愛する人を亡くした悲しみと、心に負った深い傷が丹念に丹念に描かれるのだ。 たった一人の悲しみでさえこれだけ辛く重苦しいという事実を我々に投げかけるのだ。 

そこは楽園ではない

 最初は、どうしたら晴美を救えていたかというすずの思考が、いつの間にか目的がすり替わって行っている。 すずが自分の居場所だと思った世界。 一見楽園に見える塀の向こうの世界。 しかし、そこは決して楽園ではない。 虹のように見えるのはB-29の飛行機雲だ。 そこは黄泉の国なのだ。 (爆風に乗っている時点で無事なはずがない!) 

”みぎて”初登場

 この楽園を描いているのは”みぎて”だ。 この回の時点で、まだ読者はすずの右手の状態を把握していないので、単純にすずが心の中で描いた世界と思うだろう。 ひょっとして、この時のみぎては、まだすずの意志しか反映していなかったのかもしれない。 この後、みぎてはいろいろな人の散り散りの記憶を集めてレベルアップしていく。  

空襲慣れした市民

 ”この音は来やせん”と言う おとうさん。 実はおとうさんに限らず呉市民の多くは、(度重なる軍事施設への空襲にもかかわらず)空襲慣れしていた様子が体験記からうかがえる。 空襲警報は頻繁に出されるが、すぐに解除されるからだ。 狙われるのは軍だけ、と思っていたようである。 だが、実はこの時、偵察用のB-29は呉市街地や防空砲台として呉沖に配置された軍艦の写真撮影を繰り返し、爆撃用の詳細な精密地図を作成していたのだ。  

女たちの心の再生の物語

 深く傷ついた女たち。 そしてこの物語は、女たちの深い悲しみと苦しみと葛藤と、そしてその心の再生を描いていくのだ。 

つめ草の花言葉 

 回想の人となった晴美は、いつも つめ草と一緒に描かれている。 そんな印象が強いのだが、調べてみると、つめ草と一緒に描かれているのは、この回と巻末の参考文献のところだけだった。 それほど、この回の印象が強かったのだろう。 つめ草、シロツメクサ、クローバー、三つ葉、四つ葉、花冠。 女の子に馴染みの深いこの花には多くの花言葉があるが、作者がデビュー作 「街角花だより」で紹介しているのは…

 ”わたしを思い出して”

6月23日。 激しい地上戦の末、沖縄が米軍に占領される。 これにより西日本は、空母の艦載機のみならず、P-51D”マスタング”といった陸軍機の射程範囲内に陥る。 


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第32回 20年6月 [下巻]

「第32回 20年6月」 掲載’08年(H20年)6月17日号 (発売日 同年 6月3日ころ)

呉の街並みMAP 

 呉市の地図が示され、北條家や径子・周作の勤め先など主要な場所が説明される。 右ページの広地域は単行本描き下ろしなのか掲載時からこうなのかは不明。 

足取りの重い径子

 おとうさんが生きていることを知り、軽やかに坂を駆け下る径子。 しかし、帰りの足取りが重そうなのは上り坂だからというわけでもなさそう。 呉駅前で元気のない径子を軽口で励ましたつもりのすずだが… 

 晴美の最後のランドセル姿。(27ページにもちらっと映っている) ところで、この時期は個人旅行は制限されているはずだけど… 学童疎開ということで許されたのだろうか?

すべてを悟ったおとうさん

 鉄壁の防御のはずの広工廠が爆撃で壊滅し、また、大和の沈没など実際の戦況を理解したおとうさん。 いったい自分は何のために頑張ってきたのか? そして晴美を下関に疎開させるように径子に諭したことをすずに伝える。 はたしてすずは径子の辛さをどこまで理解できていたのか? 晴美のためとはいえ、苦労して認めさせた親権を手放さなくてはいけない辛さ。 いつまた空襲にさらされるかもしれない呉の状況から、本当に今生の別れとなるかもしれない。 仮に生き残っても、黒村の両親が再び晴美を返してくれるだろうかという底知れぬ不安。 それでも晴美のために泣く泣く預けに行くのだ。 まさか、これが本当の別れになるとは…

「下関いうても郊外じゃし...」

 おとうさんのこのセリフからは、作者の苦しい胸の内が伝わってくるようだ。 『久夫助けますから...』 私にはこう言っているように聞こえる。 下関もほかの都市と同様、終戦間際に激しい空襲に見舞われているのだ。

 6月29日と7月2日の二度にわたる夜間空襲で420t以上の爆弾・焼夷弾が投下され、建物被害1万戸以上、死者324名、被災者は46000人を越える被害となったのだ。 市内の軍需工場はそのままで、市街地だけが狙われた。 すでに占領後の再利用が視野に入っていたのは呉と同じだ。 この空襲により市内の医療施設が壊滅し、空襲後に発生した集団赤痢などに有効な処置が行えず、さらに多くの市民が犠牲になった。

 さらに、下関で空襲以上に深刻だったのは関門海峡に投下された大量の機雷だった。 日本の主な航路に機雷をばらまき海上交通を寸断させる作戦は”飢餓作戦”と名付けられたが、文字通り日本の物流や人員輸送を寸断させた。 この無数の機雷は戦後の復員船の往来や食料・物資の輸送の大きな障害となり、実際に復員船が触雷して多くの犠牲者が出た。(浮島丸事件、室戸丸沈没事故、女王丸沈没事故など)

 このため、戦後、軍の組織は相次いで解体されたが、掃海部隊だけは再編成されて日本各地の機雷撤去の任に就いた。 無数に散布された機雷を一つ一つ処理する現場は過酷なもので、戦後に”戦死”するものが相次いだ。 27年に国内の主要航路と港湾に「安全宣言」が出されたが、殉職者78名、負傷者200名以上を出した。 同年6月、香川県の金刀比羅宮に殉職した人々を慰霊するための”掃海殉職者顕彰碑”が建立された。(この碑には殉職者は79名とされている) この血の歴史によって培われた貴重な経験は、しかし我が国の貴重な固有技術になった。 海上自衛隊は世界有数の掃海能力を誇るとされ、世界各地の紛争の後処理に貢献しています。

 なお、30年代に入り、各地の掃海部隊は次々に解体・再編されていったが、下関の部隊は今なお現役で活動しているという。 

初の本格空襲

 おとうさんを見舞った後、船を見に行く途中で空襲に遭遇するすずたち。 共同防空壕に入れてもらい、初めての本格空襲を体験する。 空襲は9時31分から10時43分まで続き、1289発もの爆弾が投下された。 この空襲で呉工廠の兵器工場は壊滅したが、造船ドックはほぼ無傷だった。 占領後の再利用をすでに視野に入れていたためと言われているが、大和の建造されたドック(現ジャパン・マリンユナイテッド)が今なお残っているのはそのためだ。

 この空襲の犠牲者は400名以上と言われている。 劇場版では呉駅前から隊列を組んで出勤する挺身隊の少女が描かれているが、その多くも犠牲になった。 工場地下の防空壕に避難したものは壕ごと吹き飛ばされ、海岸沿いの横穴式の防空壕に逃げ込んだものは、決壊した堤防から流入した海水により全員が溺死したと言われている。 当然、公式発表では犠牲者は軽微となり、公式発表以上の死傷者を書いた(工員から家族に宛てた)手紙さえ没収されたという。 呉市の公式記録でも、永らく この日の空襲のことは記載がなかったという。

 1時間以上も防空壕の中で恐怖に震え、蒸し暑さに耐える二人。 晴美を励ますために描いた家族の絵。 それがすず本人が描いた最後の絵となる。

呆然と立ち尽くす女(ひと)

 空襲後、被害に遭った家から水をもらう二人。 壊された家の前で呆然と立ち尽くす女性の姿が すずの脳裏に刻みこまれる。 彼女は何を思い立ち尽くしていたのか? 愛する人を見つけ出すために留まっていた家を失い、これからどうするのか? 空襲の恐怖と戦い、それでも彼女はそこに留まろうとするのだろうか?

最後の言葉

 あの道へ向かいながら晴美は「おなかすいたねぇ」と言う。 そういえば、究極の食糧難と戦っているのに、この作品では誰一人 ”ひもじい”と言わない。 愛する人と離ればなれになっても、会えなくなっても、誰一人 ”さびしい”とは言わない。 この作品は『戦時中の日常をリアルに描いた』と言われているが、実はその日常を強調するために かなり大胆な”日常生活”のデフォルメが行われているのだ。(「あとかたの街」と読みくらべると、それはよりはっきりとわかる) 戦局の説明が省かれているばかりか、本当の”生活”にはあるはずの感情や欲求がカットされているだ。 

 しかし、晴美は違う。 少し遠慮はしているが、この作品内で唯一人 思ったことを口に出来るのだ。 腹が減ったら”おなかすいた”。 そして、家族全員が暮らせる日を誰よりも願っている。 この作品では すずの描いたものは、無のものは生を与えられ、虚は真実になる。 すずが母と自分の隣に兄を描いてくれれば、必ず家族は再び一緒になれる。 それが晴美の願いではなかったのか? 晴美の最後の言葉...

 ”ねえ すずさん こんど晴美のお兄さんも描いてねえ”

畑に突き刺さる爆弾

 まるで大根のように畑から生えている時限式爆弾に気付くすず。 とっさにその場から離れようとするが…

 この爆弾は大きさからすると250キロ爆弾のようだ。 米軍の記録から、この日、18000フィート(5490m)から227発投下されたものの一つであると思われるのだが、5000m以上から落とされた250kgもの爆弾が作中の絵のように畑に突き刺さっていることなど考えられない。 劇場版のように地面にめり込んでいるはずだ。 リケジョである作者がこんなミスを犯すとは考えにくいが、紙面の都合とわかりやすさを優先して、あえてあのような表現になったのであろう... と、私も思っていたんですが、実際に6月22日の呉工廠空襲を体験された方の手記に、”爆弾が地面に突き刺さっているのを見た”との証言があるのです。 

 この畑に突き刺さる爆弾の絵は、原作の数少ないミスと一般に言われていますが、あながち間違っているとは言い切れないのです。


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第31回 20年5月 [下巻]

「第31回 20年5月」 掲載’08年(H20年)6月3日号 (発売日 同年 5月20日ころ)

すずさんは小まいのぉ

 様子のおかしい周作。 おとうさんの影膳。 そして自分が任官することを告げる周作。 何も言わないすずのみぎて。 最初取り乱したが、すぐに周作の気持ちを察し健気に家を守ることを誓う。 そして、「この家に居らんと周作さんを見つけられんかもしれんもん...」 絞り出すような声。 

戻されたセリフ

 劇場版では、このセリフは当初、「周作さんにつけてもらえんかもしれんもん」となっていたそうだ。 それを主演の のんが「すずさんはそんな受け身ではない」と、監督に直談判をして原作通りのセリフに戻してもらったという。(アクションでのこうの先生との対談より) ああ、漫画の神様、ありがとう。 のんを、能年玲奈をこの作品のために取っておいてくれて! 

男子目線の壁

 このセリフの改変、つまり、”すずさんがかわいそうだから誰かが見つけてやらねばいけない”といのうは、いかにも男子目線だと のんは言い、作者のこうのさんもそれに激しく同意する。 確かに、”見つけてもらうために家にいるんだろ?”と、私たち、世の男性陣は思いがちだ。 実は、こうのさんの「長い道」の中にも同様なシーンが出てくる。 主人公の”道”は、かつての思い人を探すため、時間があれば 以前 偶然すれ違ったことのある神社の前に座っている。 相手の”実家に電話して 連絡先を教えて貰えば済む”ことを、ただただ、ひたすらに相手が通り過ぎるのを待っているのである。 まるで運を天に任したかのようであるが、彼女からすれば、それは必死で探しているのである。 

 どうも男たちは必死に動き回っていないと探したことにならないと思っているのだが、ひとところに留まって見つけ出すという方法も女性陣にはありなのだろう。 見つけてもらうためでなく、見つけ出すために留まる... そういえば、この作品には、のちの空襲で家を壊されても焼かれても、そこに留まり続ける女性が出てくる。 その時、すずさんは”なんで出て行かないの!”と逆切れしてしまうのだが、実はその理由、自分で見つけているのだ。 

捜索する姉弟

 任官までの間、家の用事を済ます周作。 その中で径子と一緒に11航空廠の犠牲者の遺体安置所を訪れている。 おとうさんを探すためだ。 被害は軽微なのに累々と並べられた遺体。 もう周作たちも、この戦争はヤバいことになっていると気付き始めているのだろう。 当時の空襲体験記の中に、”呉の街が空襲されるようじゃ もうダメ”と軍人の親族から聞かされたという話がある。 鉄壁の防御を誇ったはずの軍都 呉。 たしかにそこを好きなように空爆されるようじゃ...

 このシーンでもう一つ重要な点。 おびただしい数の遺体を検分して気持ちが悪くなった径子の姿だ。 とても気分のいい仕事ではないが、かといって(径子には頼りない)周作にだけ任すことも出来ない。 そこに身内がいるかもしれないと思うと、たとえ吐き気をもよおすような遺体でも見ない訳にはいかないのだ。 家族が行方不明になったら、わずかな手がかりを求めて必死に探すのだ。 のちのおとうちゃんや すみのように。 

周作の懸念

 初めて夫の絵を描くすず。 何とも幸せそうな顔。 それは決して周作の言うように、忘れないためではないはずだ。 すずさんの絵は生かすための絵だ。 しかし、この人なら忘れてしまうかもしれないという周作の懸念は、この作品の(男女パートの)最大のクライマックスで現実のものとなる! あーあ、かわいそう。  

呉のすべて

 周作を描いたノートを柱にかけた非常用袋に入れるすず。 周作から貰ったノート、水原の羽ペン、テルの紅。 この小さな袋の中には、すずが呉で築いた思い出のすべてが入っているのだ。

赤紙の無い出征

 そして、そのテルの形見の紅で化粧し、夫を見送るすず。 笑顔を作ってはいるが、それは心からの笑みではない。 内に秘めた不安が伝わってくる。 別に戦地に行くわけでもなく、刈谷さんの息子さんに比べればはるかに安全なのだが、すずにとっては出征と同じなのだ。 (正式に軍人となるので、上官から突撃せよと言われたら行かなくてはいけなくなるのだが..) この任官の日は原作では特に言及されていないが、劇場版では15日のこととされ、当時の記録から雨のシーンに変更されている。 

無邪気な晴美

 すずの気持ちを顧みるでもなく、晴美が無邪気に”かっこええ”という。 晴美は、軍国主義が人々の生活や子供の遊びに入り込んでいる、この時代の象徴としての役割を担っている。 一方で、この作品でただ一人、思ったことを素直に口にできる存在としても登場しているのだ。 その晴美の最後の言葉は何だったか…

プラス1ページ 

 この回はいつもより1ページ多い9ページである。 それがアクション側の都合なのか、演出上の都合で増ページさせたのか? この後、32回(9ページ)、34回(10ページ)、38回(10ページ)、44回(12ページ)、45回(12ページ)が増ページとなっている。


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「あとかたの街」と香月泰男 [番外]

 ヨメさんと漫画喫茶へ行ったときに読んだ本。

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 おざわゆきさんの「あとかたの街」です。 名古屋空襲を題材にした作品で、最終5巻にはこうの史代先生との対談が掲載されています。 父親のシベリア抑留体験記(「凍りの掌 シベリア抑留記」;小池書院 新装版は講談社)を漫画化した後、今度はその本の横に母親の本を並べたいという、ちょっと変わった執筆動機で書かれた本書は、いわゆる”女性作家による戦災もの”とは一線を画しています。

 「この世界の片隅に」では描かれることの無かった、劫火の街で逃げ惑った人たちの姿が克明に描かれています。 一瞬の判断の差が生死を分かつ瞬間、紙面から伝わる熱気と渇き。 また、B-29から投下される爆弾を地上に居る人の目線からとらえるなどの斬新な構図など、漫画的にもじゅうぶん見ごたえがあります。(だって、そんな絵は誰も見たことがないはず。 みんな吹き飛ばされてしまうのだから...) 

 また、やはり「この世界...」では描かれなかった戦中の飢えも見事に描き切っており、対談の中でこうの先生も感心しておられました。 「この世界の片隅に」と「あとかたの街」、全く表現手法の異なる2作ですが、その目指すところは同じ。 対談での両先生の結論は、色んな表現の作品がもっと出てこい!というものでした。

 さて、この対談の中でこうの先生が、自身のご家族と山口県出身の画家 香月泰男との意外な接点を紹介されています。 香月泰男は下関の女子高の美術教師だった時に徴兵され満州へ出兵。 終戦後にソビエトに捕えられてシベリアの強制収容所へ送られます。 いわゆる”シベリア抑留”です。 2年に渡る過酷な強制労働の体験は彼の創作のモチーフとなり、帰国後に「シベリア・シリーズ」と呼ばれる抑留をテーマとした作品で注目されるようになります。 山口県出身の私は県内で行われた「香月泰男展」などで彼の名を知っていたのですが、こうの先生が彼のことをご存じとは正直驚きました。 つまり、こうの先生はシベリア抑留についても充分な知識がおありだと推測できるのですが、不思議なことに「この世界の片隅に」には抑留者はおろか、復員兵の話すら出て来ないからです。(除隊した水原がちょこっとだけ出てるのみ)

 21年1月まで語られるこの物語。 戦地から帰還する復員兵が描かれても何ら不思議はありません。 この作品には少なくとも、森田のおじちゃん、知多さんの旦那さん(と子ども??)、堂本さんのご家族、小林の伯母さんの息子さん等の消息が戦後も不明なままです。 このうちの何人かは陸軍に徴集されていて、満州からシベリア送りになった人がいてもおかしくはないのですが、まったく語られません。 意図があってのことでしょうが、こうの先生の場合は抑留者のことを知らないから書いてないわけではなく、知っているのにあえて書いていないのです。 すずの話に焦点を絞りたかったのか? それともやはり、語らないことで語ろうとした、または考えさせようとしたのか... 少なくとも私のように”何で?”って考える人がいることは確かですが…

 それにしても、アクションの原作漫画再録はいつまで続くのでしょうか? このまま最終回までやる? 


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第30回 20年5月 [下巻]

「第30回 20年5月」 掲載’08年(H20年)5月20日号 (発売日 同年 5月7日ころ)

”広湾端の朝日影~♪”

 呉工廠の成立とその発展が年表とともに示され、北條家の歴史も紹介される。 

おとうさんは叩き上げ技師

 北條ビッグママの着物のつぎはぎ具合から見て、もともとの北條家は貧しかったようだ(田んぼ持ってないし、畑も小さいしね)。 そして、おとうさんは最初は工員として採用されたようだ。 働きながら一生懸命に勉強して技師に登用され、結婚して(おかあさんとのなれ初めは紹介されていない…)、子供を育て上げたんだなぁ。 自分が貧しかった分、娘にはいっぱいいっぱいお洒落をさせて、息子は広島のいい学校に行かせて勉強させて... お国のために、家族のために、がむしゃらに働いたのだなぁ。 作中で紹介される”広工廠歌”の2番(※)の歌詞は、まさに当時の日本人の心意気を示している。 そして、その工廠歌にかぶせるようにナレーションが入る。

 ちなみにおとうさんは広工廠から独立した11航空廠の発動機部で働いているらしい。 ここは3月19日の初空襲で活躍した”紫電改”のエンジンである”誉”を造っている。 飛行機部では、その紫電改(紫電の生産と紫電改の生産準備)と艦上爆撃機の”彗星”の生産を、また、97式や2式の”大艇”=大型飛行艇の修理もしていたという。 

 なお、広工廠は岩国に分工場があり、そこは空襲からの被害を免れるため、地下にトンネルを掘った地下工場だった。 工場の地下への”疎開”は広工廠でも工事が始まっており、トンネル掘りのために多くの”労働者”が動員されていたとの証言がある。 

 (※)広工廠にお勤めだった方の戦災体験記に工廠歌1番・2番の歌詞が紹介されている。 その方の記憶によると、1番の歌詞前半は広工廠の地理的なことが唄われ、”皇(すめら)御国を守るべく/至誠奉公一筋に/尊き使命つくさばや”と結ばれている。 なお、この方の記憶している2番の歌詞は本作で紹介されたものと少し違っている。 

唯一の”主観的”ナレーション

 この作品のナレーションは、語り手が すず や みぎて でないときには、主に時候の説明に徹しているのだが… この回だけは主観的に意見を主張をしている。 そして、この回の語り手はなぜか怒っているように私には思える。

誰の夢か?

 それは、おとうさんのように産業報国・富国強兵の夢を信じ、がむしゃらに働いた若き日本人たちの夢...

誰の悪夢か?

 それは空爆される方の、当時、挺身隊を含めて5万人いたという広工廠に働く人々の、そして、夢が粉々に砕けていく様を見た(おとうさんをふくめた)人々にとっての悪夢とも取れるだろう… だが むしろ、叩いても叩いても懲りずに強力な兵器を繰り出してくる(中には生身の人間の命さえも兵器化して突進してくる)日本人は、攻め手側の米軍にとっては悪夢以外の何物でもないだろう。

 そして、(この作品ではあえて触れられていないが)おとうさんたちが、日夜工夫して、生産効率を上げて、性能向上させて繰り出される兵器によって蹂躙される国々にとって、この工場は悪夢以外の何物でもないだろう。 

 この空襲には722発の爆弾(例の時限式も含む)が投下され、140名以上が亡くなったというが当局の発表は”きわめて軽微”だった。 この日の空襲で広工廠はほぼ壊滅。 ”誉”発動機、紫電改・彗星の生産がストップする。 

我々の祖父母は”おろか”ではなかったが…

 こうの先生は「昔の人は愚かだから戦争をしたと言われるが、私たちの祖父母は決して愚かな人ではない」と言われている。 全くその通りだと思う。 しかし、我々日本人は明治維新以降のどこかでその方向性を誤り、そしてそれを誰も元に戻せなかったのも確かだ。 日本の進出によって、その豊かな生活を蝕まれる人がいたのが見えなかったのも確かだ。 私たちの目を曇らせたのは何か? それは(幸運な戦勝によって増長された)驕りではなかったのか?

 私は個人的な興味から、これまで光人社NF文庫などで大戦中の名機と言われる航空機や艦船の設計者たちの手記をいくつか読んできた。 それらの手記から共通して感じたのは、(ごく一部の例外を除いて)この時代の技術者たちの驚くべき”度量の小ささ”だった。 自分の設計したものは大いに自賛するが、他人のものは徹底的にこき下ろす。 いざ、自機の設計上の瑕疵に話が及ぶと、『それは軍部の要求がそうだった』とか『〇〇の生産がよくない』とか言い出すのだ。   

 明治維新以降、日本は日清・日露という大きな戦争に勝利した。 それは近代国家としては若かった日本国民の自信にはなったろう。 だが同時に、当時の日本人はその勝利に至るまでの苦労とその後の責任を自覚していたはずだ。 しかし、世代交代が進み、成功体験の歴史しか知らぬものがトップに立った時に、もはや責任や覚悟を伴わない自信は驕りという見えない化け物となってこの国の指導者に蔓延して行ったのではないか? 今のHONDAのF1活動のように。

 バブルの頃に、これと同じ印象を受けた出来事があったのを覚えている。 当時、余った金を訳がわからぬままF1などに投資する日本企業が多かったが、これと同じ流れで一部の日本の金余り企業が手を出したのが”アメリカズカップ”だった。 ”Nippon Challenge”と名乗ったその”チーム”は、純国産のヨットに日本人艇長を乗せて挑戦を開始した。 カップを持ち帰り、次回大会をチームの本拠地のある蒲郡で開催するのだと、夢だけは大きかったそのチームは、造船工学の権威を招いて2種類のヨットを完成させて大会に臨んだ。 挑戦艇を決める予備予選こそ そこそこの成績だったが、本予選が始まると強豪国にまったく歯が立たずに早々と予選敗退となった。

 敗戦の弁を語る日本人艇長やチーム関係者のインタビューが流れる中、設計担当者だけは”ヨットの性能はトップレベルだった”と言い放った。 私はこの言葉を聞いた時に”ああ、このチームには伝統ある この競技に参加する資格がそもそもなかったのだ”と思い知った。 そこにはこの競技の本質もわからずに、世界の潮流も知らずに、ただ根拠のない自信と金にものを言わせた場違いな寄せ集め集団が居たに過ぎない。 今、まったく同じ印象を ”さくら”の白亜の研究所にいる緊張感のかけらも見えないスタッフたちに感じる。

オチの無いエンディング

 おとうさんを心配するあまりに心うわの空のすずと周作。 珍しくオチも何もないエンディングで次回に続くのだ。

この回に登場した艦船

宮古 ”通報艦”。 明治32年竣工、明治37年の旅順攻略戦に参加。 5月14日、大連湾内の掃海作業中に触雷し沈没。

筑波 筑波型巡洋戦艦の1番艦。 明治40年1月就役、大正3年の第1次世界大戦で南太平洋に派遣される。 大正6年1月14日、火薬庫爆発により沈没。

生駒 筑波型巡洋戦艦の2番艦。 明治41年3月就役、ワシントン軍縮条約により大正12年9月除籍。 同13年11月解体完了。

安芸 薩摩型戦艦の2番艦。 明治44年3月就役、大正12年9月除籍、翌13年9月6日に長門・陸奥の射撃演習の標的となり沈没。

扶桑 扶桑型戦艦の1番艦。 大正4年11月竣工、19年10月のレイテ沖海戦に参加し、25日にアメリカ艦隊と交戦し沈没。 生存者は皆無に近かった。

第19潜水艦 呂11型潜水艦の1番艦。 大正8年7月竣工、大正13年11月に呂11に改称。 就役直後より機関の故障に悩まされ続けた。 7年4月除籍。

長門 長門型戦艦の1番艦。 大正9年11月竣工、大和・武蔵が登場するまで長く連合艦隊の旗艦を務める。 終戦まで生き残り、戦後米軍に接収。 21年7月にビキニ環礁で行われた核実験の標的艦にされる。 2度の原爆の直撃に耐え原型をとどめていたが徐々に浸水が進み、2発目の原爆投下から4日後の7月29日に沈没。

伊52潜水艦 大正14年(すずさんと同い年)5月竣工、17年に伊152と改称されるも老朽化のため同年8月に除籍。

赤城 もともと天城型巡洋戦艦の2番艦として計画され大正9年に起工。 ワシントン軍縮条約の抜け穴を突いて、途中から航空母艦に改造され2年3月に就役。 オリジナルは三段式の飛行甲板を有していたが、幾度かの改修を受けてオーソドックスな姿になった。 真珠湾攻撃に参加し、空母機動部隊の有効性を世界に誇示して見せたが、17年6月5日のミッドウェー海戦において米軍機の急降下爆撃に遭い炎上。 情報の錯綜により甲板上や格納庫内に散乱していた爆弾と魚雷が次々に誘爆し大火災となり、翌6日に味方駆逐艦の魚雷により沈没処分に。

那智 妙高型重巡の2番艦。 3年11月竣工、19年のレイテ沖海戦で味方の最上と衝突して小破(最上は沈没)、11月5日にマニラ湾内で空襲を受け沈没。

最上 最上型重巡の1番艦。 10年7月竣工、19年10月25日のレイテ沖海戦で味方の那智と衝突して大破、その後敵の攻撃で航行不能になり雷撃処分。

呂33潜水艦 10年10月竣工、日米開戦と同時にマレー・ジャワ方面に進出し交通破壊作戦に従事。 17年8月29日ポートモレスビー沖で米駆逐艦「アトランタ」の爆雷攻撃を受け沈没。

千歳 千歳型水上機母艦の1番艦。 13年7月竣工、19年に空母に改造される。 レイテ沖海戦で囮部隊として参加し19年10月25日にエンガノ岬沖で敵航空機に襲撃され沈没。

大和 大和型戦艦の1番艦。 16年12月竣工、20年4月6日に坊ノ岬沖で米軍機のべ400機に及ぶ波状攻撃を受け沈没。

この回に登場した主な航空機

F-5飛行艇 イギリスのフェッリクストウ F.5飛行艇のライセンス生産機。 わが国初の飛行艇で、横須賀海軍工廠、愛知飛行機でも生産され計62機製造された。

13式艦爆 うーむ、13式艦上攻撃機しか見つけられない… 作中の絵のエンジン回りは確かに13式艦攻とちょっと違って見えるけど。  

89式飛行艇 5年秋に試作機完成、初飛行9年2月。 計17機製造。

90式1号飛行艇 わが国初の全金属製大型飛行艇。 5年1月試作機完成、および初飛行。 操縦安定性ならびにエンジン冷却に難があり、試作機のみで開発終了。

91式飛行艇 7年試作機完成、8年運用開始。 12年製造終了まで派生型含め計47機製造。

95式大攻 8年4月試作機完成、5月初飛行。 当時の海軍最大の全金属製双発攻撃機。 後に開発された96式陸上攻撃機の性能が優れていたため、8機のみの製造で終了。 

紫電 17年12月試作機完成+初飛行。 零戦にフロートを取り付けて水上機に転用した二式水戦が南方の戦場で思わぬ活躍を見せたため、本格的な水上戦闘機「強風(17年2月初飛行)」の製作が決定。 正式採用された18年12月には既に南方の島々の前線を大半失っており活躍の機会はなかったが、その素性に注目した軍部により急遽「強風」の陸上機化が指示されていた。 層流翼に空戦フラップの採用はそのままに、エンジンを”火星(1460馬力)”から”誉(1990馬力)”に換装して完成した紫電は高い性能を有していた。 しかし、もともとが水上機で主翼が胴体の真ん中から生える中翼式のため、その長い着陸脚を翼内に納めるための複雑な伸縮機構がたびたび故障を誘発していた。 そのため、翼を胴体の下側に配置した低翼式に改め、細部をリファインしたのが”紫電21型=紫電改”である。(18年12月31日試作機完成)

 生産は主に川西航空機で行われたが、広工廠でもエンジンと完成機の製作が行われていた。(紫電改は生産準備中に被災) 紫電・紫電改合計で1422機が製作された。 なお、紫電改はシルエットが敵のF6Fヘルキャットに似ていたため、度々味方から誤射された。 

彗星 15年11月初飛行。 水冷式エンジンと胴体内爆弾層が特徴の艦上爆撃機。 水冷式エンジンの不調が続き、空冷エンジンに換装した三三型が主に生産されるようになり、従来の水冷型の生産を11航空廠が担当した。 艦上爆撃機だが本格運用される頃には既に空母はなく、大戦後期には特攻機として使われた。 計2253機製造。 

(追記) 大戦末期、彗星などの機体の組み立ては、挺身隊の少女たちによって行われた。 彼女たちは、自分たちが組み立てる機体が特攻に使われることを知っていたという。 組み上げられた機体は工廠内で試運転や試験飛行が行われていたが、機体による性能のバラつきは非常に大きく、試験飛行中に墜落する機体もあった。 ”合格”となった機体は、すぐに知覧などの特攻基地に送られた。

 しもやけと飢えに苦しみ、懐かしい我が家を思って夜な夜な枕を濡らしながらも懸命に”任務”にあたる、当時の挺身隊女性の体験記をぜひ多くの人に読んでもらいたい。

5月9日、ナチス・ドイツが無条件降伏。(イタリアは18年9月8日に降伏済み、弱っ!) これにより、”世界”に楯突いているのは この地球上で日本だけとなった。


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